2011年6月23日木曜日

戦国岩代国人名辞典

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【あ】

相原掃部助【あいはらかもんのすけ(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤に従い猪苗代盛国勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

藍原太郎左衛門【あいはらたろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

青木伊豆守【あおきいずのかみ(15??~1544)】

伊達稙宗家臣。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗勢に属して伊達晴宗勢と戦った。1544年、「懸田城の戦い」で伊達晴宗勢に内応して懸田俊宗を攻撃したが、反撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

青木玄蕃允【あおきがんばのじょう(15??~15??)】

懸田俊宗家臣。1552年、「懸田城の戦い」で懸田俊宗が討死すると伊達実元に仕えた。1576年、「川俣の戦い」で伊達実元に従い戦功を挙げた。
青木胤綱【あおきたねつな(15??~15??)】

青木玄蕃允の男。官途は弾正忠。伊達成実に仕え田村清顕との取次役を務めた。
青木綱広【あおきつなひろ(15??~16??)】

青木胤綱の男。官途は備前守。1586年、「人取橋の戦い」で小浜城留守役を務めた。1595年、伊達成実が出奔すると伊達政宗に仕え200石を領した。1600年、伊達政宗が千代城を領すると黒川郡代職に任じられた。

青木綱茂【あおきつなしげ(15??~15??)】

懸田俊宗家臣。伊達郡苅松田館主。大内義生の次男。1553年、「懸田館の戦い」で懸田俊宗が滅亡すると、大内義綱に仕えた。

青木弘房【あおきひろふさ(15??~15??)】

青木綱茂の男。官途は修理亮。1585年、「苅松田館の戦い」で伊達政宗勢に内応して、大内定綱の家臣中沢九郎四郎、大内新八郎、大河内次郎八を捕縛して人質となっていた弟の青木新太郎と交換した。苅松田館に籠城して大内定綱勢を撃退した。この戦功により伊達政宗から太刀を拝領した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

青木掃部【あおきかもん(15??~15??)】

青木弘房の男。叔父の青木新太郎とともに人質として大内定綱のもとに送られた。1585年、青木弘房が伊達政宗勢に内応すると家老衆の継嗣たちを捕縛して青木、青木新太郎と交換した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

青木新太郎【あおきしんたろう(15??~15??)】

青木綱茂の次男。1584年、兄青木弘房の継嗣青木掃部とともに人質として大内定綱のもとに送られた。1585年、青木弘房が伊達政宗勢に内応すると家老衆の継嗣たちを捕縛して青木、青木新太郎と交換した。伊達政宗に仕えた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

青木次郎兵衛【あおきじろべい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

青木源四郎【あいきげんしろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

青木大和守【あおきやまとのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。伊達成実の使者を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

青木与太郎【あおきよたろう(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

青木宗俊【あおきむねとし(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。官途は勘解由。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

青山藤兵衛【あおやまとうべい(15??~15??)】

田村清顕家臣。1585年、「小手森館の戦い」で伊達政宗勢に属した田村清顕に従い大内定綱勢と戦い負傷した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

明石田左馬之助【あかいしださまのすけ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡明石田館主。1590年、「大里城の戦い」で箭田野義正、泉田将監らとともに大里城に籠城して伊達政宗勢と戦った。伊達政宗勢の石川昭光、結城義親、伊達成実、片倉景綱、田村宗顕勢からも攻撃を受けたが撃退する戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

赤城忠清【あかぎただきよ(15??~1616)】

耶麻郡夏井館主。官途は玄蕃頭。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢に敗れ常陸国に落延びると没落した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

赤城忠師【あかぎただもろ(15??~15??)】

赤城忠清の男。官途は左馬介。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

赤城内匠【あかぎくない(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1565年、「檜原峠の戦い」で穴沢信徳に従い伊達輝宗勢の攻撃を撃退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

赤津時綱【あかつときつな(15??~15??)】

安積郡朝日館主。官途は弾正忠。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

秋屋平右衛門【あきやへいえもん(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤勢の攻撃を受け猪苗代城に落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

阿久津与八郎【あくつよはちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

安子ヶ島右衛門大夫【あこがしまさえもんだいふ(15??~15??)】

畠山義国家臣。安積郡安子ヶ島館主。別名伊東右衛門大夫。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

安子ヶ島祐高【あこがしますけたか(15??~15??)】

安子島右衛門大夫の男。官途は治部大輔。別名伊東祐高。1585年、「二本松城の戦い」で畠山義継が伊達政宗に討たれると芦名盛重勢に属した。1589年、伊達政宗が芦名盛重を攻撃すると安積郡の諸勢力は伊達政宗勢に属したが、安子ヶ島祐高は芦名盛重勢に属した。「安子ヶ島館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け芦名盛重を頼り落延びた。「摺上原の戦い」で芦名盛重が敗退したため没落した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

浅賀守直【あさがもりなお(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡津室館主。官途は但馬守。通称五郎左衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浅川義純【あさかわよしずみ(15??~15??)】

石川郡浅川館主。官途は大和守。1573年、佐竹義宣勢に属した。結城義親勢の攻撃を受けたが撃退した。石川昭光の佐竹義重に服属させる斡旋に務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

浅川豊純【あさかわとよずみ(15??~15??)】

浅川義純の男。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重と須田盛秀が伊達政宗に滅ぼされると白河結城義親、石川昭光らとともに伊達政宗に降伏した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

朝倉国清【あさくらくにきよ(15??~15??)】

梶内弾正忠家臣。鍛冶山築館主の梶内弾正忠が小浜城に籠城したため、鍛冶山築を守備した。1585年、「鍛冶山築館の戦い」で小手森館が落城すると小浜城に落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

浅沼重次郎【あさぬましげじろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

浅沼惣九郎【あさぬまそうくろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。遠藤主計から高野山観音院で菩提を弔わた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

浅沼勘兵衛【あさぬまかんべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

朝日伊勢守【あさひいせのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

朝日万七郎【あさひまんしちろう(15??~15??)】

朝日伊勢守の男。1590年、「須賀川城の戦い」で朝日伊勢守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

味戸助兵衛【あじとすけひょうえ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

味戸隼人【あじとはやと(15??~15??)】

矢部紀伊守家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

芦名盛高【あしなもりたか(1448~1518)】

会津郡黒川城主。芦名盛詮の男。官途は修理大夫。室は上杉房定の娘。1466年、父芦名盛詮の病没により芦名家惣領職を相続した。1479年、「高田城の戦い」で渋川義基を滅ぼして勢力を拡大した。1494年、「伊達家騒乱」で伊達尚宗が会津黒川城に落延びるとこれを匿った。1500年、「綱取城の戦い」で松本輔政、松本勘解由を討取った。1501年、「猪苗代城の戦い」で猪苗代盛頼を討取るなど、領内の安定化を図った。1505年、「塩川の戦い」で継嗣の芦名盛滋が謀反を起こしたが、これを撃退して伊達尚宗のもとに追落した。後に和議を結び芦名盛滋を帰国させた。長沼政義と結び下野国の宇都宮成綱勢と戦った。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛滋【あしなもりしげ(1482~1521)】

芦名盛高の男。官途は遠江守。1500年、「猪苗代城の戦い」で父芦名盛高に従って猪苗代盛頼を討取った。1505年、「塩川の戦い」で松本源蔵の支援を受けて父芦名盛高に謀反を起こすが敗れ伊達尚宗のもとに落延びた。後に和議を結び帰国した。1518年、芦名盛高の病没により芦名家惣領職の家督を相続した。1520年、「上山城の戦い」で伊達稙宗を支援して最上義房勢と戦った。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛舜【あしなもりきよ(1490~1553)】

芦名盛高の次男。官途は遠江守。室は金上盛興の娘。側室は川野御前。1521年、兄の芦名盛滋が病没したため、芦名家惣領職を相続した。1528年、「新井田頼遠の乱」で伊達稙宗勢に属して葛西領に参陣した。「松本大学の乱」で松本大学が謀反を起こすと松本大学とその弟松本藤左衛門を討取った。1541年、「猪苗代盛頼の乱」を鎮圧した。1534年、伊達稙宗、相馬顕胤と結び岩城重隆、結城義親らと対抗した。1538年、後奈良天皇宸筆の般若心経が遣わされた。1540年、足利義晴に馬を献上した。1541年、芦名盛氏に家督を譲って隠居した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名氏方【あしなうじかた(1515~1561)】

芦名盛舜の男。官途は山城守。母(川野御前)が遊女であったため、弟の芦名盛氏が生まれると富田義実のもとで養育された。1561年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐の支援を受け芦名盛氏に謀反を起こしたが、数日で鎮圧され東山で自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛氏【あしなもりうじ(1521~1580)】

芦名盛舜の次男。官途は大膳大夫。通称平四郎。別名止々斎。室は伊達稙宗の娘。1541年、父の芦名盛舜が隠居したため、芦名家の家督を相続した。1542年、「横川城の戦い」で山ノ内俊清勢と戦い降伏に追い込んだ。「伊達天文の乱」で田村隆顕らとともに伊達稙宗勢に属するが田村隆顕と所領を争い伊達晴宗勢に転じた。1560年、「石川松山の戦い」で佐竹義昭の支援を受けた田村清顕勢と戦い敗退した。1561年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐の支援を受けた芦名氏方を討取った。家督を継嗣の芦名盛興に譲り大沼郡岩崎城に隠居した。1563年、二階堂盛義を支援するため、桧原に侵攻した伊達晴宗勢を穴沢信徳が撃退した。1566年、二階堂盛義が継嗣の芦名盛隆を人質に差し出し降伏した。伊達晴宗と和議を結び、伊達晴宗の娘(彦姫)を芦名盛興の内室に迎えた。1574年、芦名盛興が病没したため、芦名盛隆に芦名盛興の未亡人(彦姫)を娶られせて芦名家惣領職を相続させた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛興【あしなもりおき(1547~1574)】

芦名盛氏の男。官途修理大夫。通称平四郎。室は伊達晴宗の娘(彦姫)。1561年、父芦名盛氏の隠居により芦名家惣領職を相続した。1565年、「長沼城の戦い」で二階堂盛義を長沼城から追落して新国貞通を長沼城主に任じた。1574年、佐竹義昭と対陣中に病没した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛隆【あしな もりたか(1561~1584)】

二階堂盛義の男(芦名盛氏の養子)。官途は左京亮。通称平四郎。室は伊達晴宗の娘(彦姫)。別名芦名盛隆。1565年、父二階堂盛義が芦名盛氏に降伏すると人質として会津黒川城に送られた。1575年、芦名盛興が継嗣を残さず病没すると芦名盛興の未亡人(彦姫)を内室に迎え、芦名家の家督を相続した。1580年、芦名盛氏が病没すると芦名家の実権を掌握した。1581年、金上盛備を上洛させて織田信長に名馬三頭、蝋燭1000挺を献上して会津守護職を承認させた。1581年、「新発田重家の乱」で新発田重家、加地秀綱らが長尾景勝に謀反を起こすと伊達輝宗とともに新発田重家を支援した。1584年、「松本行輔の乱」で松本行輔、富田氏実、新国貞通、栗村盛胤らが長尾景勝の支援を受け黒川城に籠城したが、これを討取った。寵臣の大庭三左衛門に謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名亀王丸【あしなかめおうまる(1584~1586)】

芦名盛隆の男。1584年、父芦名盛隆が大庭三左衛門に謀殺されたため、叔父の伊達輝宗の後見を受け芦名家惣領職を相続した。1586年、疱瘡を患って病没すると家臣団は佐竹義重派と伊達政宗派の両派に分かれ抗争した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芦名盛重【あしなもりしげ(1575~1631)】

佐竹義重の次男(芦名盛隆の養子)。官途は主計頭。通称平四郎。別名佐竹義広。室は芦名盛隆の娘。1583年、父佐竹義重の意向により、結城義親の養子となった。1587年、芦名盛隆の娘と婚姻して芦名家惣領職を相続した。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗と戦い敗退して、佐竹義宣のもとに落延びた。1591年、佐竹義宣から江戸崎城主に任じられ45,000石を領した。1602年、佐竹義宣が羽後久保田城に転封すると羽後角館城16,000石を領した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

穴沢俊家【あなざわとしいえ(14??~15??)】

芦名盛高家臣。耶麻郡檜原館主。官途は越中守。耶麻郡檜原の地頭職を務めた。1486年、芦名盛高の意向を受け耶麻郡檜木谷に蟠居した山賊一党を撃滅する戦功を挙げた。その後も伊達尚宗勢の攻撃に備え檜原口を守備した。

穴沢信徳【あなざわのぶのり(15??~15??)】

穴沢俊家の男。官途は加賀守。別名穴沢俊恒。1564年、伊達輝宗勢を撃退する戦功を挙げ大荒井館を領した。1573年、穴沢家の家督を継嗣の穴沢信堅に譲って隠居した。1583年、「檜原館の戦い」で内応した穴沢四郎兵衛に謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

穴沢信堅【あなざわのぶかた(15??~1583)】

穴沢信徳の男。通称新右衛門。別名穴沢俊光。1582年、小荒井阿波守と争い、芦名盛隆から私闘を咎められて大荒井館を没収された。伊達政宗の家臣七宮伯耆守から内応を求められがそれを拒否した。1583年、「檜原館の戦い」で父穴沢信徳とともに内応した穴沢四郎兵衛により謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

穴沢興一郎【あなざわこういちろう(15??~15??)】

穴沢信徳の三男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢興七郎【あなざわこうしちろう(15??~15??)】

穴沢信徳の四男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢左馬充【あなざわさえもんのじょう(15??~15??)】

穴沢信徳の五男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。
 
穴沢善七郎【あなざわぜんしちろう(15??~15??)】

穴沢信徳の六男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢四郎兵衛門【あなざわしろうえもん(15??~15??)】

穴沢信徳の七男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢広次【あなざわひろつぐ(15??~15??)】

穴沢信堅の男。通称助十郎。1585年、父穴沢信堅を討取った伊達政宗を鉄炮で狙撃したが失敗した。1586年、「小谷山城の戦い」で伊達政宗勢を攻撃したが撃退しれた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が佐竹義宣のもとに落延びると隠居した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢光茂【あなざわみつもり(15??~16??)】

穴沢広次の男。保科正之に仕えた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢俊次【あなざわとしつぐ(15??~1583)】

穴沢信堅家臣。通称助十郎。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

穴沢新十郎【あなざわしんじゅうろう(15??~1586)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。
 
穴沢越中守【あなざわえっちゅうのかみ(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で伊達政宗に内応して伊達政宗勢を檜原を引き込んだ。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

穴沢主水【あなざわもんど(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

穴沢丹波守【あなざわたんばのかみ(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

穴沢太郎兵衛【あなざわたろうえもん(15??~1585)】

穴沢信徳の次男。通称善右衛門。1585年、「檜原館の戦い」で父穴沢信徳が穴沢四郎兵衛に謀殺されると従兄弟の穴沢助十郎とともに伊達政宗勢と戦い檜原館を奪還した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

穴沢助十郎【あなざわすけじゅうろう(15??~1585)】

穴沢信堅の男。1585年、「檜原館の戦い」で父穴沢信徳が穴沢四郎兵衛に謀殺されると叔父の穴沢太郎兵衛ともに伊達政宗の家臣遠藤文七を討取る戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

穴沢次郎兵衛【あなざわじろうへえい(15??~15??)】

穴沢信徳家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

阿部市右衛門【あべいちえもん(15??~15??)】

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部采女【あべうねめ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部半内【あべはんない(15??~15??)】

安部采女の三男。通称九郎平。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部惣兵衛【あべそうべい(15??~15??)】

安部采女の男。片足が不自由なため、弟の安部喜左衛門が安部家の家督を相続した。別家を立て御不断として仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。 

安部喜左衛門【あべきちざえもん(15??~15??)】

安部采女の次男。安部家の家督を相続した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部喜平【あべきへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部長作【あべさくざ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安部喜礼【あべきれい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部淡路守【あべあわじのかみ(15??~15??)】

阿部正勝の男。伊達実元に仕え伊達成実の御守役を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部新助【あべしんすけ(15??~15??)】

阿部淡路守の男。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部新助【あべしんすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部惣八【あべそうはち(15??~15??)】

阿部淡路守の次男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会、

阿部五郎右衛門【あべごろえもん(15??~15??)】

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部五郎平【あべごろうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部勘解由【あべかげゆ(15??~15??)】

伊達実元家臣。通称七郎右衛門。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部源兵衛【あべげんべい(15??~15??)】

伊達実元家臣。1542年、越後上杉定実への使者を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部市右衛門【あべいちえもん(15??~15??)】

阿部源兵衛の男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会

阿部小兵衛【あべこへい(15??~15??)】

阿部市右衛門の男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会

阿部久内【あべくない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部嘉左衛門【あべかざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い参陣した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会

阿部謹玲【あべきんれい(15??~16??)】

伊達成実家臣。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達政宗の意向を受けた伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会

阿部惣右門【あべそうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い参陣した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会

阿部仲平【あべたかへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部平之丞【あべへいのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部十三郎【あべじゅうさぶろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達政宗の意向を受けた伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部七郎平【あべしちろうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

阿部十蔵【あべじゅうぞう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

綾野小源次【あやのこげんじ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

荒井政頼【あらいまさより(1555~1589)】

高玉常頼家臣。通称新兵衛。室は高玉常頼の娘。1589年、「高玉館の戦い」で義父の高玉常頼とともに高玉館に籠城して伊達政宗勢と戦ったが敗れ城兵60名とともに討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

荒井杢之丞【あらいもくのじょう(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

荒井采女【あらいうねめ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

荒井半内【あらいはんない(15??~1585)】

大内定綱家臣。猛将。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。「小手森館の戦い」で石川光貞に従い小手森館に籠城した。二間半の青貝摺りの片鎌槍を片手に伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

荒井喜右門【あらいきちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

荒井九郎【あらいくろう(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

荒井長門守【あらいながとのかみ(15??~1589)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

荒井万五郎【あらいまんごろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。会津郡上荒井館主。1581年、芦名盛隆の使者として織田信長に馬三頭、蝋燭千挺を進献した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

荒川新三郎【あらかわしんざぶろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

荒川秋秀【あらかわあきひで(15??~15??)】

伊達成実家臣。官途は日向守。別名荒河又左衛門。伊達成実に天流の刀術を伝授した。参考文献:『東藩史稿』。

荒川源之丞【あらかわげんのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い参陣した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

新城氏重【あらきうじしげ(15??~15??)】

畠山村国家臣。安達郡椚山館主。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新城村尚【あらきむらひさ(15??~15??)】

畠山政国の次男(新城氏重の養子)。官途は弾正忠。別名「心安斎」。畠山村国の意向を受け新城家の家督を相続した。1547年、継嗣の畠山義国が畠山宗家の家督を相続するとその後見役を務めた。1585年、畠山義継が伊達政宗に討取られると二本松城に籠城した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新城直継【あらきなおつぐ(15??~15??)】

新城村尚の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新城盛継【あらきもりつぐ(15??~15??)】

新城直継の男。官途は弾正少弼。別名新庄盛継。1586年、「二本松城に戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受けたが、城兵を指揮して撃退した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

荒木田清右衛門【あらきだせいえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

粟飯原三左衛門【あわいはらさんざえもん(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1586年、「人取橋の戦い」で佐竹義重勢に従い鉄炮衆率いて伊達政宗勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

有馬彦市郎【ありまひこうちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

有馬正意【ありままさおき(15??~1582)】

二階堂盛義家臣。1582年、「御殿河原の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

安才甚左衛門【あんざいじんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

安藤重栄【あんどうしげえい(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。通称十郎太夫。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

安藤十郎太夫【あんどうじょうろうだいふ(15??~15??)】

安藤重栄の男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

安藤綱道【あんどうつなみち(15??~15??)】

須田永秀家臣。安藤綱清の次男。官途は因幡守。1533年、須田永秀に仕え和田館を領した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

安藤勝範【あんどうかつのり(15??~15??)】

安藤綱道の孫。官途は左馬介。別名「三河斎」。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

飯田宗親【いいだむねちか(15??~15??)】

桑折景長の次男。伊達郡古矢館主。官途は紀伊守。桑折宗貞が桑折宗長との戯れによる小刀の負傷がもとで17歳で早世したため、桑折宗長は飯田宗親とともに相模国藤沢の遊行寺で出家した。

飯土用雅楽頭【いいどよううたのかみ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

飯土用越後守【いいどようえちごのかみ(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継に従い伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

飯土用半次郎【いいどようはんじろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

飯土用七兵衛【いいどようしちべい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

飯土用六左衛門【いいどようろくざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称右衛門。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

飯土用宗清【いいどようむねきよ(15??~15??)】

浅賀守直の三男(飯土用六左衛門の養子)。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

飯村六郎左衛門【いいむらろくろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

五十嵐惟良【いがらしこれよし(14??~15??)】

河原田盛信家臣。伊北郡和泉田館主。官途は筑後守。1493年、「月岡館の戦い」で敗れて伊南に落延び河原田盛信に仕えた。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

五十嵐道正【いがらしみちまさ(15??~1589)】

河原田盛次家臣。伊北郡河原崎館主。官途は和泉守。1589年、「和泉田城の戦い」で伊達政宗勢に属した長沼盛秀、八代勘解由、梅津藤兵衛勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

五十嵐惟道【いがらしこれみち(15??~15??)】

五十嵐道正家臣。通称宗左衛門。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

五十嵐惟房【いがらしこれふさ(15??~15??)】

五十嵐惟道の男。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

五十嵐清三郎【いがらしせいざぶろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

五十嵐仁左衛門【いがらしにんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

五十嵐道貞【いがらしみちさだ(15??~15??)】

三瓶重実家臣。1589年、「摺上原の戦い」で三瓶重実が芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い敗れて没落すると大久保に帰農した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

五十嵐昌勝【いがらしまさかつ(15??~15??)】

慶徳祐長の次男。耶麻郡小田付館主。通称善次郎。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

生田惣兵衛【いくたそうべい(15??~1590)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石井七郎右衛門【いしいしちろうえもん(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石井左平【いしいさへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い参陣した。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

石井伝右衛門【いしいでんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

石井源四郎【いしいげんしろう(15??~15??)】

大内定綱家臣。大内定綱のもとを退去して伊達成実に仕えた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石井上総介【いしいかずさのすけ(15??~15??)】

二階堂続義家臣。1549年、「下野五月女坂の戦い」で二階堂続義に従い宇都宮尚綱勢と戦い戦功を挙げ新城白子で100貫を領した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

石井大学【いしいだいがく(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

石貝掃部【いしがいかもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。別名石見掃部。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

石川有信【いしかわみつまさ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡百目木館主。1568年、大内義綱らとともに田村清顕に内通して、石橋尚義を追放して田村清顕に属した。

石川光昌【いしかわみつまさ(1564~1605)】

石川有信の男。官途は弾正忠。別名石川久国。室は郡山藤致の養女。1585年、伊達政宗、田村清顕勢に属して大内定綱を攻撃した。この戦功により伊達政宗から小手森館主に任じられたが、白石宗実の寄騎衆にされたことに不満を持った。1588年、「郡山の戦い」で相馬義胤に内応したため、伊達政宗勢の攻撃を受け相馬義胤のもとへ落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石川丹波守【いしかわたんばのかみ(15??~15??)】

石川有信の次男。

石川光貞【いしかわみつひさ(15??~1585)】

石川丹波守の男。官途は勘解由。通称源兵衛。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。「小手森館の戦い」で大内定綱の意向を受け小手森館に籠城した。伊達成実の家臣遠藤下野守に降伏を申し出たが伊達政宗に拒否され討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石川昌弘【いしかわまさひろ(15??~15??)】

石川有信家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石川光明【いしかわみつあき(15??~15??)】

石川有信家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石川実光【いしかさねみつ(15??~15??)】

畠山義継家臣。通称弥兵衛。別名「不屬の弥平」。1585年、「二本松城の戦い」で畠山義綱が伊達政宗に追われ会津に落延びると伊達成実に仕えた。「高倉館の戦い」で羽田実景とともに伊達成実に従い芦名盛重勢の鹿子田継胤勢と戦い敗退した。1588年、「伊達大崎の戦い」で伊達成実に従い大崎義隆勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「長谷堂城の戦い」で留守政景に従い樋口兼続勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石塚兼盛【いしづかかねもり(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称十郎。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

伊須賀紋兵衛【いすがもんべい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

磯部有信【いそべありのぶ(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称左馬充。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

磯部孫右衛門【いそべまごえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

磯部与十郎【いそべよじゅうろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

伊土井藤内【いどいとうない(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

稲川丹後守【いながわたんごのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

石橋定義【いしばしさだよし(15??~15??)】

安達郡塩松城主。石橋義継の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋尚義【いしばしひさよし(15??~1577)】

石橋定義の男。官途は式部大輔。別名石橋久義。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗に属して参陣したがr、後に転じて伊達晴宗に属した。家臣大内義綱が家中での力を強め、石橋尚義を凌ぐ勢力を持った。1550年、石橋尚義は大内義綱によって塩松城二の丸に幽閉され、家臣の石橋家四天王(大内義綱、大河内備中守、石川有信、寺坂信濃守)に実権を奪われた。1568年、田村清顕に内応した大内義綱、石川有信らに塩松城から追放された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋義為【いしばしよしため(15??~15??)】

石橋定義の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋照義【いしばしてるよし(15??~15??)】

石橋定義の三男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋実義【いしばしさねよし(15??~15??)】

石橋定義の四男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋景義【いしばしかげよし(15??~15??)】

石橋尚義の男。官途は伊勢守。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石橋玄蕃【いしばしげんば(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡岩角館主。1568年、大内義綱が田村隆顕と結んで石橋尚義すると大内義綱に従った。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

石橋志摩守【いしばししまのかみ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡唐矢館主。1583年、「唐矢館の戦い」で石橋因幡守、沢神民部少輔らとともに大内定綱に従い田村清顕勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石橋因幡守【いしばしいなばのかみ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。1583年、「唐矢館の戦い」で石橋因幡守、沢神民部少輔らとともに大内定綱に従い田村清顕勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石部丹後守【いしべたんごのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。耶麻郡小平潟館。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

石部下総守【いしべしもふさのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。1586年、「会津黒川城の戦い」で柴野弾正、原田宗時勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石部九十郎【いしべくじゅうろう(15??~15??)】

石部下総守家臣。1585年、「黒川城の戦い」で石部下総守に従い柴田弾正忠、原田宗時勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

石母田宮内少輔【いしもだくないしょうゆ(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。伊達郡石母田館主。1542年、「伊達天文の乱」で小梁川宗明とともに幽閉されたいる伊達稙宗を桑折西山城から救出した。伊達稙宗は石母田城に入り拠点とした。1544年、拠点を懸田城に移したが懸田俊宗の家臣団が伊達晴宗勢に属したため石母田館に戻った。「石母田館の戦い」で伊達晴宗勢の攻撃を受け伊達稙宗は八丁目館に落延びた。石母田家の惣領家職を石母田光頼に奪われた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石母田彦三郎【いしもだひこさぶろう(15??~15??)】

石母田宮内少輔の弟。1542年、「伊達天文の乱」で兄石母田宮内少輔とともに伊達稙宗勢に属して、奥州各地を転戦した。乱が伊達晴宗の勝利に終わると兄石母田宮内少輔は、石母田家の惣領家職を石母田光頼に奪われた。石母田彦三郎は伊達晴宗の意向により隠居した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石母田光頼【いしもだみつより(15??~15??)】

石母田宮内少輔家臣。官途は安房守。1542年、「伊達天文の乱」で惣領家の石母田宮内少輔は伊達稙宗勢に属したが、石母田光頼、石母田氏頼兄妹は伊達晴宗勢に属した。乱が伊達晴宗の勝利で終わると伊達稙宗勢に属した惣領家の石母田宮内少輔が失脚し、伊達晴宗勢に属した石母田光頼、石母田氏頼兄弟が加増のうえ石母田家の惣領職を継承した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石母田氏頼【いしもだうじより(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。1542年、「伊達天文の乱」で惣領家の石母田宮内少輔が伊達稙宗勢に属したが、兄石母田光頼とともに伊達晴宗勢に属した。乱が伊達晴宗の勝利で終わると伊達稙宗勢に属した惣領家の石母田宮内少輔が失脚し、伊達晴宗勢に属した兄石母田光頼が加増のうえ石母田家の惣領職を継承した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一迫久綱【いっぱくひさつな(15??~15??)】

大内義綱の三男。通称左近。別名大内久綱。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊東祐里【いとうすけさと(15??~15??)】

安積郡郡山城主。別名郡山祐里。伊東家惣領職。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

伊東祐重【いとうよりすけ(15??~15??)】

伊東祐里の男。通称太郎右衛門尉。別名郡山朝祐。1542年、「第一次郡山城の戦い」で伊達晴宗に属して伊達稙宗勢の田村隆顕勢の攻撃を受け伊達郡小手郷へと落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

伊東重信【いとうしげのぶ(15??~1588)】

伊東祐重の男。官途は肥前守。通称新左衛門。別名郡山重信。1586年、「人取橋の戦い」で伊達政宗に従い高倉城を守り戦功を挙げた。1587年、「国分騒動」で伊達政宗の名代として名取郡北目城番を務めた。1588年、「第二次郡山城の戦い」で佐竹義重勢と戦い伊達政宗の身代わりとなり討死した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

伊東善五郎【いとうぜんごろう(15??~15??)】

伊東祐重の次男。別名郡山善五郎。1588年、「郡山城の戦い」で兄伊東重信に従い佐竹義重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

伊東重綱【いとうしげつな(15??~15??)】

伊東重信の男。1603年、伊達政宗に従い陸前松島に転封した。

伊藤喜右衛門【いとうぜんざえもん(15??~15??)】

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤丹波守【いとうたんばのかみ(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。通称「道無」。1582年、「金山館の戦い」で伊達成実に従い先陣を務め戦功を挙げた。金山館の御門を拝領した。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤喜右衛門【いとうきちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤太郎平【いとうたろうへ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤惣左衛門【いとうそうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤仁平【いとうにへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊藤外記【いとうげき(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊東新蔵人【いとうしんぞう(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

伊東忠興【いとうただおき(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。官途は大和守。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

猪苗代経元【いなわしろつねもと(14??~15??)】

麻耶郡猪苗代城主。後継がなく、芦名盛詮から次男の猪苗代盛清を養子に迎えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代盛清【いなわしろもりくに(15??~1541)】

芦名盛詮の次男(猪苗代経元の養子)。官途は右近将監。別名猪苗代盛親。1541年、「猪苗代城の戦い」で謀反を起したが、芦名盛氏の意向を受けた松本氏輔、佐瀬常藤勢の攻撃を受け降伏した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代盛国【いなわしろもりくに(1536~15??)】

猪苗代盛清の男。官途は弾正忠。通称平太郎。1585年、「檜原城の戦い」で穴沢善右衛門、穴沢助十郎とともに伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い敗退した。隠居して継嗣の猪苗代盛胤に家督を譲った。1588年、次男の猪苗代宗国に家督を譲るため、猪苗代城から猪苗代盛胤を追落して伊達政宗に内応した。猪苗代宗国を伊達政宗に人質として差出した。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗勢に従って先陣を務め、芦名盛重勢と戦った。1600年、伊達政宗が仙台城を領すると5,000石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代盛胤【いなわしろもりたね(1565~1641)】

猪苗代盛国の男。官途は左馬介。通称九右衛門。室は金上盛貞の娘。1585年、父猪苗代盛国から猪苗代家の家督を譲られた。1588年、猪苗代盛国と対立して猪苗代城を奪われ、横沢館に落延びた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重勢の先陣を務め、伊達政宗勢の猪苗代盛国と戦い負傷した。芦名盛重に従い佐竹義宣のもとに落延びた。のち会津に戻り耶麻郡内野村に隠棲した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代盛親【いなわしろもりちか(15??~16??)】

猪苗代盛胤の男。通称作左衛門。別名中野盛親。1589年、「摺上原の戦い」に敗れ父猪苗代盛胤とともに佐竹義宣のもとに落延びた。鳥居忠政に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代宗国【いなわしろむねくに(15??~15??)】

猪苗代盛国の次男。別名猪苗代盛直。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代盛明【いなわしろもりあき(1576~15??)】

猪苗代盛国の三男。1589年、父猪苗代盛国が伊達政宗に内応すると家臣酸川野左馬充とともに人質として伊達政宗のもとに送られた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代兼載【いなわしろけんさい(1452~1510)】

猪苗代宗実の男。別名猪苗代興俊。連歌師。芦名盛高らと歌会を行った。「河越千句」に参加し連歌師心敬の教えを受け、宗祇とも交流した。大内政弘の後援を得て、宗祇の「新撰菟玖波集」の編纂にも参加した。和歌を二条派の尭恵に学んだ。
参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪苗代兼純【いなわしろかねずみ(1487~15??)】

猪苗代兼載の男。別名「月喬斎」。連歌師。伊達稙宗の連歌の師となった。1515年、冷泉為広に学び三条西実隆や玄清らの連歌に参加した。著書『「兼載独吟千句註』『連歌寄合』など。

猪苗代留守助【いなわしろるすのすけ(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い独り残り遠藤大学を騙し討ちで討取る戦功を挙げたが、戦いに無常を感じ出家した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

伊南政秀【いなまさひで(15??~15??)】

河原田盛次家臣。伊南郡伊南館主。官途は左衛門尉。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

伊南政盛【いなまさもり(15??~15??)】

伊南政秀の男。別名河原田五郎左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

伊南源助【いなげんすけ(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。伊南郡只石館主。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢に敗れると河原田盛次の意向を受け一騎打ちを挑むための口上を伊達政宗に伝えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

井上河内守【いのうえかわちのかみ(15??~15??)】

松本舜輔家臣。岩谷館代職と家老職を務めた。1558年、「岩谷館の戦い」で松本舜輔が留守中に山ノ内俊政、山ノ内俊範勢の攻撃を受け落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪俣盛信【いのまたのぶもり(15??~15??)】

長沼政明の次男。官途は縫殿助。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

猪俣雅楽丞【いのまたうらくのじょう(15??~15??)】

猪俣盛信の男。通称平助。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

猪俣八郎兵衛【いのまたはちろうべい(15??~15??)】

猪俣雅楽丞の男。蔵方奉行職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

伊庭野広昌【いばのひろまさ(15??~1585)】

伊達実元家臣。官途は遠江守。通称四郎右衛門。安達郡東根、粟野、屋代、下矢野目、伊具庄笠島郷内などを領した。1542年、伊達実元の附家老職を務め、伊達植宗から引両紋鳥毛対鑓と長刀備前長船長光を賜った。1586年、「人取橋の戦い」で伊達政宗に従い佐竹義重勢を撃退する戦功を挙げたが討死した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊庭野広義【いばのひろよし(1571~1624)】

伊達成実家臣。通称内蔵丞。1586年、「郡山城の戦い」で伊達政宗に従い佐竹義重勢と戦い鉄炮傷を受け負傷した。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊庭野七之丞【いばのしちのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊庭野七平【いばのしちへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊庭野三左衛門【いばのさんぜえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達政宗の意向を受けた伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

伊庭長平【いばながひら(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

今泉発平【いまいずみはつへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

今泉右衛門【いまいずみうえもん(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死し
た。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

今泉伊豆守【いまいずみいずのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

今井藤兵衛【いまいとうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岩井伝右衛門【いわいでんえもん(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗退すると羽石駿河守に従い猪苗代路を守備した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

岩井友寧【いわいともねい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

岩崎出雲守【いわさきいずものかみ(15??~1582)】

二階堂盛義家臣。1582年、「御殿河原の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

岩崎藤十郎【いわさきとうじゅうろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

岩田喜内【いわたきない(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

印藤四郎兵衛【いんとうしろうべい(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

上田半左衛門【うえだはんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

上野大蔵【うえのおおくら(15??~15??)】

須田紀伊守家臣。家老職を務めた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

氏家新兵衛門尉【うじいえしんざえもんのじょう(15??~15??)】

畠山義継家臣。官途は下総守。安達郡本宮館代を務めた。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。「二本松城の戦い」で畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。1586年、「箕輪館の戦い」で箕輪玄蕃、遊佐源左衛門、堀江式部らとともに伊達成実に内応して人質を差し出し箕輪館に籠城したが芳川寛清勢の攻撃を受け落延びた。伊達政宗から80貫の加増を受けた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。       

牛坂佐渡守【うしさかさどのかみ(15??~15??)】

堀越能登守の次男。伊達尚宗に仕え500石を領した。1548年、伊達実元の附家老職に任じられ馬上30騎を率いた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

牛坂実隆【うしさかさねたか(15??~15??)】

牛坂佐渡の男。通称左近。1586年、「高倉館の戦い」で伊達成実に従い芦名盛重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

牛坂佐渡守【うしさかさどのかみ(15??~15??)】

牛坂実隆の男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

牛坂興隆【うしさかおきたか(15??~15??)】

牛坂佐渡守の男。通称喜左衛門。伊達政宗に拝謁して祖父牛坂実隆の戦功を賞され、国宗の脇差を拝領した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

牛袋将監【うしぶくろしょうげん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

薄井源左衛門【うすいげんざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

薄井弥十郎【うすいよじゅうろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

内田肥前守【うちだひぜんのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

内山右馬丞【うちやまうまのじょう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

梅津甚内【うめずじんない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

梅田豊任【うめだとよこれ(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。別名吉田豊任。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

梅田豊延【うめだとよのぶ(15??~15??)】

梅田豊任の男。別名吉田豊延。1590年、「須賀川城の戦い」で父の梅田豊任に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ常陸国に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

梅田豊徳【うめみやほうとく(15??~15??)】

梅田豊延の男。通称左近大夫。別名吉田之豊。1590年、「須賀川城の戦い」でび父梅田豊延に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ常陸国に落延びた。白方神社の神官職を務めた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

梅田勘兵衛【うめだかんべい(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

梅宮源七郎【うめみやげんしちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

瓜生三郎左衛門尉【うりさぶろうざえもん(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

江藤正勝【えとうまさかつ(15??~15??)】

須田盛秀家臣。岩瀬郡万力館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

江持近江守【えもちおうみのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡江持館主。室は佐藤勝義の娘。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤彦左衛門【えんどうひこざえもん(15??~15??)】

穴沢信徳家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遠藤太郎兵衛【えんどうたろうべい(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤勢の攻撃を受けた菊曲館を支援した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遠藤基信【えんどうもとのぶ(1532~1585)】

中野宗時家臣。西光寺金伝の男。官途は山城守。通称文七郎。父の金伝坊は信夫郡西光寺の住職を務めた。中野宗時に仕え卓越した外交手腕を示した。1570年、「中野宗時、牧野久仲の乱」で中野宗時が謀反を起こすと伊達輝宗に内応した。織田信長、松平元康、北条氏照、柴田勝家らとの取次役を務めた。織田信長と積極的に交誼するよう伊達輝宗に進言し、織田信長へ鷹や馬などの奥羽の特産を頻繁に贈った。後に伊達政宗の片腕となる片倉景綱を小姓に推挙した。1585年、伊達輝宗が討死すると伊達輝宗の墓前で殉死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

遠藤宗信【えんどうむねのぶ(1572~1593)】

遠藤基信の男。通称文七郎。1585年、父遠藤基信が殉死したため、遠藤家の家督を相続した。1588年、「田村城の戦い」で佐竹義重、岩城常隆勢と戦い田村城を死守する戦功を挙げた。1592年、「文禄の役」で伊達政宗に従い李氏朝鮮勢と戦い戦功を挙げた。1593年、京都で病没した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遠藤玄信【えんどうげんしん(15??~15??)】

遠藤基信の次男。1593年、兄遠藤宗信の病没により遠藤家の家督を相続した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遠藤下野守【えんどうしもつけのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。1585年、「小手森館の戦い」で伊達成実に従い小手森館を包囲すると城代の石川光貞が降伏を申し受けたが、伊達政宗に拒否された。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遠藤勝高【えんどうかつたか(15??~15??)】

二階堂輝行家臣。岩瀬郡山寺館主。官途は壱岐守。二階堂家四天王。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤勝重【えんどうかつしげ(15??~1589)】

遠藤勝高の男。官途は雅楽頭。1589年、「須賀川城の戦い」で須賀川城に籠城して伊達政宗勢と戦い南ノ原口で討死した。遠藤勝重の内室は討死を知り、阿武隈川に身を投げて自害した。辞世の句は「無人の 爰にくるまの なきとても めぐりあはなん 一つ蓮に」。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤彦一郎【えんどうひこいちろう(15??~1589)】

遠藤勝重の男。1589年、「須賀川城の戦い」で父の遠藤勝重に従い須賀川城に籠城して伊達政宗勢と戦い遠藤勝重とともに南ノ原口で討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤勝久【えんどうかつひさ(15??~16??)】

遠藤勝重の次男。通称左馬助。1589年、「須賀川城の戦い」で父の遠藤勝重が伊達政宗勢と戦い討死すると蛭館に落延び帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤壱岐守【えんどういきのかみ(15??~16??)】

遠藤勝高家臣。官途は但馬守。1589年、「八幡崎館の戦い」で遠藤勝重に従い伊達政宗勢の撃退する戦功を挙げた。伊達政宗に仕えた。1600年、「羽前長谷堂の戦い」で最上義光を支援する留守政景に従い小田辺勝成、石川実光らとともに戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

遠藤駿河守【えんどうするがのかみ(15??~15??)】

伊達元実家臣。15886年、大内定綱が降伏するとその取次役を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤下野守【えんどうしもつけのかみ(15??~15??)】

伊達元実家臣。1585年、「小手森館の戦い」で和議の交渉役を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤嘉兵衛【えんどうかへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤和泉守【えんどういずみのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤与兵衛【えんどうよへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤甚内【えんどうじんない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠藤源四郎【えんどうげんしろう(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1565年、「檜原峠の戦い」で穴沢信徳に従い伊達輝宗勢の攻撃を撃退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

遠藤左馬介【えんどうさまのすけ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤右近大夫【えんどううこんだいふ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤内蔵頭【えんどうくらのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遠藤弥右衛門【えんどうよへい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大内義生【おおうちよしせい(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡小浜城主。官途は備前守。石橋家四天王。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内義綱【おおうちよしつな(15??~15??)】

大内義生の男。官途は備前守。1550年、石橋尚義を塩松城二の丸に幽閉して石橋家の実権を掌握した。1568年、田村隆顕と結んで石橋尚義を追放した。1569年、「宮森城の戦い」で大河内備中守を攻め滅ぼした。1576年、「片平城の戦い」で片平大和守を降伏に追込み、次男の片平親綱を養子に入れた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内定綱【おおうちさだつな(1545~1610)】

大内義綱の男。官途は備前守。通称太郎左衛門。1582年、「小斎城の戦い」で伊達輝宗に従い相馬義胤勢と戦った。1583年、畠山義継と結び娘をの畠山義綱に嫁がせた。1583年、「百目木館の戦い」で芦名盛隆の支援を受け田村清顕勢の石川光昌と戦った。1584年、伊達政宗が伊達家の家督を相続すると芦名盛隆勢に属した。1585年、「小手森館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け家臣の菊池顕綱が討死した。「小浜城の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受けると芦名盛重のもとに落延びた。1588年、「郡山の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い戦功挙げた。弟の片平親綱とともに伊達政宗勢に属した。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗に従い芦名盛重勢と戦い戦功を挙げた。1591年、「陸前宮崎城の戦い」で伊達政宗に従い葛西晴信勢と戦い千葉弥平左衛門を討取る戦功を挙げた。1600年、「関ヶ原の戦い」で京都留守居役を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内重綱【おおうちしげつな(15??~16??)】

大内定綱の男。官途は備前守。伊達政宗に仕え登米郡西郡館1,390石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内信綱【おおうちのぶつな(15??~15??)】

大内義生の五男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内綱清【おおうちつなきよ(15??~15??)】

大内信綱の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内実清【おおうちさねきよ(15??~15??)】

大内綱清の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内綱重【おおうちつなしげ(15??~15??)】

大内綱清の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大内豊後守【おおうちぶんごのかみ(15??~15??)】

大内義綱家臣。安達郡長屋館主。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大内義昌【おおうちよしまさ(15??~15??)】

大内義綱家臣。安達郡糠沢館主。官途は長門守。別名「我斎」。1585年、伊達輝宗の使者として片倉景親、原田休雪が小浜城を訪れてると大内定綱の名代として対応した。「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。「小手森館の戦い」で大内定綱に従い伊達政宗勢の田村清顕の家臣大越紀伊守勢を撃退する戦功を挙げた。「小浜城の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け捕縛されたが助命された。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大内弥右衛門【おおうちよえもん(15??~1585)】

大内義昌の男。1585年、「小手森館の戦い」で父大内義昌に従い田村清顕の家臣大越紀伊守勢を撃退する戦功を挙げた。「糠沢の戦い」で田村清顕の家臣石井甚七郎勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大内助右衛門【おおうちすけえもん(15??~15??)】

大内弥右衛門の男。1585年、「小手森館の戦い」で祖父大内義昌に従い父大内弥右衛門とともに田村清顕の家臣大越紀伊守勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大内吉六【おおうちきちろく(15??~15??)】

大内助右衛門の男。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大内蔵人【おおうちくらうど(15??~15??)】

大内定綱家臣。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱が会津黒川城に落延びると伊達成実に仕えた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大條稙景【おおえだたねかげ(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。伊達郡大枝館主。別名大枝宗助。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗に従い伊達稙宗勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

大條宗家【おおえだむねいえ(15??~15??)】

留守景宗の三男(大枝稙景の養子)。室は小梁川親宗の娘。1553年、伊達郡西根大枝、刈田郡見明、長井郡小野川、信夫郡庭坂の内などの所領を安堵された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大條宗直【おおえむねなお(15??~15??)】

大條宗家の男。官途は尾張守。別名大枝宗直。1588年、「磐城駒ヶ峯館の戦い」で伊達政宗に従い相馬盛胤勢と戦った。1591年、伊達政宗が陸前岩出山城を領すると志田郡蟻ヶ袋館に転封した。1592年、「文禄の役」で山城伏見城の留守居役を務めた。1604年、気仙郡二日市館主に任じられ中島宗求とともに二日市城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大條宗綱【おおえむねつね(15??~15??)】

大條宗直の男。1616年、亘理郡坂元館主に任じれ4,000石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大條宗頼【おおえむねより(15??~15??)】

大條実頼の四男(大條宗綱の養子)。

大條実頼【おおえさねより(15??~1615)】

大條宗家の次男。1588年、伊達政宗から所領を与えられ別家を立てた。伊具郡丸森城を守備した。継嗣の大條元頼に家督を譲って隠居したが、再び伊達政宗に仕え伊具郡高野内で70貫を領して家老職に任じられた。1615年、「大坂夏の陣」で伊達政宗に従い羽柴秀頼勢と戦ったが、陣中で病没した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大賀秀教【おおがひでよし(15??~1590)】

泉田将監家臣。岩瀬郡泉田館主。通称大学。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大賀政教【おおがまさよし(15??~15??)】

泉田将監家臣。大賀秀教の弟。通称勘解由。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大河原伊予守【おおがわらいよのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大河原弥平太【おおがわらよへいた(15??~1559)】

大槻行綱家臣。1559年、「大槻館の戦い」で相楽勘解由とともに大槻行綱が田村隆顕に内応したため、二階堂盛義を支援する芦名盛氏勢の攻撃を受け討死した。

大河原仁右衛門【おおがわらじんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従って参陣した。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大川原満衛門【おおがわらまんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大川吉三郎【おおかわきちさぶろう(15??~15??)】

猪俣雅楽丞家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

大河内内膳【おおこうちないぜん(15??~15??)】

畠山義続家臣。伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大河内備中守【おおこうちびっちゅうのかみ(15??~1569)】

安達郡宮森城主。石橋家筆頭家老職を務めた。1569年、「宮森城の戦い」で大内義綱、石川弾正忠、寺坂信濃守らの攻撃を受け討死した。大河内備中守の内室は、城から落延びるが、大内長門守に捕縛された。大内定綱から側室に望まれたが拒否して節操を守った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大河内宗四郎【おおこうちむねしろう(15??~1569)】

大河内備中守の甥。1569年、「宮森城の戦い」で大内義綱勢の攻撃を受け太刀を振るって敵中を切り抜けて城内に戻ったが、追っ手に包囲され討死した。

大里主馬介【おおざとしゅめのすめ(15??~15??)】

小梁川盛宗家臣。1581年、「大条館の戦い」で小梁川行秀の陣地が急襲されると小梁川盛宗の意向を受け小梁川行秀を支援して黒木丹波守勢を撃退した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大竹加賀守【おおたけかがのかみ(15??~15??)】

山ノ内俊政家臣。横山善太輔の次男。通称市兵衛。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

太田主膳【おおたしゅぜん(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

太田与三左衛門【おおたよざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

太田監物【おおたけんもつ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大竹与右衛門【おおたけよざえもん(15??~1589)】

河原田盛次家臣。1589年、「和泉田城の戦い」で五十嵐道正に従い伊達政宗勢に属したが、長沼盛秀勢と戦い討死した。

太田彦六【おおたひころく(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

太田治郎兵衛【おおたじへい(15??~15??)】

明石田左馬助の男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大槻高久【おおつきたかひさ(15??~15??)】

安積郡大槻館主。官途は将監。別名伊東高久。1559年、「大槻館の戦い」で芦名盛興勢の攻撃を受け降伏した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

大槻高行【おおつきたかゆき(15??~1562)】

大槻高久の男。通称三郎左衛門尉。別名伊東高行。1562年、「大槻館の戦い」で田村顕頼勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

大槻行綱【おおつきゆきつな(15??~1578)】

大槻高行の男。1578年、謀殺された。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

大槻忠直【おおつきただなお(15??~15??)】

大槻高行の次男。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

大槻左馬助【おおつきさまのすけ(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

大槻政通【おおつきまさみち(15??~1578)】

芦名盛氏家臣。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で長尾景虎に内応して山内重勝とともに芦名盛隆勢と戦ったが敗れて自刃した。

大槻中務【おおつきなかつかさ(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱が伊達政宗に敗れ芦名盛重のもとに落延びると降伏の使者として伊達実元のもとに赴いた。畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継、高橋内膳、米沢源内、遊佐孫九郎らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大槻忠連【おおつきただつら(15??~15??)】

畠山義継家臣。通称十蔵。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義継が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大槻清兵衛【おおつきせいべい(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

大槻与一郎【おおつきよいちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大槻資後【おおつきすけご(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大槻伊右衛門【おおつきじえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大槻甚右門【おおつきじんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大寺雅楽丞【おおでらうらくのじょう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大寺宮内大輔【おおでらくないだいふ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大場新助【おおばしんすけ(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

大場内美濃守【おおばうちみののかみ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡大場内館主。1568年、大内義綱が田村隆顕と結んで石橋尚義すると大内義綱に従った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

大庭三左衛門【おおばさんざえもん(15??~1584)】

芦名盛隆家臣。芦名盛隆から寵愛されていたが、猪苗代盛国などの譜代衆から讒言を受け次第に芦名盛隆から疎まれ遠ざけられた。1584年、芦名盛隆に恨みを抱き黒川城内で謀殺したが種橋大蔵に討取られた。

大場平五郎【おおばへいごろう(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1585年、「黒川城の戦い」で松本輔弘勢の攻撃を受けると芦名盛隆の内室を護衛した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

大原内匠介【おおはらたくみのすけ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大堀角兵衛【おおぼりかくべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀監物【おおぼりけんもつ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。耶麻郡堀切館主。

大堀惣内【おおぼりそうない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀惣兵衛【おおぼりそうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀弥五郎【おおぼりごろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀源五助【おおぼりげんごのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀七平【おおぼりひちへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

大堀土佐守【おおぼりとさのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、猪苗代盛国が伊達政宗に内応すると大塩峠で伊達政宗の使者七宮伯耆守、大峰式部を出迎えた。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤勢の攻撃を受け猪苗代城に落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

岡左馬助【おかうえもんのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岡田七兵衛【おかだしちべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

緒形平三郎【おがたへいざぶろう(15??~15??)】

伊達元実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小形久兵衛【おがたきゅべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小形右平治【おがたうへいじ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小形彦右衛門【おがたひこざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岡部大隅守【おかべおおすみのかみ(15??~16??)】

芦名盛氏家臣。京都屋敷で伊達成実に宿を提供した。伊達成実が取次役を務め、伊達政宗に仕え700石を領した。継嗣の岡部安清が改易処分に処されると白根に隠居した。1623年、許されて亘理郡で隠居料50人扶持を領した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岡部安清【おかべやすきよ(15??~16??)】

岡部大隈守の男。官途は伯耆守。改易処分に処された。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岡孫左衛門【おかまござえもん(15??~1560)】 

佐瀬常秀家臣。1560年、「寺山館の戦い」で佐瀬常秀に従い参陣したが諍いを起こし佐瀬常秀を謀殺した。

岡元対馬守【おかもとつしまのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

岡弥太夫【おかよへだいふ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小川高家【おがわたかいえ(1603~1646)】

伊達成実家臣。通称五郎兵衛。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小川和泉守【おがわいずみのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小川彦太郎【おがわひこたろう(15??~15??)】

小川和泉守の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父小川和泉守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小国義操【おぐによしもち(1547~1606)】

畠山義国家臣。1585年、「二本松城の戦い」で伊達政宗の本陣に奇襲攻撃をかけたが撃退された。畠山義綱が芦名盛重のもとに落延びると伊達政宗からの誘いを断り帰農した。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

奥山常辰【おくやまつねたつ(15??~15??)】

目々澤常良の男。官途は大学。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

落合兵部【おちあいひょうぶ(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

鬼庭元実【おににわもとざね(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。伊達郡赤館主。1539年、鬼庭家の家督を鬼庭良直に譲り隠居した。1542年、「伊達天文の乱」で継嗣の鬼庭良直とともに伊達晴宗勢に属して戦功を挙げた。1549年、置賜郡川井館主に任じられ2,000石を加増された。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鬼庭良直【おににわよしなお(1513~1585)】
 
鬼庭元実の男。官途は周防守。通称「左月斎」。室は本沢真直の娘。継室は牧野刑部の娘。1564年、伊達輝宗のもとで評定役を務めた。遠藤基信とともに伊達輝宗を補佐した。1575年、家督を鬼庭綱元に譲って隠居した。1586年、「人取橋の戦い」で伊達政宗から金色の采配を預かり、黄綿帽子に水色陣羽織で指揮をして佐竹義重勢と戦ったが敗退した。殿を務め岩城常隆の家臣窪田十郎に討取られた。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鬼庭安元【おににわやすもと(15??~1592)】

鬼庭良直の男。1575年、父鬼庭良直の隠居により鬼庭家の家督を相続した。1586年、「人取橋の戦い」で鬼庭良直とともに殿を務め、鬼庭良直が討死した。1586年、奉行職に任じられた。1591年、伊達政宗が岩出山城に転封すると磐井郡赤荻城主に任じられた。1592年、「文禄の役」で伊達政宗に従い肥前名護屋城を守備した。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鬼庭綱元【おににわつなもと(1549~1640)】

鬼庭良直の次男。官途は石見守。室は新田景綱の娘。1592年、兄鬼庭安元が病没したため、八幡家に養子になっていた次男鬼庭良綱が鬼庭家の家督を相続した。1600年、「羽前長谷堂城の戦い」で最上義光勢を支援する留守政景に従い長尾景勝勢と戦い戦功を挙げた。伊達政宗の意向を受け屋代景頼らとともに福島表の兵力不足を補うため帰還した。1604年、伊達政宗の五男伊達宗綱が栗原郡岩ヶ崎城主に任じられると、その後見役を務めた。1614年、「大坂冬の陣」で伊達秀宗に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小野主水【おのもんど(15??~1585)】

大内定綱家臣。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。「小手森館の戦い」で石川光貞に従い小手森館に籠城したが伊達政宗勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

小野半兵衛【おのはんべい(15??~1585)】

大内定綱家臣。小野主水の弟。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。「小手森館の戦い」で石川光貞に従い小手森館に籠城したが伊達政宗勢の攻撃を受け兄小野主水とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

小野雅之助【おのまさのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小野彦左衛門【おのひこざえもん(15??~15??)】

小野雅楽助の男。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小野権太夫【おのごんだいふ(15??~15??)】

小野雅楽助の次男。徒歩衆。伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小野左馬之助【おのさまのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

折橋政義【おりはしまさよし(15??~15??)】

長沼政則の男(星憲図の養子)。官途は弾正忠。通称次郎左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

大沼和泉守【おおぬまいずみのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

大橋掃部【おおはしかもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

岡ノ内式能【おかのうちしきの(15??~15??)】

須田盛秀家臣。岩瀬郡岡ノ内館主。安藤師雅の男。通称蔵人太夫。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

忍藤兵衛【おしとうべい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

忍羽右衛門【おしはえもん(15??~15??)】

忍藤兵衛の弟。1590年、「須賀川城の戦い」で兄忍藤兵衛に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小川内蔵丞【おあがわくらのじょう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡小川館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小川弥三郎【おがわよさぶろう(15??~15??)】

小川内蔵丞の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父の小川内蔵丞に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小原田隠岐守【おだはらだおきのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城したが伊達成実に降伏して所領を安堵された。伊達政宗の意向を受けた伊達成実に謀殺された。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小原田内膳【おはらだないぜん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小沼隼人【おぬまはやと(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小沼主計【おぬましゅけい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小野寺下記【おのでらげき(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

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【か】

鏡沼大蔵【かがみぬまおおくら(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡鏡沼館主。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鏡沼大膳【かがみぬまだいぜん(15??~15??)】

鏡沼大蔵の男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

算兵左衛門【かけいへいざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。1586年、「高倉館の戦い」で伊達成実に従い芦名盛重勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

影山与惣六郎【かげやまよそうろうく(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

影山長三郎【かげやまちょうざぶろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

影山又一郎【かげやままたいちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

風間実頼【かざまさねより(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称十郎。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

梶内綱久【かじうちつなひさ(15??~15??)】

大内義生の四男。官途は弾正忠。鍛冶山築館主。1585年、「小浜城の戦い」で鍛冶山築館を家臣の朝倉国清に任せ小浜城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

梶内久安【かじうちひさやす(15??~15??)】

梶内綱久の男。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

鹿島彦八郎【かしまひこはちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡鹿島館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柏木田義久【かしわだよしひさ(15??~15??)】

大内義生の三男。通称監物。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

春日辺半内【かすがべはんくら(15??~15??)】

畠山義継家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

春日辺久八【かすかべひさはち(15??~15??)】

春日辺半内の男。室は高橋越中守の妹。伊達成実に客将として仕えた。1614年、「大坂冬の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。高橋越中守に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

片平大和守【かたひらやまとのかみ(15??~15??)】

安積郡片平館主。別名伊東大和守。1559年、「片平館jの戦い」で芦名盛興勢の攻撃を受け芦名盛興に降伏した。継嗣をもうけることができず大内義綱の次男片平親綱を養子に迎えた。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

片平親綱【かたひらちかつな(15??~15??)】

大内義綱の次男(片平大和守の養子)。通称助右衛門。兄大内定綱と行動をともにした。1588年、「小浜城の戦い」で畠山国次を支援して伊達政宗勢を撃退した。1589年、伊達政宗勢の攻勢を受け大内定綱とともに伊達政宗に内応した。そのため、芦名盛重に人質として差し出していた、生母が磔刑に処された。「摺上原の戦い」で伊達政宗勢に属した大内定綱に従い芦名盛重勢と戦った。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

片平平左衛門【かたひらへいざえもん(15??~15??)】

伊達元実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

片平助兵衛【かたひらすけへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

片山和泉守【かたやまいずみのかみ(15??~15??)】

山ノ内俊範家臣。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

片山帯刀【かたやまたてわき(15??~15??)】

片山和泉守の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

片寄新蔵人【かたよりしんえもんど(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

加藤嘉藤【かとうかとう(15??~15??)】

伊達元実家臣。徒歩衆。別名志賀大炊左衛門。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤加賀守【かとうかがのかみ(15??~15??)】 

伊達元実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤豊前守【かとうぶぜんのかみ(15??~15??)】

伊達元実家臣。30貫を領した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤孫右衛門【かとうまごえもん(15??~15??)】

加藤豊前守の男。伊達成実が角田城に転封すると3貫を領した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤玄蕃【かとうげんば(15??~15??)】

加藤豊前の次男。騎馬衆。1639年、伊達宗実に仕え仙台屋敷留守居役を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤仲右衛門【かとうなかえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤勘平【かとうかんぺい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤又左衛門【かとうまたざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤公佐【かとうこうさ(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤左門【かとうさもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤次郎作【かとうじろうさく(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤甚兵衛【かとうじんべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

加藤七兵衛【かとうしちべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

門下下総守【かどしたしもふさのかみ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で畠山義継が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

金沢宗朝【かなざわむねとも(1479~1542)】

伊達稙宗家臣。伊達郡北目館主。1536年、国分景広、中野親時、万年斎長悦、富塚仲綱、伊達宗良、峰重親、浜田宗景、牧野景伴、牧野宗興、中野宗時らとともに『塵介集』に連署した。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

金山伝右衛門【かなやまでんえもん(15??~15??)】

牛坂佐渡守の男。牛坂佐渡守の隠居料を相続した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鹿子田国胤【かのこだくにたね(15??~1585)】

畠山義継家臣。官途は和泉守。1585年、畠山義継とともに伊達輝宗を拉致したが、逃げ切れず討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

鹿子田継胤【かのこだつぐたね(15??~15??)】

鹿子田国胤の男。官途は日向守。通称左衛門尉。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義継が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。1586年、「高倉館の戦い」で芦名盛重勢に従い伊達成実の家臣石川実光、羽田実景勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

鎌田助六【かまたすけろく(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。通称四郎兵衛。杉目館代を務めた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦った。乱後、改易処分に処された。

鎌田四郎兵衛【かまたしろうべい(15??~15??)】

伊達元実家臣。伊達郡鎌田館主。官途は備前守。杉目城代を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鎌田親行【かまたちかゆき(15??~15??)】

鎌田四郎兵衛の男。官途は和泉守。通称源蔵。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鎌田備前守【かまたびぜんのかみ(15??~15??)】

鎌田四郎兵衛の次男。1590年、伊達政宗が陸前岩出山城に転封になるとそれに従った。

鎌田清重【かまたきよしげ(15??~15??)】

伊達忠宗家臣。通称九郎右衛門。徒歩衆。1639年、伊達宗実に従い亘理郡に転封した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

神守新蔵人【かみもりしんくろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1587年、「新発田重家の乱」で芦名盛隆の意向を受け小田切盛昭に従い新発田重家とともに長尾景勝勢と戦った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

萱野左馬之助【かやのさまのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱野清左衛門【かやのせいざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱野権内【かやのかない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場時政【かやばときまさ(15??~15??)】

伊達植宗家臣。官途は但馬守。通称内蔵助。1548年、伊達実元の附家老職に任じられた。伊達植宗より鳥毛対鑓と長刀を賜った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場元時【かやばもととき(15??~15??)】

萱場時政の男。通称源兵衛。1586年、「人取橋の戦い」で伊達成実に従い佐竹義重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場元時【かやばもととき(15??~16??)】

萱場元時の男。通称源兵衛。騎馬衆。伊達政宗に鉄炮術を賞賛され、鉄炮と小道具を拝領した。伊達成実からの加増を辞退した。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場但馬守【かやばたじまのかみ(15??~15??)】

萱場元時の次男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場金兵衛【かやばきんべい(15??~15??)】

萱場但馬の次男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場養助【かやばようすけ(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場次郎兵衛【かやばしろうべい(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場治郎平【かやばじろうへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

萱場源治郎【かやばげんじろう(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

河口左衛門佐【かわぐちさえもんのすけ(15??~15??)】

大沼郡玉綱館主。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で芦名盛隆に従い大槻政通を討取る戦功を挙げた。1589年、「駒寄城の戦い」で伊達政宗勢に属して山ノ内氏勝勢と戦った。

川嶋憲俊【かわしまのりとし(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。官途は越中守。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

川村源内【かわむらげんない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

河原田盛治【かわらだもりはる(14??~15??)】

伊南郡主。河原田重直の男。通称右馬亮。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛信【かわらだもりのぶ(1501~1564)】

河原田盛治の男。通称荒次郎。1564年、「信州小川の戦い」で長尾景虎勢に属して武田晴信勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛頼【かわらだもりつぐ(15??~1591)】

河原田盛信の男。1543年、「駒寄城の戦い」で芦名盛氏、山ノ内俊清勢の攻撃を受け降伏した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛次【かわらだもりつぐ(15??~1591)】

河原田盛頼の男。官途は治部少輔。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い檜原口を守備した。芦名盛重勢が敗退したため、伊南郷に帰陣した。伊達政宗から降伏勧告を受けたが山ノ内氏勝と結び対抗したが、伊達政宗勢の支援を受けた長沼盛秀勢の攻撃を受け布沢城、梁取城、泉田城を攻落とされ劣勢に立たされた。1589年、「駒寄城の戦い」で長沼盛秀勢の攻撃を受けたが撃退した。「奥州仕置」で改易処分に処され所領を失った。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田時任【かわらときとう(15??~15??)】

河原田盛頼の次男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛久【かわらもりひさ(15??~15??)】

河原田盛頼の三男。通称左馬允。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛胤【かわらもりたね(15??~15??)】

河原田盛頼の四男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

河原田盛員【かわらもりかず(15??~15??)】

河原田盛頼の五男。通称大膳。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

菅家善高【かんけよしたか(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。通称太郎左衛門。山ノ内家四天王。大沼郡大塩中山城代職を務めた。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い伊達政宗勢と戦った。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

菊池顕綱【きくちあきつな(15??~1585)】

安達郡小手森館主。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱が伊達政宗から離反したため、伊達政宗勢の攻撃を受け降伏を申し出るが許されず城兵800余りとともに討死した。

菊池武憲【きくちたけのり(15??~15??)】

菊池顕綱の男。1585年、「小手森館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け父菊池顕綱が討死すると母方の実家に落延びた。

菊地十右衛門【きくちじゅうえもん(15??~15??)】

山ノ内俊政家臣。秦越中守の男。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

菊池甚平【きくちじんべい(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1580年、「大善寺の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

木口縫殿之丞【きぐちぬいどのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木口長三郎【きぐちちょうざぶろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木口勘作【きぐちかんさく(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒行衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木沢玄蕃【きさわげんば(15??~15??)】

河原田盛次家臣。伊南郡多々石館主。1598年、「久川城の戦い」で伊達政宗勢の進軍を遅らせ、久川城の籠城に備えた。宮床四郎左衛門とともに寡兵の城兵に旗指物を立てさせ城中に大勢の兵が居るように見せかけた。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

北下野守【きたしもつけのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。通称新助。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木田新次郎【きだしんじろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

木田又右衛門【きだまたえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

木幡武平【きはたぶへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木幡刑部【きはたぎょうぶ(15??~15??)】

芦名盛重家臣。通称兵蔵。伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木幡六兵衛【きはたろうべい(15??~15??)】

木幡刑部の男。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木幡三郎右衛門【きはたさぶろうえもん(15??~15??)】

木幡刑部の次男。木幡家の家督を相続した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木伏紀伊守【きふしきいのかみ(15??~1589)】

河原田盛次家臣。伊南郡木伏館主。1589年、「伊南の戦い」で河原田盛次に従わず伊達政宗勢に内応したが河原田盛次勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

木村右兵衛尉【きむらひょうえのじょう(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤に従い猪苗代盛国勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

木村隼人【きむらはやと(15??~1589)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

木村左衛門【きむらさくざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木村九右衛門【きむらくえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木村半之丞【きむらはんのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

木村内記【きむらないき(15??~15??)】

須田紀伊守家臣。家老職。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

桐生友国【きりゅうともくに(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称玄蕃。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ降伏した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

桐生友安【きりゅうともやす(15??~15??)】

桐生友国の男。通称六郎左衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で父の桐生友国が須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い没落すると片倉景綱に仕えた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

桐生若狭守【きりゅうわかさのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

草香秀与【くさかひでよ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

草香秀家【くさかひでいえ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

国嶋平内【くにしまへいない(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

国嶋重左衛門【くにしましげざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

熊沢四郎右衛門【くまざわしろうえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

熊沢助左衛門【くまざわすけざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

熊田大学【くまだだいがく(15??~15??)】

塩田政繁家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

栗村盛種【くりむらもりたね(15??~15??)】

芦名盛高家臣。官途は下総守。1533年、松本良輔とともに諏訪社の総論に連署した。

栗村盛胤【くりむらもりたね(1557~1584)】 

新国頼基の次男(栗村盛種の養子)。新国館主。官途は下総守。家老職を務め、新国館8,000石を領した。1584年、「松本行輔の乱」で松本行輔とともに黒川城に籠城するが赤塚藤内に討取られた。父の新国頼基と兄の新国通基も芦名盛隆に討取られた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

栗村憲勝【くりむらのりかつ(15??~1589)】

芦名盛重家臣。柏木館主。官途は下総守。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

栗村憲俊【くりむらのりとし(15??~1589)】

栗村憲勝の男。通称弾正左衛門。1589年、「摺上原の戦い」で父の栗村憲勝に従い伊達政宗勢と戦い栗村憲勝とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

車田平右衛門【くるまだへいえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

黒川仲庵【くろかわなかあん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒川六郎右衛門【くろかわろくろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒田惣衛門【くろだすえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒田惣右衛門【くろだそうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒田伝左衛門【くろだでんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒月与右衛門【くろづきよへいもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

黒沢五左衛門【くろさわござえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒沢十右衛門【くろさわじゅうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒沼助之丞【くろぬますけのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

黒野三十郎【くろのさんじゅうろう(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

桑嶋清左衛門【くわしまきよざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

桑原主水【くわはらもんど(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

桑名因幡守【くわないなばのかみ(15??~15??)】

箭田野義正家臣。岩瀬郡大里館代。家老職。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

慶徳盛勝【けいとくもりかつ(15??~15??)】 

芦名盛氏家臣。耶麻郡慶徳館主。通称次郎左衛門。1560年、「石川松山の戦い」で吉田重秀とともに芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。1571年、「寺山館の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義重勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

慶徳範重【けいとくのりしげ(15??~15??)】 

平田舜範の男(慶徳盛勝の養子)。通称善五郎。通称平田範重。1578年、「大槻政通、山内重通の乱」で芦名盛氏に従い大槻政通、山内重通勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「慶徳館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。1584年、「桧原館の戦い」で原田宗時、新田常陸勢の攻撃を受けたが撃退した。1585年、「黒川城の戦い」で芦名盛氏の意向を受け中ノ目式部大輔、佐瀬常成、沼沢実通らとともに伊達政宗勢に内応した松本輔弘、松本行輔、富田氏実、新国貞通、栗村盛胤勢と戦い松本輔弘を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

懸田俊宗【けんだとしむね(15??~1553)】

伊達稙宗家臣。伊達郡懸田城主。室は伊達稙宗の娘。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗が西山城に幽閉れると小梁川宗朝とともに救出して懸田城に籠城して伊達晴宗勢と戦った。家臣の中島宗忠が伊達晴宗勢に内応したため、石母田館に落延びた。1548年、伊達稙宗と伊達晴宗が和議を結ぶとこれを不服として伊達晴宗勢と戦った。1553年、「懸田城の戦い」で伊達晴宗勢の攻撃を受け、家臣の中島宗忠、桜田資親、桜田玄蕃らが伊達晴宗勢に内応したため討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

懸田義宗【けんだよしむね(15??~1553)】 

懸田俊宗の男。1542年、「伊達天文の乱」で父懸田俊宗とともに伊達稙宗に従って伊達晴宗勢と戦った。1548年、伊達稙宗と伊達晴宗が和議を結ぶとこれを不服として懸田俊宗とともに伊達晴宗勢と戦った。1553年、「懸田城の戦い」で伊達晴宗勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小荒井範秀【こあらいのりひで(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称平馬。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

小荒井清左衛門【こあらいせいざえもん(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1587年、「新発田重家の乱」で芦名盛隆の意向を受け小田切盛昭に従い新発田重家とともに長尾景勝勢と戦った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

小荒井阿波守【こあらいあわのかみ(15??~15??)】

耶麻郡坂井館主。1582年、「坂井館の戦い」で穴沢信堅勢の攻撃を受け没落した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小泉八右衛門【こいずみはちえもん(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小泉勘左衛門【こいずみかんえもん(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達政宗の意向を受けた伊達成実に従い羽前山形城を接収した。

小泉九郎右衛門【こいずみくろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小泉甚右衛門【こいずみじんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小井田輪勘解由【こいだわかげゆ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

五市隼人【ごいちはやと(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小板橋下左衛門【こいたばししたざえもん(15??~15??)】

須田盛秀家臣。須田家七騎衆。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

幸野藤左衛門【こうのとうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

桑折景長【こおりかげなが(15??~15??)】

伊達郡桑折館主。官途は伊勢守。軍配者。1542年、「伊達天文の乱」で中野宗時らとともに伊達晴宗を擁立して伊達稙宗勢と戦い懸田俊宗、亘理宗隆に次ぐ戦功を挙げ刈田郡馬牛城を領した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

桑折貞長【こおりさだなが(15??~1577)】

桑折景長の男。官途は播磨守。軍配者。1542年、「伊達天文の乱」で中野宗時とともに伊達晴宗に従い伊達稙宗勢と戦い戦功を挙げた。伊達晴宗が奥州探題に任じられると守護代職に任じられた。1570年、「中野宗時、牧野久仲の乱」で伊達輝宗に従い中野宗時、牧野久仲勢との戦いで戦功を挙げ小松館主に任じられた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

桑折宗長【こおりむねなが(1532~1601)】

桑折貞長の次男。官途は治部大輔。別名「覚阿弥」。相模国藤沢の遊行寺で僧をしていた。1577年、兄の桑折貞長が病没したため、桑折家の家督を相続した。1586年、「人取橋の戦い」で伊達政宗に従い佐竹義重勢と戦い戦功を挙げた。1588年、「郡山の戦い」で伊達政宗に従い芦名盛重勢と戦い戦功を挙げた。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗に従い芦名盛重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

桑折政長【こおりまさなが(1556~1593)】

桑折宗長の男。官途は摂津守。室は飯坂宗康の娘(猫御前の姉)。1589年、「摺上原の戦い」で父桑折宗長に従い芦名盛重勢と戦った。1591年、伊達政宗が岩出山城に転封になると江刺郡岩谷堂城を領した。1592年、「文禄の役」で伊達政宗に従い朝鮮に渡海したが病を得て釜山浦で病没した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

桑折景頼【こおりかげより(1563~1608)】

石母田光頼の男(桑折宗長の養子)。通称左衛門。室は桑折宗長の娘。別名石母田景頼。1590年、伊達政宗の祖母(栽松院)が石母田館に移る手配を行った。1592年、「文禄の役」で伊達政宗に従い渡海した桑折政長が継嗣をもうけぬまま病没したため、桑折家の家督を相続した。1597年、金ヶ崎城600貫を領した。1615年、伊予宇和島城100,000石に転封した伊達秀宗に従い筆頭家老職を務めた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

桑折宗頼【こおりむねより(15??~15??)】

桑折景頼の養子。別名浦山景綱。室は桑折景頼の娘。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

国分玄蕃【こくぶげんば(15??~15??)】

高倉義行家臣。安積郡梅沢館主。1585年、「梅沢館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け落城した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

小熊治右衛門【こぐまじえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。市川大学の男。徒歩衆。1591年、伊達成実が角田城を領すると転封した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小熊八兵衛【こぐまはちべい(15??~15??)】

市川大学の次男。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小塩盛純【こしおもりずみ(15??~15??)】

河原田重直の三男。通称右近。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

越久義久【こしひさよしひさ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡越久館主。官途は豊前守。1590年、「須賀川城の戦い」で伊達成実勢に属して須田盛秀勢と戦い戦功を挙げ越久館350石を領した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小島二休斎【こじまにきゅうさい(15??~15??)】

大内定綱家臣。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

小島丹波守【こじまたんばのかみ(15??~15??)】

大内定綱家臣。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

小田辺勝成【こたべかつなり(1560~1619)】

畠山義継家臣。安達郡小田辺館主。官途は大学。別名「乗込大学」。1598年、伊達政宗に仕え物頭を務め300石を領した。1600年、「羽前長谷堂の戦い」で最上義光を支援する留守政景に従い石川実光、遠藤壱岐守とともに単騎で樋口兼続勢と戦い敵陣を破る戦功を挙げた。1614年、「大坂冬の陣」で伊達政宗に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

後藤佐二郎【ごとうさじろう(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

後藤源二郎【ごとうげんじろう(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

後藤大炊助【ごとうおおのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

後藤余五右門【ごとうよごえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小沼越中守【こぬまえっちゅうのかみ(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。

小林但馬守【こばやしたじまのかみ(15??~15??)】

須田紀伊守家臣。石川郡辺田館主。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小林景祐【こばやしかげすけ(15??~15??)】

山ノ内氏信家臣。官途は豊後守。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で山ノ内重勝が平田舜範勢と戦い討死すると山垣維治とともに山ノ内重勝の三男山垣重豊を匿った。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

小林七衛門【こばやししちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小林外記【こばやしげき(15??~15??)】

山ノ内俊行家臣。中丸光政の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

小桧山盛季【こひやまもりよし(15??~15??)】

猪苗代盛清家臣。通称六郎。

小桧山盛長【こひやまもりなが(15??~1555)】

小桧山盛季の男。通称藤八郎。1555年、「松本輔敦の乱」で松本輔敦とともに芦名盛氏に謀反を起こすが芦名盛氏勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

小松笹兵衛【こまつさへい(15??~15??)】

伊達実元家臣。岩城御前の附家老衆を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小松清左衛門【こまつせいざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

小松源六【こまつげんろく(15??~15??)】

保土原行藤家臣。1560年、「新館の戦い」で保土原行藤に従い白河結城晴綱勢と戦い白石刑部大輔を討取る戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小松新介【こまつしんのすけ(15??~15??)】

保土原行藤家臣。1560年、「新館の戦い」で保土原行藤に従い白河結城晴綱勢と戦い白石刑部大輔を討取る戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

込山左馬之介【こめやまさまのすけ(15??~15??)】

矢部紀伊守家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

小梁川盛宗【こやながわもりむね(1440~1500)】

伊達郡小梁川館主。伊達持宗の男。官途は中務大輔。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川親朝【こやながわちかとも(1459~1526)】

小梁川盛宗の男。官途は尾張守。1514年、「長谷堂城の戦い」で伊達稙宗に従い最上義定勢と戦いこれを攻落とすと長谷堂城を守備した。1515年、伊達稙宗の妹が最上義定に嫁ぎ和議が成立すると長谷堂城から撤退した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川宗朝【こやなぎがわぬねとも(1469~1565)】

小梁川盛宗の次男。官途は信濃守。京で兵法、剣術を修行し足利義晴に仕えた。伊達稙宗も扶持を送り続けた。帰国して伊達稙宗に仕えた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗が伊達晴宗に幽閉されると西山城から伊達稙宗を救出した。伊達稙宗に従い南奥州を転戦した。1565年、伊達稙宗が病没すると殉死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川親宗【こやながわちかむね(154?~15??)】

小梁川親朝の男。官途は尾張守。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗に従い伊達稙宗勢と戦い戦功を挙げた。中野宗時とともに使者として北条氏康のもとに赴いた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小簗川宗秀【こやなぎがわむねひで(1510~1570)】

小簗川宗朝の男。官途は安房守。1542年、「伊達天文の乱」で父の小梁川宗朝とともに伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦った。1570年、「小松館の戦い」で新田景綱とともに伊達輝宗の意向を受け中野宗時、牧野久仲勢と戦い中野宗時を追い落としたが討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川盛宗【こやながわもりむね(1523~1595)】

小梁川宗朝の次男。官途は中務大輔。室は伊達晴宗の娘。智勇の将。羽前置賜郡高畠館主を務めた。1570年、「中野宗時、牧野久仲の乱」で中野宗時、牧野久仲を追撃しなかったため、伊達輝宗から叱責を受けた。1574年、「羽前上山城の戦い」で伊達輝宗の意向を受けて最上義光の家臣里見民部勢と戦った。1585年、「刈松田館の戦い」で伊達政宗に従い大内定綱勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川宗重【こやながわむねしげ(1545~1602)】

小梁川盛宗の男。官途は刑部。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

小梁川行秀【こやなぎがわゆきひで(15??~15??)】

小梁川盛宗家臣。通称為四郎。1581年、「大条館の戦い」で陣地が黒木丹波守の家臣黒木光安、吉田主水正勢の急襲を受け苦戦したが、大里主馬介、三枝将監の支援を受け撃退した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

近藤兵馬【こんどうへいま(15??~15??)】

塩田政繁家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

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【さ】

三枝将監【さえぐさしょうげん(15??~15??)】

小梁川盛宗家臣。1581年、「大条館の戦い」で小梁川行秀の陣地が急襲されると小梁川盛宗の意向を受け小梁川行秀を支援して黒木丹波守勢を撃退した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

西海枝盛輔【さいかいしもりすけ(15??~15??)】

耶麻郡駿河館主。通称宮内大夫。1538年、「黒川大火」で城下の屋敷が焼失した。1540年、諏訪神社落成時に連署を出した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

斎藤太郎左衛門【さいとうたろうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤太郎左衛門【さいとうたろうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。通称善兵衛。室は斎藤伊兵衛の姉。五日町検断を務めた。

斎藤太郎右衛門【さいとうたろえもん(1564~15??)】

伊達成実家臣。1589年、「磨上原の戦い」で伊達成実に従い芦名盛重の家臣金上盛備を討取る戦功を挙げた。

斎藤太郎右衛門【さいとうたろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤与左衛門【さいとうよざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤惣右衛門【さいとうそうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤助一郎【さいとうすけいちろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤彦平【さいとうひこべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

斎藤又五郎【さいとうまたごろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1587年、「新発田重家の乱」で芦名盛隆の意向を受け小田切盛昭に従い新発田重家とともに長尾景勝勢と戦った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

斎藤十郎左衛門【さいとうじゅうろうざえもん(15??~15??)】

山ノ内俊行家臣。斎藤作右衛門の次男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

坂内清右衛門尉【さかうちせいざえもん(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

酒田備中守【さかたびっちゅうのかみ(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

坂路光方【さかみちみちかた(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称五郎右衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

坂元作内【さかもとさくない(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

坂本太郎兵衛【さかもとたろうびょうえ(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。30匁の大筒を軽々放つ鉄砲の名手。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤に従い猪苗代盛国勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

坂地光方【さかちひつかた(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称五郎右衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

相良平次【さがらへいじ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐川九郎【さがわくろう(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継に従い伊達輝宗のもとに赴いた。畠山義継が伊達輝宗を拉致した。伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

作間源右門【さくまげんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐久間主殿介【さくましゅでんのすけ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐久間弥右衛門【さくまゆえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1580年、「下小山田の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕、田村重顕勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐久間十右衛門【さくまじゅうえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

桜田資親【さくらだすけちか(15??~15??)】

伊達郡桜ノ倉館主。通称右兵衛尉。1553年、「懸田城の戦い」で伊達晴宗勢の攻撃を受けると中島宗忠とともに伊達晴宗勢に内応した。1584年、家臣の安田勘左衛門は河股城の普請奉行職を務め、巨大な城郭を完成させた。河股城付近の館を整備し伊達政宗の安達略戦を支援した。1586年、「人取橋の戦い」で瀬上中務、中島伊勢とともに本宮館を守備した。1590年、「奥州仕置」で伊達政宗が陸前岩出山城に転封すると玉造郡吉岡館に転封した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

桜田基親【さくらだもとちか(15??~1632)】

桜田資親の男。通称玄蕃。1553年、「懸田城の戦い」で伊達晴宗勢の攻撃を受けると父の桜田資親に従い伊達晴宗勢に内応した。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗に従い芦名盛重勢と戦った。1600年、「白石城の戦い」で伊達政宗に従い長尾景勝勢と戦い戦功を挙げた。1615年、伊予宇和島城主伊達秀宗の附家老職を務め1,900石を領した。伊達秀宗が転封費用(30,000両)を伊達政宗から借用したため、税収の3割が返済に充てられた。このため、家臣の多くが減俸を余儀なくされた。これに反対して惣奉行の山家公頼と対立した。1620年、山家公頼が不正をしていると伊達秀宗に讒言した。疑われた山家公頼は伊達秀宗に弁明して謹慎した。山家公頼を襲撃してこれを謀殺した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

佐々木高重【ささきたかしげ(15??~15??)】

伊達成実家臣。通称勘左衛門。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐々木信高【ささきのぶたか(15??~15??)】

佐々木高重の男。通称勘左衛門。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

笹崎愛之進【ささざきあいのしん(15??~15??)】

片倉景綱家臣。1602年、片倉景綱が白石城に転封すると亘理城に残り伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

笹山秀幸【ささやまひでゆき(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称金兵衛。須田家七騎衆。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ須田盛秀に従い常陸国に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

沙茂孫十郎【さしげまごじゅうろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐瀬常昌【させつねまさ(14??~15??)】

芦名盛滋家臣。芦名家四天王。

佐瀬常教【させつねのり(15??~15??)】

佐瀬常昌の男。官途は大和守。1536年、黒川実成寺に諸役免除の書状を発給した。1578年、「大槻政通、山内重通の乱」で芦名盛氏に従い大槻政通、山内重通勢と戦い戦功を挙げた。

佐瀬常和【させつねかず(15??~15??)】

佐瀬常昌の次男。官途は信濃守。芦名盛隆と伊達晴宗の娘との婚儀の取次役を務めた。武田晴信との取次役を務めた。

佐瀬種常【させたねつね(15??~1589)】

佐瀬常教の男。官途は大和守。六斎市などの流通、商業政策の奉行職を務めた。1538年、大火で芦名盛氏の居館が焼失すると芦名盛氏が佐瀬種常の屋敷に滞在した。1541年、「猪苗代盛頼の乱」で芦名盛舜に従い猪苗代盛頼勢と戦った。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。

佐瀬常秀【させつねひで(15??~1560)】

佐瀬常教の次男。通称伝七郎。1560年、「磐城寺山城の戦いの戦い」で那須資胤、佐竹義昭と結城晴綱が戦うと結城晴綱への援軍に派遣された。家臣の岡孫左衛門に謀殺された。

佐瀬常雄【させつねお(1572~1589)】

富田氏実の次男(佐瀬種常の養子)。通称平八郎。1589年、「摺上原の戦い」で養父佐瀬種常とともに伊達政宗勢と戦った参陣したが大敗、敗走中に討死した。

佐瀬常成【させつねなり(15??~15??)】 

佐瀬常和の次男。官途は河内守。通称伝兵衛。1585年、「黒川城の戦い」で芦名盛氏の意向を受け中ノ目式部大輔、平田範重、沼沢実通らとともに伊達政宗勢に内応した松本輔弘を討取る戦功を挙げた。

佐瀬常祐【させつねすけ(15??~15??)】

佐瀬種常の男。通称「一笑」。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い滅亡すると白石宗実の客将を務めた。伊達政宗の囲碁の相手を命ぜられ伊達政宗に仕えた。

佐藤九左衛門【さとうくざえもん(15??~1586)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤九郎左衛門【さとうくろざえもん(15??~15??)】

穴沢信徳家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤平左衛門【さとうへいざえもん(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤孫九郎【さとうまごくろう(15??~15??)】

畠山義継家臣。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤五郎兵衛尉【さとうごろうひょうえのじょう(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤右衛門【さとううえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。1586年、「二本松城の戦い」で伊達成実に従い畠山義綱の家臣宮本右衛門尉、氏家大三郎勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

佐藤源左衛門【さとうげんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤勘十郎【さとうかんじゅうろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤孫四郎【さとうまごしろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤茂左衛門【さとうしげざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤平兵衛【さとうへいえい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤善九郎【さとうぜんくろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤善吉【さとうぜんきち(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤雅之助【さとうまさのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

佐藤季道【さとうすねみち(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称権頭。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

佐藤主水【さとうもんど(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐藤助七郎【さとうすけしちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

佐藤雅楽丞【さとううらくのじょう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

沢井藤十郎【さわいとうじょうろう(15??~1585)】

大内定綱家臣。1585年、「小手森館の戦い」で石川光貞に従い伊達政宗勢戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

沢井宮内【さわいくない(15??~1585)】

大内定綱家臣。1585年、「小手森館の戦い」で石川光貞に従い伊達政宗勢戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

沢井半蔵【さわいはんぞう(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。皆朱槍を持つ豪の者。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤に従い猪苗代盛国勢と戦った。芦名盛重家臣。「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

沢井助左衛門【さわいすけざえもん(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

沢神民部少輔【さわがみみんぶしょうゆ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。1583年、「唐矢館の戦い」で石橋因幡守、沢神民部少輔らとともに大内定綱に従い田村清顕勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

沢神但馬守【さわがみたじまのかみ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。1577年、石橋久義は大内定綱、石川弾正、寺坂山城守、沢神但馬守らに石橋家領の政事を行わせ、自身は歓楽を事としたため、武威は次第に減じ、家臣の謀反を招いた。

沢井万七【さわいまんしち(15??~15??)】

折橋政義家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沢田七十郎【さわだしちじゅうろう(15??~15??)】

長沼藤九郎家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

三瓶重頼【さんぺいしげより(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1558年、芦名盛氏に仕え河沼郡荒木館主に任じられた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

三瓶重実【さんぺいしげざね(15??~15??)】

芦名盛高家臣。耶麻郡柏木館主。通称大蔵大輔。1584年、芦名盛高の意向を受け桧原を逐われた穴沢俊次ら150騎とともに柏木館を守備した。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い敗れると柏木館に火を放ち落延びた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

三瓶太郎左衛門【さんぺいたろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

三瓶大内蔵【さんぺいおおくら(15??~15??)】

伊達晴宗家臣。官途は上野守。芦名盛隆に嫁いだ伊達晴宗の娘(彦姫)の附家老職を務めた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

塩田重政【しおたしげまさ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡細桙館主。官途は因幡守。1589年、「細桙館の戦い」で継嗣の塩田政繁を須賀川城に派遣して自らは細桙館に籠城した。「須賀川城の戦い」で塩田政繁が討死すると塩田で帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

塩田政繁【しおたまさしげ(1554~1589)】

塩田重政の男。官途は右近大夫。別名塩田一類。1589年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い八幡崎館を守備して伊達成実勢と戦い敗れて石川郡に落延びた。伊達政宗の意向を受けた石川昭光に謀殺された。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

塩田光繁【しおたみつしげ(15??~15??)】

塩田政繁の男。1589年、「須賀川城の戦い」で父の 塩田政繁に従い八幡崎館を守備して伊達成実勢と戦い敗れて石川郡に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

塩田重定【しおたしげさだ(15??~15??)】

塩田政繁の次男。1595年、兄塩田光繁から塩田家の家督を譲られた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

塩田光政【しおたみつまさ(15??~15??)】

塩田政繁の三男。1589年、石川昭光に仕えた。1591年、石川昭光に従い志田郡に転封した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

塩田輔尚【しおたすけなお(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称宮内大夫。1540年、諏方神社落成の書状に連署した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

塩松玄蕃【しおまつげんば(15??~15??)】

大内定綱家臣。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

志賀隆正【しがたかまさ(15??~15??)】

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

志賀大炊左衛門【しがおおいさえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。1586年、「二本松城の戦い」で伊達成実に従い畠山義綱の家臣宮本右衛門尉、氏家大三郎勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

志賀内膳【しがないぜん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鹿野丹波守【しかのたんばのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鹿野八右衛門【しかのはちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鹿山喜右衛門【しかやまきえもん(15??~15??)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

宍戸内膳【ししどないぜん(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

宍戸角兵衛【ししどかくべい(15??~16??)】 

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

宍戸外記【ししどげき(15??~16??)】 

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

宍戸佐平太【ししどさへいた(15??~16??)】   

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。 

宍戸権之助【ししどごんのすけ(15??~15??)】  

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

完戸下野守【ししどしもつけのかみ(15??~15??)】

伊達植宗家臣。通称九郎左衛門。徒歩衆。納戸役として伊達実元に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

完戸名兵衛【ししどみょうべい(15??~16??)】 

完戸下野守の次男。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

完戸内記【ししどないき(15??~15??)】

完戸下野守の三男。別名「玄折」。伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

相楽包頼【したらかねより(15??~1559)】

大槻行綱家臣。安積郡堂山館主。通称勘解由。1559年、「大槻城の戦い」で大槻行綱が田村隆顕に内応したため、芦名盛興勢の攻撃を受け討死した。

志波左吉【しばさきち(15??~1590)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

嶋田藤右衛門【しまだとうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

志茂助右衛門【しもすけえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

下六郎兵衛【しもろくべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

下吉左衛門【しもよしさえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

下九郎左衛門【しもくろうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

下善右衛門【しもぜんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

十二村助左衛門【じゅうにかそんすけざえもん(15??~15??)】

耶麻郡下高額館主。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗れると伊達政宗に降伏して会津北方十二村を安堵された。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

白戸茂左衛門【しらとしげざえもん(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

白根沢重綱【しらねざわしげつな(15??~15??)】

伊達成実家臣。青木胤綱の弟。官途は丹波守。1595年、伊達成実が出奔すると伊達政宗に使者を送った。

白根沢重綱【しらねざわしげつな(15??~15??)】

伊達成実家臣。官途は丹波守。青木胤綱の弟。1595年、伊達成実が出奔すると角田城に籠城した。「角田城の戦い」で羽田実景に従い屋代景頼勢と戦った。その後、伊達政宗に300石で仕えた。

白葉因幡守【しらはいなばのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

白沢兼詮【しろさわかねあき(15??~15??)】

河原田重直の次男。通称左馬允。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

新城村尚【しんじょうむらなお(1485~1554)】

畠山政国の次男。安達郡椚山館主。1585年、畠山義継が討死したため、畠山義綱の後見役を務めた。1586年、「二本松城の戦い」で伊達政宗勢の攻勢を受け畠山義綱とともに芦名盛重のもとに落延びた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

新城国常【しんじょうくにつね(15??~15??)】

新城村尚の男。別名「心安斎淨閑」。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

新城信常【しんじょうのぶつね【(15??~1586)】

新城国常の男。官途は弾正忠。1571年、田村清顕から書状を受けた。1585年、「二本松城の戦い」で畠山義継が伊達政宗に謀殺されると畠山義綱を擁立して伊達政宗との戦いを継続した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

進藤十郎右衛門【しんどうじゅうろうえもん(15??~1582)】

二階堂盛義家臣。1582年、「滑川の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い敗れ討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須江光頼【すえみつより(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。長尾景虎、伊達輝宗との取次役を務めた。1587年、「新発田重家の乱」で長尾景勝からの新発田重家討伐要請を芦名盛隆に取次いだ。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

菅沼与左衛門【すがぬまよざえもん(15??~1589)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い殿を務め討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

杉岸伯耆守【すぎぎしほうきのかみ(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。伊南郡宮沢館主。1584年、「河原田城の戦い」で河原田盛次とともに籠城して芦名盛氏勢と戦った。芦名盛氏の家臣種橋藤十郎を討取る戦功を挙げた。

杉目直宗【すぎめなおむね(15??~1584)】

信夫郡杉目館主。伊達晴宗の六男。通称宮内。別名伊達直宗。1578年、伊達輝宗の意向を受け信夫郡杉目館を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

杉目源右門【すぎめげんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

杉山摩海【すぎやままかい(1585~16??)】

伊達成実家臣。官途は越中守。1592年、「文禄の役」で伊達成実が朝鮮から連れ帰った。奥方のもとで養育され元服後に伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

杉山九左衛門【すぎやまくえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。1595年、伊達成実の出奔に従った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

勝次郎【すぐれじろう(15??~1584)】

松本行輔家臣。耶麻郡松野館主。1584年、「松本行輔の乱」で松本行輔に従い芦名盛隆勢と戦い慶徳善五郎に討取られた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

須佐信清【すさのぶきよ(15??~15??)】

須佐信宗の男。通称大善。山内四家老衆。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い伊達政宗勢と戦ったが敗退した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

須佐信重【すさのぶしげ(15??~15??)】

須佐信清の男。官途は下総介。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い父須佐信清とともに伊達政宗勢と戦ったが敗退した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

須佐門之丞【すさもんのじょう(15??~15??)】

須佐信清の次男。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い父須佐信清とともに伊達政宗勢と戦ったが敗退した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

須佐孫六【すさまごろうく(15??~15??)】

須佐門之丞の男。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い父須佐門之丞とともに伊達政宗勢と戦ったが敗退した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

鈴木二郎兵衛【すずきじろべい(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

鈴木因幡守【すずきいなばのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。1585年、「小手森館の戦い」で石川光貞が降伏すると伊達成実への取次役を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木笹平【すずきささへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木三郎治【すずきさぶろうふ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木三之丞【すずきさんのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木藤左衛門【すずきとうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木備前守【すずきびぜんのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鈴木源兵衛【すずきげんべい(15??~15??)】

山ノ内俊政家臣。鈴木弥太郎の五男。通称源七。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

鈴木弥太郎【すずきよたろう(15??~15??)】

山ノ内俊範家臣。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

鈴木大蔵太輔【すずきおおくらだいゆう(15??~15??)】

鈴木弥太郎の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

鈴木太郎右衛門【すずきたろうえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木彦八郎【すずきひこはちろう(15??~15??)】

鈴木太郎右衛門の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父鈴木太郎右衛門に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木六郎右衛門【すずきろくえもん(15??~15??)】

鈴木太郎右衛門の次男。1590年、「須賀川城の戦い」で父鈴木太郎右衛門に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木六郎左衛門【すずきろくろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木太郎左衛門【すずきたろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木孫七郎【すずきまごしちろう(15??~15??)】

鈴木太郎左衛門の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父鈴木太郎左衛門に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木帯刀【すずきたてわき(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木八郎【すずきはちろう(15??~15??)】

鈴木帯刀の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父鈴木帯刀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木兵助【すずきへいすけ(15??~15??)】

須田秀泰家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木多仲【すずきたなか(15??~15??)】

須田秀泰家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

鈴木内蔵【すずきないぞう(15??~15??)】

須田秀幹家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田永秀【すだながひで(1485~1572)】

二階堂晴行家臣。須田吉秀の男。岩瀬郡和田館主。官途は主膳正。1532年、二階堂晴行に従い結城義綱勢と戦い結城義綱の継嗣結城刀之助を討取る戦功を挙げた。

須田政秀【すだまさひで(14??~15??)】

須田吉秀の次男。岩瀬郡大久保館主。官途は越中守。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田秀行【すだひでゆき(1525~1583)】

須田永秀の男。官途は美濃守。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田盛秀【すだもりひで(1530~1625)】 

須田秀行の男。官途は美濃守。通称源次郎。1582年、二階堂行親が病没すると二階堂盛義の後室大乗院(伊達晴宗の娘)を擁して須賀川城代を務めた。佐竹義重と結んで伊達政宗勢と戦った。1589年、「須賀川城の戦い」で須賀川城に籠城して伊達政宗勢と戦ったが敗れ佐竹義宣のもとに落延びた。1595年、下野茂木城主に任じられ10,000石を領して須賀川衆と茂木衆を率いた。1602年、佐竹義宣が羽後久保田城に転封すると羽後角館城代を務め3,800石を領した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田盛久【すだもりひさ(1586~1667)】

玉生高宗の男(須田盛秀の養子)。官途は伯耆守。1597年、宇都宮国綱が改易処分に処されると佐竹義宣に仕えた。1615年、「大坂夏の陣」で佐竹義宣に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田秀広【すだひでひろ(1572~1589)】

須田盛秀の男。通称源一郎。1589年、「須賀川城の戦い」で伊達政宗勢に捕縛され謀殺された。

須田源蔵【すだげんぞう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡川中宿古館主。須田秀信の男。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田親信【すだちかのぶ(15??~15??)】

懸田俊宗家臣。伊達郡月見館主。官途は伯耆守。1582年、伊達輝宗が畠山義継に謀殺されると殉死した。 参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

須田親重【すだちかしげ(15??~15??)】

須田親信の男。官途は伯耆守。1582年、父須田親信が殉死したにも関わらず重用されなかったために出奔した。伊達政宗が一揆を扇動し蒲生氏郷の謀殺を企んでいると訴えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

須田小十郎【すだこじゅうろう(15??~15??)】

須田伯耆守の次男。父須田伯耆守は伊達輝宗に従い殉死した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

須田備前守【すだびぜんのかみ(15??~15??)】

岩瀬郡舘ヶ岡館主。1548年、「牛庭原の戦い」で浜尾豊前守、矢部主税祐とともに伊達稙宗勢を撃退する戦功を挙げた。

須田頼隆【すだよりたか(15??~15??)】

二階堂照行家臣。安積郡篠川館主。官途は佐渡守。別名富岡佐渡守。1551年、安積郡富岡から篠川館に転封した。1588年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い伊達成実勢と戦い降伏した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

須田佐渡守【すだよりたか(15??~1590)】

須田頼隆の男。官途は佐渡守。別名笹川家西。笹川館5ヶ村を領した。1584年、「篠川館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け降伏した。伊達政宗のもとを退去して浅野長政を頼り、その後島津義弘に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

須田綱□【すだつなくち(15??~15??)】

須田佐渡守の三男。通称善五郎。1600年、「関ヶ原の役」で島津義弘に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げ100石を領した。

須田綱清【すだつなきよ(15??~15??)】

須田綱□の男。通称仲左衛門。島津綱貴の守役を務めた。

須田内蔵丞【すだくらのじょう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

須田左近大夫【すださこんのだいふ(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡八幡館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い家臣三瓶太郎左衛門尉とともに討死した参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

簾田豊後守【すだぶんごのかみ(15??~15??)】

岩瀬郡蛇石館主。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

簾田治郎【すだじろう(15??~15??)】

小作田東館主。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

関加賀守【せきかがのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。耶麻郡山潟館主。

関三河守【せきみかわのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。耶麻郡岩館主。

関根四郎治【せきねしろうはる(15??~15??)】

矢部下野守家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

関野源太【せきのげんた(15??~15??)】

伊達輝宗家臣。1585年、「檜原館の戦い」で原田宗時に従い穴沢太郎兵衛勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

雪下清則【せっけきよのり(15??~15??)】

山ノ内俊清家臣。大沼郡駒形館主。官途は相模守。別名沼沢清則。1531年、山ノ内俊清に仕えた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

添田土佐守【そえだとさのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ旧領の滑里沢で帰農した。没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

曾根孫四郎【そねまごしろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

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【た】

高倉実詮【たかくらさねあき(15??~15??)】 

安積郡高倉館主。高倉満国の男。別名畠山実詮。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

高倉晴賢【たかくらはるかた(15??~15??)】

高倉実詮の男。別名畠山晴賢。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

高倉氏詮【たかくらうじあき(15??~15??)】

高倉晴賢の男。官途は近江守。別名畠山義行。1575年、「高倉城の戦い」で田村清顕勢の攻撃を受け降伏した。1585年、「高倉館の戦い」で伊達政宗に従い桑折宗長、伊東重信、富塚宗綱らとともに高倉館に籠城した。1586年、「人取橋の戦い」で伊達政宗に従い高倉館を守備して佐竹義重勢と戦った。1588年、「郡山の戦い」で伊達政宗勢とともに佐竹義重勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

高倉盛次【たかくらもりつぐ(15??~15??)】

高倉氏詮の男。

高倉為盛【たかくらためもり(1606~1682)】

鍋倉秀道の次男(高倉盛次の養子)。通称五兵衛。1622年、最上義俊が改易処分に処されたため、父鍋倉秀道が佐竹義宣に仕えた。祖父高倉盛次の養子となり大浦信枚に仕え300石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高玉村継【たかたまむらつぐ(15??~15??)】

畠山村国家臣。安積郡高玉館主。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高玉頼継【たかたまよりつぐ(15??~15??)】

高玉村継の男。官途は紀伊守。1551年、高玉館2,000石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高玉常頼【たかたまつねより(1555~1589)】

高玉頼継の男。官途は近江守。通称太郎左衛門。1589年、「高玉館の戦い」で娘婿の荒井政頼とともに高玉館に籠城した。伊達政宗の家臣片倉景綱勢の攻撃受け城兵60余りとともに討死した。参考文献:『戦国人名事典』by。

高橋彦左衛門【たかはしひこざえもん(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

高橋彦左衛門【たかはしひこざえもん(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1565年、「檜原峠の戦い」で穴沢信徳に従い伊達輝宗勢の攻撃を撃退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

高林主膳【たかばやししゅぜん(15??~1585)】

畠山義継家臣。通称十三郎。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

高林右衛門【たかばやしえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡高林館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

高野三右門【たかのさんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高野勘十郎【たかのじゅうろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高野新右門【たかのしんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高野伝右門【たかのでんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋久八【たかはしひさはち(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋嘉右衛門【たかはしかえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋清兵衛【たかはしせいべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋彦兵衛【たかのひこべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋越中守【たかはしえっちゅのかみ(15??~15??)】

三江内越中の男。伊達成実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

高橋菊阿彌【たかはしきくあみ(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

高久頼弘【たかひさよりひろ(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称金五衛門。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

高柳主善【たかやなぎしゅぜん(15??~15??)】

松本輔弘家臣。耶麻郡高柳北館主。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

田川修理【たがわしゅり(15??~15??)】

矢部周防守家臣。岩瀬郡川田館主。1559年、「渋川の戦い」で矢部周防守に従い田村清顕の家臣田村顕頼勢と戦った。「今泉館の戦い」で矢部周防守の家臣石沢弥惣が内応したため、今泉館が落城すると舘ヶ岡館に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

田川山城守【たがわやましろのかみ(15??~15??)】

田川修理の男。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

多倉盛道【たくらもりみち(15??~15??)】

河原田重直の四男。通称勘解由。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

武田源内【たけだげんない(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

武田源左衛門【たけだげんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。1604年、榎袋の大肝入に任ぜられ、鹿島村新井町で酒造を始めた。銘柄は「椿山」。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

武田左馬亮【たけださまのじょう(15??~15??)】

伊達成実家臣。1585年、伊達成実から畠山義続のもとに使者として遣わされた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

多田木八郎【ただきはちろう(15??~1585)】

伊達輝宗家臣。1585年、「檜原館の戦い」で原田宗時勢に従い穴沢太郎兵衛勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

但木直次【ただきなおつぐ(1582~1646)】

伊達成実家臣。官途は越後守。別名但木直定。亘理城内で他の家臣と諍いを起こし改易処分に処された。三年後、罪を許され元の知行地を安堵された。伊達成実が病没すると殉死した。辞世の句「おのづからすます心の雲はれて まことの月のひかりをぞ見る」。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

但木五郎左衛門【たきごろうえもん(15??~15??)】

但木直次の男。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

但木喜四郎【たききちしろう(16??~16??)】

但木直次の次男。1646年、父但木直次が殉死したため、但木家の家督を相続した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

田崎舎人【たざきとねり(15??~15??)】

山ノ内俊範家臣。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

田崎蔵人【たざきくらうど(15??~15??)】

田崎舎人の次男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

唯木時昌【ただきときまさ(15??~16??)】

伊達成実家臣。通称与五右衛門。鉄炮衆。1595年、伊達成実が出奔するとそれに従った。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い鉄炮隊を率いて羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

唯木時定【ただきときさだ(15??~15??)】

唯木時昌の男。通称三太夫。1595年、伊達成実が出奔するとそれに従った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

只木五郎左衛門【ただきごろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

只木源作【ただきげんさく(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

只木文右衛門【ただきぶんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

多田野景連【ただのじゅうろう(15??~1577)】

安積郡多田野館主。通称十郎。別名伊東景連。室は大槻高行の娘。1577年、「日出山の戦い」で田村清顕に属したため、芦名盛隆勢の攻撃を受け討死した。内室は会津で磔に処された。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

多田野忠保【ただのただやす(15??~1577)】

多田野景連の男。伊東忠保。1577年、「多田野館の戦い」で芦名盛隆勢の攻撃を受け討死した。

伊達尚宗【だてひさむね(1453~1514)】

伊達郡西山城主。伊達成宗の男。陸奥国守護職。官途は大膳大夫。室は上杉房定の娘(積翠院)。1487年、父伊達成宗が病没したため、伊達家の家督を相続した。1490年、塩野毘沙門堂を再建した。1494年、「伊達家騒動」で芦名盛高のもとに落延びた。復帰後、足利義澄を領内に迎えた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

伊達稙宗【だてたねむね(1488~1565)】

伊達尚宗の男。官途は左京大夫。室は芦名盛高の娘(泰心院)。1514年、父の伊達尚宗が病没したため、伊達惣領家の家督を相続した。1517年、足利義稙に多額の進物を送り叙任した。1536年、分国法の『塵芥集』を制定した。三男の伊達実元が上杉定実の養子迎えられることになると継嗣の伊達晴宗、桑折景長、中野宗時らと対立した。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗に西山城に幽閉された。小梁川宗朝に西山城から救出されると奥州諸侯を糾合して伊達晴宗勢と戦った。1547年、芦名盛氏が伊達稙宗から離反すると劣勢に立たされた。1548年、伊達晴宗と和議を結び、伊達家惣領職を伊達晴宗に譲って亘理郡丸森城に隠居した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

大森伊達実元【だてさねもと(1527~1587)】

伊達稙宗の三男。官途は兵部大輔。通称藤五郎。室は伊達晴宗の娘(鏡清院)。1542年、「伊達天文の乱」で父伊達稙宗が幽閉先の西山城から救出されると伊達稙宗に従い奥州各地を転戦した。1548年、伊達稙宗が降伏して伊達晴宗が伊達家惣領職を相続すると信夫郡大森城主に任じられ信達地方の統治を担当した。1584年、継嗣の伊達成実に大森伊達家の家督を譲り、八丁目館に隠居した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

大森伊達成実【だてしげざね(1568~1646)】

伊達実元の男。官途は安房守。通称藤五郎。室は亘理重宗の娘(亘理御前)。継室は二階堂盛義の娘(岩城御前)。1584年、父伊達実元が隠居したため、大森伊達家の家督を相続した。1586年、「人取橋の戦い」で佐竹義重勢と戦い伊達政宗勢が敗走すると殿を務め佐竹義重勢の追撃を阻止した。1586年、「二本松城の戦い」で伊達政宗勢の攻勢を畠山義綱が芦名盛隆のもとに落延びると安達郡二本松城38,000石を領した。1588年、「郡山の戦い」で寡兵で芦名盛重勢を撃退する戦功を挙げた。1589年、「摺上原の戦い」で突出した敵の側面を強襲して劣勢を覆すなど、数々の軍功を挙げた。「小田原の役」で伊達政宗が羽柴秀吉のもとに参陣すると黒川城留守居役を務めた。1590年、「葛西大崎一揆」で伊達政宗に従い葛西晴信勢と戦った。1591年、伊達政宗が岩出山城に転封すると亘理郡角田城主に任じられた。1595年、伊達政宗のもとを出奔したため、角田城は伊達政宗の意向を受けた屋代景頼勢の攻撃を受け羽田実景らが討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

大森伊達宗実【だてむねざね(1613~1665)】

伊達政宗の九男(伊達成実の養子)。官途は安房守。室は白河義綱の娘(月川院)。1639年、継嗣のない伊達成実の養子となった。1644年、領内総検地の結果、所領は2,000貫とされ16ヶ村余を没収された。1646年、伊達成実が隠居したため、大森伊達家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

田手実烈【だてさねあつ(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。伊達郡伊達崎館主。通称助三郎。別名伊達崎実烈。1512年、伊達稙宗から買地安堵状が発給された。1542年、「伊達天文の乱」で伊達晴宗に従い戦功を挙げ伊具郡西根総成敗職に任じられたが、田手家惣領職の田手治部丞、田手石見守、田手隼人らが伊達稙宗に従い没落した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
田手宗光【だてむねみつ(15??~15??)】

田手実烈の男。官途は式部。角田館主に任じられた。1564年、伊達輝宗と対立して相馬盛胤に内応して角田城を追われた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

田手宗時【だてむねとき(15??~1581)】

田手宗光の男。1564年、父田手宗光が伊達輝宗と対立して相馬盛胤に内応して角田城を追われたが、伊達輝宗に従い所領を安堵された。1581年、「磐城金山館の戦い」で伊達政宗に従い相馬盛胤勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

田手宗実【だてむねざね(15??~15??)】

田手宗時の男。1591年、伊達政宗が岩出山城に転封になると柴田郡小泉城を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

田中兵庫【たなかひょうご(15??~15??)】

須田盛秀家臣。岩瀬郡田中館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by次郎。

田辺秀将【たなべひでしょう(15??~15??)】

新井田館主。通称五郎左衛門。1586年、所領を失った。

種橋藤十郎【たねはしとうじゅうろう(15??~1543)】

芦名盛氏家臣。柏木館主。1543年、「横川城の戦い」で芦名盛氏に従い河原田盛頼の家臣杉岸因幡守勢と戦い討取られた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。
 
種橋大蔵【たねはしおおくら(15??~15??)】

橋藤十郎の男。大番頭。1584年、芦名盛隆が大庭三左衛門に謀殺されると大庭三左衛門を追い詰め討取る戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

玉名与次右衛門【たまなよじえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

太郎丸掃部【たろうまるかもん(15??~1589)】

芦名盛氏家臣。耶麻郡太郎丸館主。1585年、松本輔弘が伊達政宗に内応すると桧原館の備えとして派遣されたが太郎丸掃部も伊達政宗に内応した。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗に従い鉄炮隊を率いたが富田隆実勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

丹野源吉【たんのげんきち(15??~16??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹野源左衛門【たんのげんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。馬上衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹野若狭守【たんのわかさのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹野三郎右衛門【たんのさぶろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹野権兵衛【たんのごんべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹野市右門【たんのいちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒行衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

丹波蔵人【たんのくろうど(15??~15??)】

伊達成実家臣。馬上衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

塚原次郎右衛門【つからはじろうえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

常世次郎左衛門【つねよじろうざえもん(15??~1568)】

芦名氏方家臣。1568年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐、松本大学、松山和泉、三橋左衛門、常世次郎左衛門らとともに芦名氏方を擁立して芦名盛氏勢と戦ったが敗れて自刃した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

寺坂信濃守【てらさかしなののかみ(15??~15??)】

石橋尚義家臣。安達郡寺坂館主。1542年、「伊達天文の乱」で石橋尚義に従い二本松城主畠山義氏、三春城主田村隆顕らとともに伊達稙宗勢に属した。後に伊達晴宗が優勢になると伊達晴宗勢に寝返った。大内義綱が石橋久義を四本松城の二の丸に幽閉して石橋家の実権を掌握した。1569年、田村清顕の支援を受けた大内義綱、石川弾正忠とともに大河内備中守を謀殺すると石橋松丸を追放して塩松領を押領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

寺川治兵衛【てらかわじへえ(15??~1590)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実勢と戦った。須賀川城が落城すると羽石刑部とともに長沼孫治を守って落延びるが討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

寺嶋新蔵人【てらしましんくろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

寺嶋太郎左衛門【てらしまたろうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

東條治右衛門【とうじょうはるえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

東條治平【とうじょうはるべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

東條弥角【とうじょうよかく(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遠見雅楽頭【とうみうたのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

常葉丹後守【ときわたんごのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

常葉伊予守【ときわいよのかみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

常葉二郎【ときわじろう(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

富田頼祐【とみたよりすけ(15??~15??)】

芦名盛高家臣。芦名家四天王。1492年、「松本輔忠の乱」で松本輔忠、伊藤民部らと結び芦名盛高に謀反を起こした。

富田滋実【とみたしげざね(1520~15??)】

富田頼祐の男。官途は左近将監。1541年、「猪苗代盛頼の乱」で芦名盛舜に従い猪苗代盛頼勢と戦った。1566年、伊達晴宗と和議を結んだ起請文に署名した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

富田氏実【とみたうじざね(15??~15??)】

富田滋実の男。官途は美作守。1578年、「大槻政通、山内重勝の乱」で芦名盛氏に従い大槻政通、山内重勝勢と戦った。1586年、佐竹義重の次男芦名盛重が芦名家の家督を相続すると芦名盛重の附家老職の大縄義辰、刎石駿河守らと対立した。1587年、「越後赤谷館の戦い」で長尾景勝勢の攻撃を受けた小田切政清を支援したが失敗に終わった。1589年、「摺上原の戦い」で継嗣の富田隆実とともに芦名盛重に従い摺上原に陣を構えたが芦名盛重勢が敗退すると伊達政宗に内応して黒川城から芦名盛重を追落とした。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

富田隆実【とみたたかざね(1569~15??)】

富田氏実の男。官途は左近将監。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い500騎を率いて先陣を務め猪苗代盛国、原田宗時、片倉景綱勢を撃破する戦功を挙げた。太郎丸掃部勢と戦いこれを討取るが力尽き退却した。芦名盛重とともに佐竹義宣のもとに落延びた。1590年、芦名盛重が畠山義綱を討取ると芦名盛重のもとを離れ相馬義胤に仕えた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

富田義実【とみたよしざね(15??~1561)】

芦名氏方家臣。松山一三の男。耶麻郡塚原館主。官途は監物。室は富田実持の娘。附家老職を務めた。1561年、「芦名氏方の乱」で芦名氏方を擁して芦名盛舜に謀反を起こしたが芦名盛舜勢の反撃を受け討死した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

富田義祐【とみたよしすけ(15??~1561)】

富田義実の男。通称主善。室は白井清恒の姉。1561年、「芦名氏方の乱」で父の富田義実とともに芦名氏方を擁して芦名盛舜に謀反を起こしたが芦名盛舜勢の反撃を受け捕縛され斬頸に処された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

富田氏右【とみたうじゆう(15??~15??)】

富田義祐の男。通称新五石衛門。

富田氏正【とみたうじまさ(15??~15??)】

富田氏右の次男。通称甚九郎。相馬盛胤に仕えた。
 
富田義員【とみたよしかず(15??~15??)】

富田義祐の次男。五郎左衛門。田丸直政に仕えた。
 
富田新太郎【とみたしんたおる(15??~1574)】

富田氏実家臣。1574年、「郡山の戦い」で富田氏実に従い田村清顕勢と戦い討死した。

富田源三【とみたげんぞう(15??~1574)】

富田氏実家臣。1574年、「郡山の戦い」で富田氏実に従い田村清顕勢と戦い討死した。
 
富田新九郎【とみたしんくろう(15??~15??)】

富田氏実家臣。1579年、田村清顕に内応した。

富田新次郎【とみたしんじろう(15??~15??)】

伊達実元家臣。通称惣兵衛。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

富田惣兵衛【とみたそうべい(15??~15??)】

富田新次郎の男。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

富田津太衛門【とみたつだいえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

富塚仲綱【とみづかなかつな(15??~1542)】

伊達稙宗家臣。伊達郡森山館主。官途は近江守。評定衆を務めた。1533年、『蔵方の掟』に評定衆として連署した。1536年、『塵芥集』に連署した。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦い討死した。洲島周辺は冨塚仲綱他七名により統治されいたが、乱以後勝利を収めた伊達晴宗勢に属した湯目雅樂允他五名により統治された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

富塚宗綱【とみづかむねつな(1540~1613)】

富塚仲綱の男。官途は近江守。通称孫兵衛門。1542年、「伊達天文の乱」で父富塚仲綱が伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦い討死した。乱後、改易処分に処された。伊達輝宗に仕え所領の一部を返還された。1589年、「人取橋の戦い」で伊達政宗に従い佐竹義重勢と戦い戦功を挙げた。1592年、「文禄の役」で岩出山城の留守役を務めた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

富塚信綱【とみづかのぶつな(15??~1627)】

富塚宗綱の男。1586年、「人取橋の戦い」で父の富塚宗綱に従い佐竹義重勢と戦い戦功を挙げた。1592年、「文禄の役」で伊達政宗に従い李氏朝鮮勢と戦い戦功を挙げた。1622年、最上義俊が改易されると伊達政宗の母保春院を仙台に連れ帰った。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

富塚宗総【とみづかむねふさ(1583~16??)】

富塚宗綱の次男。別名柴田五左衛門。1600年、「白石城の戦い」で弟の山川賢信とともに直江兼続勢と戦い戦功を挙げたが認められず出奔した。1614年、「大坂冬の陣」で山川賢信とともに羽柴秀頼に属して松平元康勢と戦った。

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【な】

苗村丈右衛門【なえむらじょうえもん(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重勢に従い参陣したが伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

中井政詮【なかいまさあき(15??~15??)】

山ノ内俊清家臣。大沼郡中井館主。1544年、山ノ内俊清が継嗣の山ノ内俊通に山ノ内家の家督を譲り、五男の山ノ内俊甫とともに玉縄館に隠居すると、それに従い玉縄館の支館として中井館を築き守備した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

中井山城守【なかいやましろのかみ(15??~15??)】

中井政詮の男。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢の攻撃を受け常陸国に落延びると山ノ内俊甫とともに伊達政宗に内応して山ノ内氏勝勢と戦った。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

長倉信濃守【ながくらしなののかみ(15??~15??)】

伊達稙宗家臣。伊達郡長倉館主。長倉家惣領職。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦い戦功を挙げた。乱後、伊達稙宗の敗北にとり没落した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

長倉伊賀守【ながくらいがのかみ(15??~15??)】

長倉信濃守の男。1542年、「伊達天文の乱」で長倉伊賀守とともに伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦い敗れて没落した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

長倉彦兵衛【ながくらひこべい(15??~15??)】

長倉信濃守家臣。1542年、「伊達天文の乱」で長倉家惣領職の長倉信濃守らが伊達稙宗に従い伊達晴宗勢と戦った。乱後伊達晴宗に従った長倉彦兵衛が長倉家惣領職を継承し所領を安堵された。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

長沢彦左衛門【ながさわひこざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

中島宗忠【なかじまむねただ(15??~15??)】

懸田俊宗家臣。伊達郡保原館主。官途は伊勢守。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗勢に属した懸田俊宗から離反して伊達晴宗勢に属した。1553年、「懸田城の戦い」で懸田俊宗が伊達晴宗に謀反を起こすと懸田俊宗のもとを離れ伊達晴宗に属した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中島信利【なかじまのぶとし(15??~15??)】

中島宗忠の男。1565年、「小斎館の戦い」で相馬盛胤勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中島宗求【なかじまむねもと(1552~1622)】

中島宗忠の次男。官途は伊勢守。室は富塚宗綱の娘。1565年、「小斎館の戦い」で相馬盛胤勢と兄中島信利が討死したため、中島家の家督を相続した。1589年、「駒ヶ峰館の戦い」で相馬盛胤勢と戦い戦功を挙げ金山館2,000石を領した。1595年、伊達政宗が羽柴秀次との謀反の嫌疑を受けると湯目景康とともに羽柴秀吉に釈明を行った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中島信真【なかじまのぶざね(15??~16??)】

中島宗忠の三男。通称大蔵。1592年、気仙沼郡二日市館主に任じられた。参考文献:「みちのくトリッパー」byAtom。

中島宗勝【なかじまむねかつ(1578~1617)】

中島宗求の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中島宗信【なかじまむねのぶ(15??~15??)】

中島宗求の三男。1617年、兄の中島宗勝が病没したため、中島家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中島利久【なかしまとしひさ(15??~15??)】

芦名盛高家臣。耶麻郡中島館主。官途は美濃守。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

中島信清【なかしまのぶきよ(15??~15??)】

穴沢俊恒の五男(中島利久の養子)。官途は左馬介。通称左衛門。別名穴沢貞利。1584年、芦名盛高の意向を受け桧原を逐われた穴沢衆とともに中島館を守備した。三瓶重実、伊東大膳とともに鹿垣砦を守備した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

中島弥兵衛【なかじまよへい(15??~1590)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実秀勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

長瀬吉右衛門【ながせきちえもん(15??~15??)】

須田盛久家臣。須田家七騎衆。家老職を務めた。590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ須田盛秀とともに常陸国に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

中地盛祐【なかちもりすけ(15??~15??)】

安積郡小倉館主。別名伊東盛祐。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

中地盛恒【なかちもりつね(15??~15??)】

中地盛祐の男。官途は薩摩守。別名伊東盛恒。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦った。1590年、「陸中名生城の戦い」で大崎義隆勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

長沼宗教【ながぬまむねのり(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。通称彦左衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

長沼宗綱【ながぬまむねつな(15??~1590)】

長沼宗教の男。通称又四郎。1590年、「須賀川城の戦い」で父長沼宗教に従い伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

長沼孫治【ながぬままごはる(15??~15??)】

長沼宗教の三男(国分胤賢の養子)。官途は勘解由。通称亀千代。別名国分胤則。1590年、「須賀川城の戦い」で父長沼宗教に従い伊達成実勢と戦い須賀川城が落城すると佐竹義宣のもとに落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

長沼秀光【ながぬまひでみつ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。通称源五左衛門。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦った。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼盛秀【ながぬまもりひで(14??~1526)】 

芦名盛高家臣。会津郡鴨山館主。1495年、「松本輔豊の乱」で芦名盛高に謀反を起こし敗れ下野国に落延びる松本輔忠、伊藤民部を追撃して33騎を討取る戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼実国【ながぬままさくに(1498~1565)】

長沼盛秀の男。官途は豊後守。1521年、「桧玉の戦い」で芦名盛舜勢の攻撃を受け敗退した。1532年、芦名盛舜に降伏した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼盛秀【ながぬまもりひで(1544~1590)】
 
長沼実国の男。官途は兵庫。通称弥七郎。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重から離反して伊達政宗勢に属した。1590年、「大豆渡村の戦い」で伊達政宗に属したため、河原田盛勝勢の攻撃を受け負傷した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼福国【ながぬまふくくに(15??~15??)】

長沼盛秀の男。1590年、「大豆渡村の戦い」で父長沼盛秀が河原田盛勝勢と戦い討死したため、長沼家の家督を相続した。「奥州仕置」で伊達政宗が陸前岩出山城に転封すると、それに従い700石を領した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼盛重【ながぬまもろしげ(15??~15??)】

長沼盛秀の次男。1590年、「奥州仕置」で伊達政宗が陸前岩出山城に転封するとそれに従い1,500石を領した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼九郎左衛門【ながぬまくろうざえもん(15??~15??)】

長沼盛秀の三男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼藤九郎【ながぬまとうくとう(15??~15??)】

長沼宗政家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼藤内【ながぬまとうない(15??~15??)】

長沼藤九郎の男。官途は備前守。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

長沼掃部助【ながぬまかもんのすけ(15??~15??)】

長沼掃部の男。通称藤右衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

中ノ目式部大輔【なかのめしきぶたいゆう(15??~15??)】

佐瀬常和の男。1585年、「黒川城の戦い」で芦名盛氏の意向を受け平田範重、佐瀬常成、沼沢実通らとともに伊達政宗勢に内応した松本輔弘を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中野宗時【なかのむねとき(1501~1571)】

伊達稙宗家臣。智謀に優れ軍配者を務めた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗の拡張政策に不満を持ち伊達晴宗を擁立して伊達稙宗を隠居に追い込んだ。伊達晴宗から特権を与えられ権勢を振った。1570年、「中野宗時、牧野久仲の乱」で牧野久仲とともに伊達輝宗勢と戦い敗れ相馬盛胤を頼り落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中野親時【なかのちかとき(15??~15??)】

中野宗時の男。室は桑折景長の娘。1536年、伊達稙宗とともに分国法である『塵芥集』の制定にあたって、父中野宗時とともに家老評定人として連署した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

中丸三郎左衛門【なかまるさぶろうさえもん(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。伊北郡小林館主。1589年、「小林館の戦い」で長沼盛秀、布沢上野介勢の攻撃受け討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

中丸新九郎【なかまるしんくろう(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

中丸光政【なかまるみつまさ(15??~15??)】

山ノ内俊行家臣。通称三郎左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

永間源右門【ながまげんえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

中村勝九郎【なかむらかつくろう(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

中村新左衛門【なかむらしんざえもん(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

中村図書【なかむらとしょ(15??~1586)】

田村清顕家臣。安積郡中村館主。1586年、「中村館の戦い」で二階堂行親の家臣須田盛秀、河井甲斐守勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

中村主馬【なかむらしゅめい(15??~1586)】

中村図書の弟。1586年、「中村館の戦い」で二階堂盛義の家臣須田盛秀、河井甲斐守勢の攻撃を受け兄中村図書とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

中村八郎【なかむらはちろう(15??~15??)】

中村図書家臣。1586年、「中村館の戦い」で二階堂盛義の家臣須田盛秀、河井甲斐守勢の攻撃を受け中村図書が討死すると手勢とともに伊達政宗のもとに落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

中村秀顕【なかむらひであき(15??~1582)】

二階堂盛義家臣。通称三郎。1582年、「御殿河原の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い討死した。

中村秀治【なかむらひではる(15??~15??)】

中村秀顕の弟。通称助七郎。1582年、「御殿河原の戦い」で兄中村秀顕が田村清顕勢と戦い討死したため、中村家の家督を相続した。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ帰農した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

滑川藤十郎【なめかわとうじゅうろう(15??~15??)】

守屋俊重家臣。岩瀬郡柏木館主。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

楢葉拾左衛門【ならはすてざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

楢葉清左衛門【ならはせいざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

成田一平【なりたかずひら(15??~15??)】

中島宗求の次男。領内の農民を惨殺した咎にとり改易処分に処された。参考文献:「みちのくトリッパー」by大槻一憨。

難波掃部左衛門【なんばかもんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

難波又七【なんばまたしち(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

難波治助【なんばはるすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

難波新左衛門【なんばしんざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

新妻杢之助【にいづまじょうのすけ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

二階堂行詮【にかいどうゆきあきら(14??~1495)】

岩瀬郡須賀川城主。二階堂行光の男。官途は山城守。1484年、「岩瀬長沼館の戦い」で芦名盛高勢の攻撃を受けた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

二階堂行景【にかいどうゆきかげ(14??~1504)】

二階堂行詮の男。1495年、父二階堂行詮の病没により二階堂家の家督を相続した。1504年、継嗣をもうけず病没したため、弟の二階堂晴行が二階堂家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

二階堂晴行【にかいどうはるゆき(14??~1542)】

二階堂行詮の次男。官途は遠江守。1534年、伊達稙宗、相馬顕胤と結んで岩城重隆、結城義親らと戦い戦功を挙げた。1536年、「喜連川五月坂の戦い」で那須高資勢とともに宇都宮尚綱を討取った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

二階堂輝行【にかいどうてるゆき(1508~1557)】 

二階堂晴行の男。官途は駿河守。室は伊達稙宗の娘。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

二階堂盛義【にかいどうもりよし(1532~1581)】 

二階堂輝行の男。官途は遠江守。室は伊達晴宗の娘(大乗院)。1563年、「横田松山城の戦い」で芦名盛氏勢と戦ったが、敗れて継嗣の芦名盛隆を人質にして和議を結んだ。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂行親、須田盛秀、遠見雅楽頭、矢部下野守、長沢彦左衛門、浜尾千斎、芦名盛隆の援軍を率いて田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

二階堂行親【にかいどうゆきちか(1570~1585)】

二階堂盛義の次男。官途は信濃守。通称二郎。1581年、父二階堂盛義が病没すると芦名盛氏の養子になった兄芦名盛隆に代わり二階堂家の家督を相続した。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。1585年、二階堂行親が病没すると二階堂盛義の未亡人阿南の方が城主を務め、城代の須田盛秀が補佐をした。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

二階堂行栄【にかいどうゆきひで(1581~16??)】

二階堂盛義の三男。1589年、「須賀川城の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受、守屋へ落延びた。京都の聖護院の修験者。1600年、徳善院を建立した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

二階堂行親【にかいどうゆきちか(1570~1585)】

二階堂盛義の次男。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

二階堂続綱【にかいどうつぐつな(15??~15??)】

二階堂行光の男。官途は備前守。1563年、岩城重隆への書状に二階堂照綱、二階堂照重とともに連署した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

二階堂照重【にかいどうてるしげ(15??~15??)】

二階堂行光家臣。官途は修理亮。1563年、岩城重隆への書状に二階堂続綱、二階堂照重とともに連署した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

二階堂照綱【にかいどうてるつな(15??~15??)】

二階堂行光家臣。官途は右京亮。1563年、岩城重隆への書状に二階堂続綱、二階堂照重とともに連署した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

二階堂孫平【にかいどうまごへい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

西野右衛門【にしのうえもん(15??~1585)】

大内定綱家臣。鉄炮衆。1585年、「小手森館の戦い」で石川光貞に従い小手森館に籠城した。鉄炮で伊達政宗勢を六騎余り討取った。伊達政宗勢に突撃して串刺しになり討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

西牧甚四郎【にしまきじんしろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

西山惣兵衛【にしやまそうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

新国貞通【にっくにさだみち(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。官途は上総介。1566年、芦名盛氏から岩瀬郡長沼城代に任じられた。1576年、「長沼城の戦い」で佐竹義重、田村清顕勢の攻撃を受けたがこれを撃退した。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が佐竹義宣のもとに落延びると伊達政宗勢の猪苗代盛国、柴野弾正、桜田資親勢の攻撃を受け降伏した。蒲生氏郷に仕えたが、勘気をこうむり所領ぼ没収された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新国庄蔵【にっくにしょうぞう(1583~1631)】

栗村盛胤の男(新国貞通の養子)。通称彦左衛門。別名水原親清。1584年、「松本行輔の乱」で父の栗村盛胤が芦名盛隆勢と戦い松本行輔とともに討死すると祖父の新国貞通に養育された。1590年、「奥州仕置」で新国貞通が改易処分に処されると長尾景勝の家臣水原親憲に仕えた。1600年、「羽前長谷堂城の戦い」で水原親憲に従い最上義光勢と戦い戦功を挙げた。1619年、水原憲胤とともに長尾景勝のもとを出奔して酒井忠勝に仕えた。酒井忠勝のもとを離れ戸沢政盛に仕え300石を領した。著書に『東国太平記』。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新国友親【にっくにともちか(15??~16??)】

新国庄蔵の男。別名水原友親。

新国康親【にっくにやすちか(15??~16??)】

新国庄蔵の次男。別名水原康親。

新国彦六【にっくにろくろう(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。

新国三郎兵衛【にっくにさぶろうびょうえ(15??~15??)】

猪苗代盛胤家臣。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤に従い猪苗代盛国勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

二瓶内蔵助【にへいくらのすけ(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1565年、「檜原峠の戦い」で穴沢信徳に従い伊達輝宗勢の攻撃を撃退した。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

沼崎六右衛門【ぬまさきろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

沼崎平左衛門【ぬまさわへいざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

沼沢政重【ぬまざわまさしげ(15??~15??)】

大沼郡沼沢館主。沼沢政清の男。官途は出雲守。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。 

沼沢実通【ぬまざわさねみち(15??~15??)】

沼沢政重の男。官途は出雲守。1558年、「岩谷城の戦い」で山ノ内俊政、横田俊範らとともに松本舜輔を降伏に追込んだ。1585年、「黒川城の戦い」で中ノ目式部大輔、佐瀬常成、平田範重らとともに伊達政宗に内応した松本輔弘を討取る戦功を挙げた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗に敗れると芦名盛重とともに佐竹義宣のもとに落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

沼沢忠通【ぬまざわただみち(1575~1647)】

沼沢実通の男。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗に敗れると父沼沢実通とともに佐竹義宣のもとに落延びた。1590年、芦名盛重の意向を受け畠山義綱を討取る功を上げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

沼沢左近【ぬまさわさこん(15??~1570)】

芦名盛氏家臣。1570年、「二本松城の戦い」で芦名盛氏に従い畠山義国勢と戦い討死した。

野川直賢【のがわなおかた(15??~1590)】

二階堂盛義家臣。官途は監物。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

野口仁平【のぐちじんべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

野地勘九郎【のじかんくろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

野地四郎平【のじしろうべい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

野地善太夫【のじぜんだいふ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

野地主馬【のじしゅめい(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

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【は】

芳賀勝房【はがかつふさ(15??~15??)】

河原田秀光の次男(芳賀大膳の養子)。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

芳賀近江守【はがおうみのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦った。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

長谷川宮内【はせがわくない(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。  
 
長谷川織部【はせがわおりべ(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。  

畠山村国【はたけやまむらくに(1475~1542)】

安達郡二本松城主。畠山政国の男。官途は右馬頭。別名二本松晴国。
参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山家泰【はたけやまいえやす(1512~1546)】

畠山村国の男。通称は七郎。別名二本松家泰。1542年、父畠山村国の病没により畠山家の家督を相続した。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗勢に属して伊達晴宗勢と戦った。1543年、堀越興行とともに伊達稙宗を信夫郡八丁目城に迎えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山義氏【はたけやまよしうじ(15??~1547)】

畠山村国の次男。官途は信濃守。通称七郎。別名二本松義氏。1546年、兄畠山家泰が病没したため、畠山家の家督を相続した。まもなく病没した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山義国【はたけやまよしくに(1521~1580)】

新城村尚の男(畠山義氏の養子)。官途は右京亮。別名新城尚国。1547年、継嗣をもうけずに病没した畠山義氏の家督を相続した。1546年、「本宮館の戦い」で畠山義国の家督相続に反対して謀反を起こした本宮宗頼を岩城に追落とした。1551年、結城晴綱とともに芦名盛氏と田村隆顕の和議を仲介した。1570年、伊達輝宗の家臣堀越宗範が信夫郡八丁目館ごと内応させた。1574年、「八丁目館の戦い」で伊達実元、芦名盛興勢の攻撃を受け八丁目館を失い堀越宗範を追放処分に処した。1576年、「片平館の戦い」で畠山義継は芦名、二階堂の支援を受け、田村清顕、大内定綱勢と戦ったが敗れ片平館を失った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山義継【はたけやまよしつぐ(1552~1585)】

畠山義国の男。官途は右京亮。通称七郎。別名別名二本松義継。1580年、父畠山義国の病没によりて畠山家の家督を相続した。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱を支援したため、伊達政宗勢の攻撃を受け伊達政宗と和議を結んだ。所領問題から伊達輝宗を拉致して二本松城に落延びるが、伊達政宗勢の追撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山義綱【はたけやまよしつな(1574~1589)】

畠山義継の男。通称国王丸。別名二本松義綱。1585年、父畠山義継の討死後、畠山家の家督を相続した。1586年、「二本松城の戦い」で伊達政宗勢の攻勢を受け芦名盛隆のもとに落延びた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗に敗れると芦名盛重とともに佐竹義宣のもとに落延びた。芦名盛重の家臣沼沢実通に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山満重【はたけやまみつしげ(15??~15??)】

畠山義綱の男。官途は右京亮。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

畠山国次【はたけやまつくにつぐ(15??~16??)】

畠山義継の次男。別名二本松国次。1586年、「二本松城の戦い」で伊達政宗勢の攻勢を受け兄畠山義綱とともに芦名盛隆の家臣富田氏実もとに落延びた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗に敗れると畠山義綱とともに佐竹義宣のもとに落延びた。1590年、畠山義綱が芦名盛重に謀殺されると長尾景勝に仕えた。1600年、「関ヶ原の役」で長尾景勝に従い最上義光勢と戦った。その後、加藤嘉明に仕えた。1643年、加藤明成が改易処分に処されると水野忠善に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

服部源内【はっとりげんない(15??~15??)】

大内定綱家臣。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱に従い伊達政実の家臣羽田実景の支援を受けた青木弘房勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

服部彦兵衛【はっとりひこべい(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

服部興秀【はっとりおきひで(15??~15??)】

須田盛秀家臣。岩瀬郡根岸館主。通称右金吾。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

服部秀正【はっとりひでまさ(15??~15??)】

服部興秀の男。官途は伊豆守。須田家七騎衆。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

服部秀武【はっとりひでたけ(1552~1590)】

服部興秀の九男。通称左衛門尉。1590年、「須賀川城の戦い」で遠藤壱岐守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い大黒石口で討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

花川藤左衛門【はながわとうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

羽石刑部【はねいしぎょうぶ(15??~15??)】

長沼宗教家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で長沼宗教勢に従い伊達成実勢と戦った。須賀川城が落城すると寺川治兵衛とともに長沼孫治を守って佐竹義宣のもとに落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

羽田実景【はねたしげかげ(15??~15??)】 

伊達実元家臣。通称右馬助。祖父の羽田因幡守が伊達稙宗に仕え20貫文を領した。伊達実元の附家老職を務めた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗勢に従い減封処分を受けた。1585年、「苅松田館の戦い」で大内定綱に謀反を起こした青木弘房を支援するため、苅松田館に籠城した。「人取橋の戦い」で伊達政宗に従って参陣して戦功を挙げた。1586年、「渋川城の戦い」で畠山義綱勢の攻撃を受け苦戦を強いられた。1588年、「伊達大崎の戦い」で留守政景、泉田重光勢に従い大崎義隆勢と戦った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

羽田実景【はねたさねかげ(15??~1595)】

羽田実景(同名)の男。伊達成実の筆頭家老職を務めた。1595年、「角田城の戦い」で伊達成実が出奔したため、伊達成実の妻子とともに籠城した。伊達政宗の家臣屋代景頼勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

羽田小吉【はねたこきち(15??~15??)】

羽田実景家臣。1595年、伊達成実の出奔に従った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

羽田実兼【はねたさねかね(15??~15??)】

羽田丹後守の男。官途は将監。通称右兵衛。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

羽田文九郎【はねたぶんころう(1572~1588)】

羽田実景家臣。1588年、「郡山の戦い」で伊達成実に従い芦名盛重勢と戦い討死した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

羽田与左衛門【はねだよざえもん(15??~15??)】

羽田実景家臣。鉄炮衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

羽田伝右門【はねだでんえもん(15??~15??)】

羽田実景家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場美濃守【ばばみののかみ(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

馬場伯耆守【ばばほうきのかみ(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

馬場丹波守【ばばたんばのかみ(15??~15??)】

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場次郎右衛門【ばばじろうざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。別名馬場三七。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場蔵人【ばばくらうど(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場次郎兵衛【ばばじろうびょうえ(15??~16??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場宗成【ばばむねなり(15??~15??)】

伊達植宗家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場成清【ばばなりきよ(15??~15??)】

馬場宗成の男。通称殿主。伊達実元に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場元清【ばばもときよ(15??~15??)】

馬場成清の男。官途は但馬守。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

馬場好清【ばばよしきよ(15??~15??)】

馬場好清の次男。通称伊兵衛。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

浜尾義泰【はまおよしやす(15??~15??)】

二階堂照行家臣。岩瀬郡新田館主。官途は豊前守。通称右衛門大夫。1548年、「牛庭原の戦い」で須田備前守、矢部主税祐とともに伊達稙宗勢を撃退する戦功を挙げた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

浜尾行泰【はまおゆきやす(1543~1623)】

浜尾義泰の男。官途は駿河守。通称右衛門大夫。別名「漸斎」。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。1582年、新田館を遠藤対馬守に渡し今泉館に転封した。1598年、「須賀川城の戦い」で伊達成実に内応して先陣を務め須田盛秀勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「白石城の戦い」で伊達政宗に従い長尾景勝勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

浜尾盛泰【はまおもりやす(15??~15??)】

浜尾行泰の男。官途は駿河守。1598年、「須賀川城の戦い」で父の浜尾行泰とともに伊達成実に内応して先陣を務め須田盛秀勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

浜尾宗泰【はまおむねやす(15??~15??)】

浜尾行泰の次男。官途は豊前守。別名川島宗泰。1598年、「須賀川城の戦い」で兄の浜尾行泰とともに伊達成実に内応して先陣を務め須田盛秀勢と戦い戦功を挙げた。仙台城築城に功を上げた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

浜尾藤一郎【はまおとういちろう(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾三河守【はまおみかわのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾内蔵助【はまおないぞうのすけ(15??~15??)】

浜尾三河守の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾三河守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾孫十郎【はまおまごじゅうろう(15??~15??)】

浜尾三河守の次男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾三河守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾筑後守【はまおちくごのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾内匠【はまおたくみ(15??~15??)】

浜尾筑後守の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾筑後守従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾志摩守【はまおしまのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾内記允【はまおないきのじょう(15??~15??)】

浜尾志摩守の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾志摩守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾弥兵衛【はまおよへいじ(15??~15??)】

浜尾志摩守の次男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾志摩守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜尾内匠助【はまおたくみのすけ(15??~15??)】

浜尾志摩守の三男。1590年、「須賀川城の戦い」で父浜尾志摩守に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

浜野甚左衛門【はまのじんぜえもん(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

浜野帯刀【はまのたてわき(15??~15??)】

河原田盛頼家臣。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

林甚二郎【はやしじんじろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1585年、「黒川城の戦い」で松本輔弘勢の攻撃を受けると芦名盛隆の内室を護衛した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

早原彦右衛門【はやはらひこえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

針生盛幸【はりゅうもりさち(1515~1553)】

耶麻郡針生館主。芦名盛滋の次男。官途は民部大助。別名「西丸殿」。筆頭家老職を務めた。父芦名盛滋が弟の芦名盛舜に家督を譲った後に生まれたため、別家を立てた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

針生盛秋【はりゅうもりあき(1538~1562)】

針生盛幸の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

針生盛貞【はりゅうもりさだ(15??~15??)】

針生盛幸の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

針生盛信【はりゅうもりのぶ(1553~1625)】

針生盛秋の男。官途は民部大輔。通称小太郎。1576年、芦名盛氏のもとで筆頭家老職を金上盛備と争い家中の分裂を招いた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い会津黒川城を追われると伊達政宗に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

針生清之助【はりうせいのすけ(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗退すると芦名盛重に従い黒川城を守備した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

半沢源内【はんざわげんない(15??~1585)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け畠山義継らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

半沢十郎左衛門【はんざわじゅうろうざえもん(15??~15??)】

伊達植宗家臣。官途は山城守。伊達実元の附家老職に任じられた。1542年、「伊達天文の乱」で伊達植宗に従い戦功を挙げた。1545年、伊達植宗から諸役を免じられた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢市郎右衛門【はんざわいちろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢次郎右衛門【はんざわじろうえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢久右衛門【はんざわひさえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢帯刀【はんざわたてわき(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢出雲守【はんざわいずものかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢左平治【はんざわさへいじ(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢内記【はんざわないき(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

半沢吉右門【はんざわきちえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

引川源五郎【ひきかわげんごろう(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

樋口兼秋【ひぐちかねあき(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。通称頼母。1560年、「石川松山の戦い」で芦名盛氏に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

樋口越前守【ひぐちえちぜんのかみ(15??~15??)】

伊達実元家臣。兵法者。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

樋口長勝【ひぐちながかつ(15??~15??)】

樋口越前守の男。官途は修理。通称六之丞。御物成調、御館惣御普請役などを務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

樋口千久之助【ひぐちちひさのすけ(15??~16??)】

樋口越前守の養子。通称安右衛門。父の樋口越前守の隠居領を相続した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

樋口長光【ひぐちながみつ(15??~16??)】

樋口長勝の養子。通称弥惣左衛門。室は樋口長勝の娘。騎馬衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達宗実に仕えた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

鬚四郎左衛門【ひげしろうざえもん(15??~15??)】

芦名盛氏家臣。1565年、「檜原峠の戦い」で穴沢信徳に従い伊達輝宗勢の攻撃を撃退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

日出山詮次【ひでやまあきつづ(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。通称又二郎。1583年、星安芸とともに小笠原長時を謀殺した坂西勝三郎を討取った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

日照田則雅【ひてるだまさはる(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡日照田館主。吉田勝重の五男。通称主膳。

日照田大学【ひてるだだいがく(15??~15??)】

日照田則雅の男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

日照田是道【ひてるだこれみち(15??~15??)】

佐藤勝義の三男(日照田大学の養子)。

平井久太郎【ひらいひさたろう(15??~1589)】

芦名盛隆家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

平田範政【ひらたのりまさ(15??~15??)】

耶麻郡鏡ヶ館主。官途は河内守。芦名家四天王。鏡ヶ館5,000石を領した。

平田輔範【ひらたすけのり(15??~15??)】

平田範政の男。官途は周防守。通称左衛門尉。

平田舜範【ひらたあきのり(15??~15??)】

平田輔範の男。官途は周防守。別名平田常範。1568年、長尾景虎の家臣河田長親との取次役を務めた。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で芦名盛隆に従い大槻政通、山ノ内重勝勢と戦い戦功を挙げた。1586年、芦名亀王丸が病没すると芦名家惣領職に富田氏実とともに伊達輝宗の次男伊達政道を擁立したが、佐竹義重の次男芦名盛重を擁立した金上盛備に敗れ芦名家の主導権を失った。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い後陣を務めたが、伊達政宗勢の攻撃を受け敗退して伊達政宗に降伏した。「横田城の戦い」で伊達政宗勢に従い山ノ内氏勝勢と戦った。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

平田長範【ひらたながのり(1573~1634)】

平田舜範の次男(清野康祐の養子)。官途は周防守。通称助次郎。別名清野長範。室は井上清次の娘。芦名盛隆から人質として長尾景勝のもとに送られた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が滅亡すると長尾景勝に仕えた。1592年、清野康祐が嗣子の無いまま死去したため、井上家の家督を相続して信州猿ヶ馬場館4,177石を領した。1598年、長尾景勝が会津黒川城に転封すると伊南城11,000石を領した。1633年、樋口兼続が病没すると長尾定勝から島津利忠とともに米沢奉行職に任じられた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

平田鮮範【ひらたせんのり(15??~16??)】

平田舜範の三男。平田家の家督を相続した。長尾景勝に仕えた。1600年、「関ヶ原の戦い」で長尾景勝に従い伊達政宗、石田三成勢の敗北で戦うことなく兵を退いた。

平田盛範【ひらたもりのり(15??~15??)】

平田範政の次男。官途は石見守。1540年、「黒川大火」で焼失した諏訪社を再建した。

平田光輔【ひらたみつすけ(15??~15??)】

平田盛範の男。

平田家重【ひらたいえしげ(15??~15??)】

平田光輔の男。

平田太郎左衛門【ひらたたろうざえもん(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。勘気を受け芦名盛氏のもとを退去した。娘(阿久利)を人質にして伊達政宗に内応した。1586年、柴野弾正忠を内応させ、伊達政宗勢を柴野弾正忠の喜多方館に引き込んだ。その後、再び返り忠して柴野弾正忠の謀反を芦名盛重勢に知らせた。米沢城に戻り娘の阿久利を救い出そうとして捕縛さ討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

平田五郎【ひらたごろう(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い殿を務めたが伊達政宗勢の追撃を振り切り黒川城に帰城した。黒川城を守備した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

平田石見守【ひらたいわみのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

広瀬藤内【ひろせとうない(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤勢の攻撃を受けた菊曲館を支援した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

伏田小左衛門【ふしだこざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

藤田晴親【ふじたはるちか(15??~15??)】

懸田俊宗の次男。伊達郡藤田館主。通称七郎。1553年、懸田俊宗の次男藤田晴親が伊達稙宗の了承を得て藤田家の名跡を相続した。1552年、「懸田城の戦い」で懸田俊宗が討死すると藤田晴親は相馬顕胤を頼って落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

藤田宗和【ふじたぬねかず(15??~15??)】

藤田晴親の男。1552年、「懸田城の戦い」で叔父の懸田俊宗が討死すると父藤田晴親とともに相馬顕胤を頼って落延びた。1576年、帰参して伊達輝宗に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

舟山左太郎【ふなやまさたろう(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

舟山弥左衛門【ふなやまよざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

舟田次郎左衛門【ふなだじろうざえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

古川定政【ふるかわさだまさ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡松塚村館主。官途は讃岐守。1589年、「松塚館の戦い」で伊達成実勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

古耶野主善【ふるまのしゅぜん(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

古山五左衛門【ふるやまごえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

星右近【ほしうこん(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。1589年、「横田城の戦い」で伊達政宗の家臣大波玄蕃勢の攻撃を受けたが、これを撃退した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

星憲図【ほしのりと(15??~15??)】

長沼宗政家臣。通称弾正左衛門。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

星弾右衛門【ほしだんえもん(15??~15??)】

折橋弾正の三男。官途は大和守。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

保土原行有【ほどわらいくあり(15??~15??)】

二階堂輝行家臣。岩瀬郡保土原館主。通称兵部大輔。保土原館300石を領した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

保土原行藤【ほどわらゆきふじ(1538~1620)】

保土原行有の男。官途は左近将監。別名「江南斎」。和歌に優れ、茶道にも嗜みの深い風雅数寄の人物。1560年、「新館の戦い」で二階堂盛義に内応した新城備後守を支援して白河結城晴綱勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1598年、「須賀川城の戦い」で伊達成実に内応して先陣を務め須田盛秀勢と戦い戦功を挙げた。1590年、「大里城の戦い」で伊達政宗勢に属して箭田野義正勢と戦った。伊達政宗が陸前岩出山城に転封すると志田郡新沼館1,000石を領した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

保土原重行【ほどわらしげゆき(15??~15??)】

保土原行藤の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

保土原万五郎【ほどはらまんごろう(15??~1574)】

芦名盛氏家臣。1574年、「郡山の戦い」で芦名盛氏に従い田村清顕勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

堀江式部【ほりえしきぶ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

堀江越中守【ほりええっちゅう(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えるとkm畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。1586年、「箕輪館の戦い」で伊達成実に内応して人質を差し出し箕輪館に籠城したが芳川寛清勢の攻撃を受け落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

堀金左京【ほりかねさきょう(15??~15??)】

山ノ内俊光家臣。伊北郡小林館主。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

堀切内匠【ほりきりたくみ(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。

本内主水【ほんうちもんど(15??~1588)】

伊達成実家臣。1588年、「苗代田館の戦い」で大内定綱勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

本田平内【ほんだへいない(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

本名右衛門佐【ほんみょうさえもんのさ(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1585年、「黒川城の戦い」で松本輔弘勢の攻撃を受けると芦名盛隆の内室を米倉に匿い、謀反を東光寺の芦名盛隆に知らせた。佐瀬常成勢とともに三の丸に松本輔弘勢と戦い負傷した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

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【ま】

前田沢兵部【まえだざわひょうぶ(15??~15??)】

大内定綱家臣。安達郡渋川館主。1585年、「小浜城の戦い」で大内定綱が芦名盛重のもとに落延びたため、娘の阿万を人質に伊達政宗に降伏した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

舞木助右衛門【まきすけえもん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。田村郡舞木館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

松本輔明【まつもとすけあき(14??~15??)】

大沼郡船岡館主。松本輔晴の男。官途は筑前守。通称藤右衛門。松本家惣領職。1492年、「松本輔明の乱」で猪苗代盛頼、富田頼祐らとともに謀反を起こした。

松本行輔【まつもとゆきすけ(14??~1498)】

松本輔明の男。官途は豊前守。1495年、「松本輔豊の乱」で弟の松本輔忠が芦名盛高に謀反を起こしたが芦名盛高勢の反撃を受け討死した。次弟の松本輔之とともに芦名盛高に松本輔忠の不忠を詫び帰参を願い出た。1498年、芦名盛高に謀殺された。

松本輔之【まつもとすけゆき(14??~1498)】

松本行輔の男。通称右馬允。1492年、父松本行輔とともに芦名盛高に叔父松本輔豊の不忠を詫び帰参を願い出た。1498年、松本行輔とともに芦名盛高に謀殺された。

松本輔豊【まつもとすけとよ(15??~1495)】

松本輔明の次男。耶麻郡綱取館主。官途は備前守。1495年、「松本輔豊の乱」で伊藤民部とともに芦名盛高に謀反を起こしたが芦名盛高勢の反撃を受け敗退した。伊藤民部とともに宇都宮成綱を頼り落延びようとしたが長沼政義勢の追撃を受け謀殺された。

松本宗輔【まつもとむねすけ(15??~1555)】

松本輔豊の男。官途は勘解由。通称与右衛門。1495年、「松本輔豊の乱」で父の松本輔豊が芦名盛高に謀反を起こしたが芦名盛高勢の反撃を受け討死した。1555年、「松本輔敦の乱」で小桧山盛長とともに芦名盛氏に謀反を起こすが芦名盛氏勢の反撃を受け討死した。

松本舜輔【まつもときよすけ(15??~15??)】

松本宗輔の男。官途は図書介。1538年、「黒川大火」で松本舜輔の屋敷が出火もととなったため、図書助の官途を剥奪された。1558年、「岩谷館の戦い」で山ノ内俊政、横田俊範勢の攻撃を受け城代の井上河内守が守る岩谷城が攻落とされた。山ノ内俊政と芦名盛氏の和議が結ばれたが岩谷城は返還されなかった。

松本氏輔【まつもとうじすけ(1535~1574)】

松本舜輔の男。官途が図書介。通称勘解由。別名松本致輔。1566年、伊達晴宗との起請文に平田実輔、佐瀬種常、富田滋実とともに連署した。1574年、「郡山の戦い」で田村清顕勢と戦い討死した。

松本行輔【まつもとゆきすけ(1569~1584)】

松本氏輔の男。通称左衛門。1584年、「松本行輔の乱」で栗原盛胤と結び芦名盛隆を起こしたが芦名盛隆勢の反撃を受け討死した。

松本輔政【まつもとすけまさ(15??~1500)】

松本輔明の三男。中野館主。官途は対馬守。通称右馬允。1493年、「竹森城の戦い」で芦名盛高の陣代を務め、竹森丹波守を討取る戦功を挙げた。1500年、「中野館の戦い」で芦名盛高勢の攻撃を受け綱取館に落延びた。「綱取館の戦い」で

松本輔忠【まつもとすけただ(14??~15??)】

松本輔明の四男。大沼郡松岸館主。別名藤右衛門。1500年、「綱取館の戦い」で兄の松本輔政を匿ったため、芦名盛高勢の攻撃を受け松本輔政が討死した。

松本輔敦【まつもとすけあつ(15??~1555)】

松本輔忠の男。通称与右衛門。1555年、「松本輔敦の乱」で小桧山盛長とともに芦名盛氏に謀反を起こすが芦名盛氏勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

松本輔充【まつもとすけ(15??~15??)】

松本輔忠の次男。耶麻郡関柴館主。官途は長門守。別名関柴輔充。1522年、関柴館を領した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

松本輔弘【まつもとすけひろ(15??~1585)】

松本輔充の男。官途は備中守。別名関柴輔弘。1585年、「黒川城の戦い」で伊達政宗と結び芦名盛氏勢の中ノ目式部大輔、佐瀬常成、平田範重、沼沢実通勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

松本大学【まつもとだいがく(15??~1568)】

芦名氏方家臣。1568年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐、松山和泉守、三橋左衛門、常世次郎左衛門らとともに芦名氏方を擁立して芦名盛氏勢と戦ったが敗れて自刃した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

松本輔吉【まつもとすけゆき(14??~1498)】

松本輔晴の男。富田館主。官途は丹後守。

松本輔治【まつもとすけはる(14??~1498)】

松本輔吉の男。1498年、芦名盛高に謀殺された。
 
松本輔任【まつもとすけこれ(14??~1498)】

松本輔吉の次男。通称小四郎。1498年、兄の松本輔治とともに芦名盛高に誅殺された。

松本輔次【まつもとすけつぐ(15??~15??)】

松本舜輔家臣。

松本輔光【まつもとすけみつ(15??~15??)】

松本輔次の男。官途は伊豆守。通称左衛門。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で芦名盛隆に従い大槻政通、山ノ内重勝勢と戦った。

松本与市【まつもとよいち(15??~1585)】

大内定綱家臣。1585年、「小手森館の戦い」で伊達政宗の家臣原田宗時勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

松本助右衛門【まつもとすけえもん(15??~1585)】

大内定綱家臣。1585年、「小手森館の戦い」で伊達政宗の家臣原田宗時勢と戦い討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

松山和泉守【まつやまいずみのかみ(15??~1568)】

芦名氏方家臣。1568年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐、松本大学、三橋左衛門、常世次郎左衛門らとともに芦名氏方を擁立して芦名盛氏勢と戦ったが敗れて自刃した。

三浦常盛【みうらつねもり(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。耶麻郡島田館主。通称五郎。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三橋左衛門【みはしさえもん(15??~1568)】

芦名氏方家臣。1568年、「芦名氏方の乱」で富田義実、富田義祐、松本大学、松山和泉守、三橋左衛門、常世次郎左衛門らとともに芦名氏方を擁立して芦名盛氏勢と戦ったが敗れて自刃した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

宮崎善兵衛【みやざきぜんのひょうえ(15??~1589)】

山ノ内氏勝家臣。大沼郡宮崎館主。1589年、「松坂峠の戦い」で伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

宮下大善【みやしただいぜん(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。大沼郡宮下館主。通称新蔵人。別名中丸俊重。1589年、芦名盛重が滅亡すると次男宮下八郎左衛門とともに越後国に落延びた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

宮下俊朝【みやしたとしとも(15??~15??)】

宮下俊重の男(中丸家の養子)。通称新左衛門。別名中丸俊朝。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗勢との戦で猪苗代海賊衆を率いて伊達政宗勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

宮下忠常【みたしたただつね(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。宮下俊久の男。通称宮左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

宮下俊長【みやしたとしなが(15??~15??)】

宮下忠常の男。通称太郎右衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

箕輪業高【みのわなりたか(15??~15??)】

畠山義継家臣。通称玄蕃頭。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。1586年、「箕輪館の戦い」で伊達成実に内応して人質を差し出し箕輪館に籠城したが芳川寛清勢の攻撃を受け落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

箕輪五郎太夫【みのわごろうだいふ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「小手森館の戦い」で大内定綱を支援する畠山義継に従い伊達政実の家臣羽田実景勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

宮川一毛【みやかわいちもう(15??~15??)】

伊達輝宗家臣。1585年、大内定綱が伊達政宗から離反して小浜城に籠城すると伊達輝宗の意向を受け、五十嵐芦舟とともに大内定綱への使者を務めた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

宮床四郎左衛門【みやどこしろうざえもん(15??~15??)】

河原田盛次家臣。伊南郡宮床館主。1589年、「久川城の戦い」で宮床四郎左衛門の内室、木沢玄蕃らとともに寡兵の城兵に旗指物を立てさせ城中に大勢の兵が居るように見せかけた。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

村越雅楽丞【むらこしうたのじょう(15??~15??)】

須田盛秀家臣。岩瀬郡平館主。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

目黒越中守【めぐろえっちゅうのかみ(15??~15??)】 

山ノ内俊政家臣。目黒弥次郎の男。通称佐兵衛。家老職を務めた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

目々澤清景【めめさわきよかげ(15??~15??)】

伊達輝宗家臣。通称七郎。

目々澤重清【めめさわしげきよ(15??~15??)】

木幡盛清の男(目々澤清景の養子)。官途は丹後守。通称通称藤五郎。別名木幡重清。室は目々澤清景の娘。父木幡盛清が相馬盛胤に謀殺されたため、伊達輝宗の家臣目々澤七郎清景のもとに落延びた。伊達輝宗に仕え川樋館代を務めた。1570年、「川樋館の戦い」で最上義光勢の攻撃を受け討死した。

目々澤兼清【めめさわかねきよ(15??~15??)】

目々澤重清の男。官途は出羽守。

目々澤常良【めめさわつねよし(15??~15??)】

目々澤重清の次男。官途は大学。別名奥山常良。

本宮右兵衛【もとみやひょうえ(15??~15??)】

畠山義継家臣。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

本宮宗頼【もとみやむねより(15??~15??)】

畠山義氏家臣。安達郡本宮館主。別名川崎宗頼。1542年、「伊達天文の乱」で畠山義氏は伊達稙宗勢に属したが、本宮宗頼は伊達晴宗勢に属した。1546年、「本宮館の戦い」で畠山義氏勢の攻撃を受け岩城重隆のもとに落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

本宮直頼【もとみやむねより(15??~15??)】

本宮宗頼の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

守屋秀重【もりやひでしげ(15??~15??)】

二階堂照行家臣。岩瀬郡守谷館主。官途は筑後守。二階堂家四天王。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

守谷俊重【もりやとししげ(15??~1589)】

守屋秀重の男。官途は筑後守。1589年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い籠城したが伊達政宗勢の攻撃を受け内応して須賀川城下の長禄寺に放火を行い須田盛秀勢を混乱に陥れた。本領の安堵とともに1,000貫の加増を受けた。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

守谷重清【もりやしげきよ(15??~15??)】

守屋秀重の次男。官途は釆女正。1589年、「須賀川城の戦い」で兄守屋俊重とともに須賀川城に籠城したが守屋俊重とともに内応して伊達政宗から所領を安堵された。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

守屋重国【もりやしげくに(15??~15??)】

守谷俊重の男。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

前田実信【まえださねのぶ(1599~1646)】

伊達成実家臣。官途は図書。通称左門。室は伊庭野広義の娘。家老職を務めた。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。1646年、伊達成実が病没すると殉死した。辞世の句は「しと思う月にこころをおもい入りて かげもわが身もともに消えぬる」。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

前田茂太夫【まえだしげだいふ(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

前田川信濃守【まえだがわしなののかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

益子新右衛門【ますこしんえもん(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗退すると羽石駿河守に従い猪苗代路を守備した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

益子刑部【ますこけいぶ(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗退すると羽石駿河守に従い猪苗代路を守備した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

松井主殿【まついしゅでん(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1587年、「新発田重家の乱」で芦名盛隆の意向を受け小田切盛昭に従い新発田重家とともに長尾景勝勢と戦った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

松倉佐七【まつくらさしち(15??~15??)】

伊達成実家臣。徒歩衆。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

松下仲左衛門【まつしたなかざえもん(15??~15??)】

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

真柳長門守【まやなぎながとのかみ(15??~15??)】

伊達成実家臣。1595年、出奔した伊達成実の寄騎衆を務めた。伊達成実が帰参すると志賀備後守の仲介で復帰した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

真柳六左衛門【まやなぎろくざえもん(15??~16??)】

伊達成実家臣。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

三江内越中守【みえうちえっちゅうのかみ(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。継嗣の高橋越中守が伊達成実に仕えたため、それに従った。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

三島木右膳【みしまぎうぜん(15??~15??)】

須田秀顕家臣。家老職を務めた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

三島木治部太郎【みしまぎじぶたろう(15??~15??)】

須田秀顕家臣。家老職を務めた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

三橋盛茂【みはしもりしげ(15??~15??)】

芦名盛重家臣。耶麻郡菅井館主。官途は越中守。別名三橋盛友。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い敗れると芦名盛重とともに常陸国に落延びた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

宮崎行友【みやざきゆきとも(15??~15??)】

山ノ内俊清家臣。大沼郡宮崎館主。通称右近。別名山ノ内行友。室は山ノ内俊甫の娘。1544年、山ノ内俊清が継嗣の山ノ内俊通に山ノ内家の家督を譲り、五男の山ノ内俊甫とともに玉縄館に隠居すると、宮崎館を築き守備した。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢の攻撃を受け常陸国に落延びると山ノ内俊甫とともに伊達政宗に内応して山ノ内氏勝勢と戦った。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

宮崎内記【みやざきないき(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

宮野良方【みやのよしかた(15??~15??)】

伊達成実家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

宮野重長【みやのしげなが(15??~15??)】

宮野良方の弟。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

向山九兵衛【むかいやまくへい(15??~15??)】

室井左近家臣。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

武藤和泉守【むとういずみのかみ(15??~15??)】

平田舜範家臣。耶麻郡八幡館主。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

村木左馬之丞【むらきさまのじょう(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒行衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

本明主膳【もとあきしゅぜん(15??~1589)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦い殿を務め討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

本内主水【もとうちもんど(15??~1588)】   

伊達成実家臣。物頭を務めた。1588年、「苗代田城の戦い」で大内定綱勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

百井弥太郎【ももいよたろう(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

森九右衛門【もりくえもん(15??~16??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

守口庄左衛門【もりぐちしょうざえもん(15??~15??)】   

伊達実元家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

守屋作十郎【もりやさくじゅうろう(15??~15??)】   

門馬雅楽丞家臣。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

森代文二郎【もりよぶんじろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1585年、「黒川城の戦い」で松本輔弘勢の攻撃を受けると芦名盛隆の内室を護衛した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

門馬雅楽丞【もんまうなのじょう(15??~15??)】   

伊達実元家臣。伊達成実が亘理城を領すると新地城代職を務めた。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

門馬惣之丞【もんまそうのじょう(15??~15??)】   

門馬雅楽丞家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

門馬勘由【もんまかんゆ(15??~16??)】   

伊達成実家臣。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

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【や】

矢内八郎左衛門【やうちはちろうざえもん(15??~15??)】

猪苗代盛国家臣。1585年、「檜原館の戦い」で猪苗代盛胤に従い伊達政宗の家臣遠藤孫兵衛勢と戦い戦功を挙げたが退却した。1589年、「菊曲館の戦い」で猪苗代盛国が伊達政宗に内応したため、猪苗代盛胤勢の攻撃を受けた菊曲館を支援してた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

矢澤藤綱【やざわふじつな(15??~1590)】

山ノ内氏勝家臣。伊北郡大塩館主。1590年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い参陣したが、伊達政宗勢と戦い討死した。

安田勘左衛門【やすだかんざえもん(15??~15??)】

桜田資親家臣。1584年、普請奉行職に任じられ河股城の築城した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

安田隼人正【やすだはやとのじょう(15??~15??)】

矢部盛貞家臣。家老職を務めた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

屋代重次【やだいしげつぐ(15??~15??)】 

伊達忠宗家臣。通称五郎左衛門。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

箭田野行政【やだのゆきまさ(1524~1583)】

二階堂照行家臣。岩瀬郡矢田野館主。通称宮内大輔。官途は但馬守。別名二階堂行政。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

箭田野行義【やだのゆきよし(15??~15??)】

箭田野行政の男。官途は信濃守。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

箭田野義正【やだのよしまさ(1565~1623)】

箭田野行義の男。官途は安房守。通称名藤三郎。別名箭田野義正。1586年、「人取橋の戦い」で佐竹義重勢に従い伊達政宗の家臣伊東重信を討取る戦功を挙げた。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢の攻撃を受け常陸国に落延びると横田館の横田治部と結び伊達政宗勢と戦った。1590年、「須賀川城の戦い」で家臣の箭田野隆行、箭田野秀行を須賀川城に派遣して自身は矢田野館に籠城した。「大里館の戦い」で泉田将監、明石田左馬助と結び大里館に籠城して伊達政宗勢と戦い敗れ佐竹義宣のもとに落延びた。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

箭田野行正【やだのゆきまさ(1592~1643)】

箭田野義正の男。羽後国院内に居住した。参考文献:「元くらのすけ屋敷」byくらのすけ(蔵屑斎)。

箭田野隆行【やだのたかいき(15??~15??)】

箭田野行義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で箭田野義正の意向を受け箭田野秀行とともに須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

箭田野秀行【やだのひでゆき(15??~15??)】

箭田野行義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で箭田野義正の意向を受け箭田野隆行とともに須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

梁川宗清【やながわむねきよ(1532~1605)】

伊達稙宗の八男。伊達郡梁川城主。通称左衛門。別名伊達宗清。室は大條宗家の娘。1543年、伊達稙宗から梁川城主に任じられた。1582年、亀岡八幡宮に訪問した伊達政宗の訪問を受けた。1589年、伊達政宗が会津黒川城に転封すると米沢城留守居役に任じられた。1591年、伊達政宗が岩出山城に転封するとそれに従った。1593年、継嗣の白石宗直が白石家の家督を継ぎ、次男の村田宗友が村田家の家督を相続したため、梁川伊達家は嗣子なく断絶した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

梁川宗元【やながわむねもと(15??~15??)】

白石宗直の次男。伊達政宗の意向を受け梁川家を再興した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

柳沼正賢【やなぎぬままさはる(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。楠正具の男。通称与六左衛門。1565年、「伊勢八田館の戦い」で父楠正具が織田信長の家臣滝川一益勢の攻撃を受け磐城国に落延び白河結城晴綱に仕えた。1571年、須田盛秀の仲介で二階堂盛義に仕えた。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ常陸国に落延びた。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柳沼正朝【やなぎぬままさとも(15??~15??)】

柳沼正賢の男。1590年、「須賀川城の戦い」で父柳沼正賢に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柳沼正秀【やなぎぬままさひで(15??~15??)】

柳沼正賢の次男。1590年、「須賀川城の戦い」で父柳沼正賢に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い討死した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柳沼正清【やなぎぬまさきよ(15??~15??)】

柳沼正賢の三男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ父柳沼正賢とともに常陸国に落延びた。佐竹義宣に仕え200石を参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柳沼氏具【やさぎぬまうじとも(15??~15??)】

柳沼正賢の四男。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。1603年、蒲生秀行に仕え瀑布奉行職を務め30石を領した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

柳田助之丞【やなだすけのじょう(15??~1589)】

富田隆実家臣。1589年、「摺上原の戦い」で富田隆実に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

梁田彦七郎【やなだひこしちろう(15??~15??)】

芦名盛隆家臣。1587年、「新発田重家の乱」で芦名盛隆の意向を受け小田切盛昭に従い新発田重家とともに長尾景勝勢と戦った。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

矢吹利兵衛【やぶきりへい(15??~15??)】   

伊達成実家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

矢部主税祐【やべしゅぜいのすけ(15??~15??)】

岩瀬郡今泉館主。1548年、「牛庭原の戦い」で須田備前守、浜尾豊前守とともに伊達稙宗の馬廻衆を切り崩して伊達稙宗の兜の錣を三枚切り落とす戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部越前守【やべえちぜんのかみ(15??~15??)】

矢部主税祐の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部常貞【やべつねさだ(15??~15??)】

矢部越前守の男。官途は伊勢守。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部貞武【やべさだたけ(15??~15??)】

矢部越前守の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部貞徳【やべさだとく(15??~15??)】

矢部越前守の三男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部盛貞【やべもりさだ(15??~1588)】

矢部常貞の男。官途は下野守。1581年、「今泉館の戦い」で二階堂盛義に従い田村清顕勢と戦い今泉館を攻落とした。1588年、「今泉館の戦い」で伊達政宗勢の攻撃を受け滅亡した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部義政【やべよしまさ(15??~15??)】

二階堂照行家臣。岩瀬郡狸森館主。官途は上野守。二階堂家四天王。1589年、「須賀川城の戦い」で伊達政宗に内応して須田盛秀勢と戦い戦功を挙げ狸森1,000貫、大栗350貫、堤350貫、他175五貫、都合1,875貫の所領を安堵された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部義久【やべよしひさ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。岩瀬郡越久館主。官途は豊前守。別名越久豊前守。1589年、「須賀川城の戦い」で伊達政宗に内応して須田盛秀勢と戦い戦功を挙げ越久館350貫の所領を安堵された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢部宮内【やべくない(15??~1578)】

金上盛備家臣。1578年、「御館の乱」で長尾三郎景虎を支援するため、越後国に侵攻したが長尾景勝勢の反撃を受け討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。 

矢部主膳【やべしゅぜん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

山垣維治【やまがきまさはる(15??~15??)】

山ノ内氏信家臣。官途は筑後守。家老職を務めた。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で山ノ内重勝が平田舜範勢と戦い討死すると小林景祐とともに山ノ内重勝の三男山垣重豊を匿った。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

山垣重豊【やまがきしげとよ(1577~15??)】

山ノ内重勝の次男(山垣維治の養子)。通称平太夫。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で父山ノ内重勝が大槻政通とともに平田舜範勢と戦い討死したため、養父の山垣維治とともに落延びた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

山木丹波守【やまきたんばのかみ(15??~15??)】   

伊達実元家臣。騎馬衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

山木弥五右衛門【やまきよごえもん(15??~15??)】   

山木丹波守の男。改易処分に処された。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

山木七左衛門【やまきしちざえもん(15??~16??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

山木太郎右衛門【やまきたろうえもん(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

山木与右門【やまきよへい(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

山口実村【やまぐちさねむら(15??~15??)】

耶麻郡熊倉館主。通称弥太郎。別名羽曾部実村。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

山口左馬介【やまぐちさまのすけ(15??~15??)】

河原田盛次家臣。伊南郡山口館主。1589年、「伊南の戦い」で河原田盛次に従い伊達政宗勢と戦った。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

山崎彦七【やまざきひこしち(15??~15??)】

伊達晴宗家臣。伊達郡山崎館主。1542年、「伊達天文の乱」で山崎彦兵衛らとともに伊達晴宗勢に属して伊達稙宗勢と戦った。乱後、伊達晴宗から所領の加増を受けた。

山崎丹後守【やまざきたんごのかみ(15??~15??)】

伊達輝宗家臣。1576年、「駒峰城の戦い」で伊達輝宗に従い相馬盛胤勢と戦った。1588年、米沢城で諸将の取次役を務めた。

山寺淡路守【やまでらあわじのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で守屋俊重に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

山ノ内俊清【やまのうちとしきよ(15??~15??)】

伊北郡横川城主。官途は治部少輔。山ノ内家惣領職。別名山口俊清。領内に川口玉縄館、沼沢丸山館、野尻牛首館、滝谷岩谷館を築き会津西部を支配した。1543年、「横川城の戦い」で芦名盛氏勢の攻撃を受け撃退する戦功を挙げたが、和議を結び芦名盛氏に従った。1544年、山ノ内俊通に山ノ内家の家督を譲り、五男の山ノ内俊甫とともに玉縄館に転封した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

山ノ内舜通【やまのうち(15??~15??)】

山ノ内俊清の男。1543年、「横川城の戦い」で父の山ノ内俊清とともに芦名盛氏勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

山ノ内氏勝【やまのうちうじかつ(1540~1608)】

山ノ内舜通の男。官途は刑部大輔。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢と戦い敗退して佐竹義宣のもとに落延ると河原田盛次と結び長尾景勝の支援を受け伊達政宗勢と戦った。1590年、「奥州仕置」で改易処分に処された。1608年、越後国大浦で病没した。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

瀧谷山ノ内俊政【やまのうちとしまさ(1518~1559)】

大沼郡瀧谷館主。山ノ内俊清の次男。官途は摂津守。通称次郎助。室は横田光弘の娘。越渡小川合五ヶ村20貫を領した。1558年、「岩谷館の戦い」で松本舜輔の家臣井上河内守勢と戦い松本舜輔勢を岩谷館から追落す戦功を挙げ80貫を領した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内俊基【やまのうちとしもと(1543~1589)】

山ノ内俊政の男。官途は内匠頭。通称藤次。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重勢に属して伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内俊和【やまのうちとしかず(1590~15??)】

山ノ内俊政の次男。官途は左京亮。通称精左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内俊之【やまのうちとしゆき(1562~15??)】

山ノ内俊基の男。官途は治部少輔。通称内匠介。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内源兵衛【やまのうちげんべい(1565~15??)】

山ノ内俊基の次男。1591年、長尾景勝に仕えた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内五郎助【たまのうちごろすけ(15??~15??)】

山ノ内俊基の五男。通称治部右衛門。別名首藤俊秀。1593年、兄横田九左衛門とともに伊達政宗に仕えた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

瀧谷山ノ内俊重【やまのうちとししげ(1593~15??)】

山ノ内俊之の男。官途は治部少輔。通称治部左衛門。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

檜原山ノ内俊範【やまのうちとしのり(15??~15??)】

山ノ内俊清の三男(檜原俊景の養子)。官途は豊前守。別名横田俊範。1558年、「岩谷館の戦い」で兄の山ノ内俊政とともに松本舜輔の家臣井上河内守と戦い松本舜輔勢を岩谷館から追落とす戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

檜原山ノ内俊重【やまのうちとししげ(15??~15??)】

山ノ内俊範の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内俊之【やまのうちとしゆき(1481~1542)】

山ノ内俊詮の男。官途は信濃守。通称七三郎。室は高根沢左馬丞の娘。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内氏基【やまのうちうじもと(1524~1576)】

山ノ内俊清の四男(山ノ内俊之の養子)。官途は信濃守。通称四郎九郎。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内實良【やまのうちひろよし(1553~1592)】

山ノ内氏基の男。官途は兵庫頭。室は布沢河内守の娘。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内右馬亮【やまのうちうまのじょう(1576~15??)】

山ノ内氏基の次男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内五郎太夫【やまのうちごろうだいふ(1579~15??)】

山ノ内實良の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

野尻山ノ内兵三郎【やまのうちひょうざぶろう(1581~15??)】

山ノ内實良の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内俊甫【やまのうちともち(1527~15??)】

山ノ内俊清の五男。通称治部左衛門尉。別名川口俊甫。1544年、兄の山ノ内俊通に山ノ内家の家督を譲り隠居した父山ノ内俊清に従い玉縄館に転封した。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重が伊達政宗勢の攻撃を受け常陸国に落延びると中井山城守とともに伊達政宗に内応して山ノ内氏勝勢と戦った。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

川口山ノ内俊保【やまのうちとしやす(1548~1579)】

山ノ内俊甫の男。通称左衛門佐。室は横田光房の姉。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内俊満【やまのうちとしみつ(1551~15??)】

山ノ内俊甫の次男。通称治部左衛門尉。別名山ノ内俊貞。室は沼沢政清の娘。1590年、伊達政宗が陸前岩出山城に転封すると白石を領した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内俊種【やまのうちとしたね(1555~1572)】

山ノ内俊甫の三男(布沢河内守の養子)。別名布沢帯刀。室は布沢河内守の娘。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内盛俊【やまのうちもりとし(1566~15??)】

山ノ内俊満の男。通称清右衛門。別名川口俊直。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で芦名盛氏の家臣平田舜範勢に従い大庭政道を討取る戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内佐次兵衛【やまのうちさへいじ(1567~1589)】

山ノ内俊満の次男。1589年、「横田城の戦い」で伊達政宗勢に属して山ノ内氏勝勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内弥十郎【やまのうちよじゅうろう(1568~15??)】

山ノ内俊満の三男。室は本名氏重の娘。1589年、「横田城の戦い」で伊達政宗勢に属して山ノ内氏勝勢と戦い中丸俊朝を討取る戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

川口山ノ内万四郎【やまのうちまんしろう(1570~1589)】

山ノ内俊満の四男。官途は山城守。別名中井大和。1589年、「簗取の戦い」で原田宗時の家臣石部大隅守と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内俊安【やまのうちとしやす(1452~1532)】

山ノ内俊光の四男。大沼郡沼沢館主。通称安権太輔。室は直江兼詮の娘。沼沢館150貫を領した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内俊興【やまのうちとしおき(1473~1540)】

山ノ内俊安の男。通称彦次郎。室は中ノ目盛定の娘。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内政家【やまのうちまさいえ(1519~1572)】

山ノ内俊興の男。官途は若狭守。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内政清【やまのうちまさきよ(1539~1574)】

山ノ内政家の男。官途は出雲守。通称権兵衛。室は吉川勝光の娘。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内政勝【やまのうちまさかつ(1541~1570)】

山ノ内政家の次男。1570年、「二本松城の戦い」で芦名盛氏に従い畠山義続勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内政重【やまのうちまさしげ(1558~15??)】

山ノ内政清の男。官途は出雲守。通称権太夫。別名沼沢直通。室は慶徳直義の妹。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

沼沢山ノ内彦太郎【やまのうちひこたろう(15??~1590)】

山ノ内政重の男。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

西方山ノ内氏信【やまのうちうじのぶ(15??~15??)】

大沼郡鴫ヶ館主。沼沢山ノ内俊興の次男。官途は左馬丞。山ノ内七騎衆。1545年、鴫ヶ館30貫を領した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

西方山ノ内信重【やまのうちのぶしげ(1536~1560)】

山ノ内氏信の男。通称善五郎。室は小田切光弘の娘。1550年、「岩城の戦い」で芦名盛氏に従い大貫山城守、竹越伯耆守を討取る戦功を挙げた。石田大高寺の飯岡遠江守、高尾若狭守らの領地を押領して100貫を領した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

西方山ノ内俊秋【やまのうちとしあき(1538~1565)】

山ノ内氏信の次男。官途は和泉守。室は山ノ内政家の娘。1560年、兄の山ノ内信重が病没したため、西方山ノ内家の家督を相続した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

西方山ノ内重勝【やまのうちしげかつ(1541~1578)】

山ノ内氏信の三男。官途は右近太夫。室は大庭政通の娘。1578年、「大槻政通、山ノ内重勝の乱」で大槻政通とともに長尾景虎に内応して芦名盛氏に謀叛を起すが平田舜範勢の反撃を受け討死した。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

西方山ノ内政勝【やまのうちまさかつ(15??~15??)】

山ノ内重勝の男。通称弥太郎。別名大庭五左衛門。参考文献:「奥羽古城散策」by貞庵。

山ノ内左近【やまのうちさこん(15??~15??)】

芦名盛高家臣。1503年、伊達尚宗の支援を受けて芦名盛高に背く。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。
 
山ノ内俊宗【やまのうちとしむね(15??~15??)】

芦名盛高家臣。1504年、伊達尚宗の侵攻に備えて檜原口を警備した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

行方筑前守【ゆくほうひくぜんのかみ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦った。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

遊佐重定【ゆさしげさだ(15??~15??)】

畠山家泰家臣。官途は遠江守。1542年、「伊達天文の乱」で伊達稙宗勢に属した畠山義国に従い伊達晴宗勢と戦い戦功を挙げた。

遊佐丹波守【ゆさたんばのかみ(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、「二本松城の戦い」で降伏した畠山義続が伊達輝宗と刺し違えると畠山義綱を擁立して二本松城に籠城した。1586年、「箕輪館の戦い」で伊達成実に内応して人質を差し出し箕輪館に籠城したが芳川寛清勢の攻撃を受け落延びた戦後、氏家新兵衛とともに80貫余りを加増された。。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遊佐重勝【ゆさしげかつ(1560~1644)】

遊佐重定の次男。官途は下総守。通称佐藤衛門。別名遊佐義元。1585年、「第一次二本松城の戦い」で兄遊佐丹波守とともに伊達成実勢に内応して畠山義継勢と戦った。1595年、「角田城の戦い」で伊達成実が出奔した角田城を接収した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

遊佐常高【ゆさつねだか(15??~15??)】

遊佐重勝の男。通称佐藤衛門。1595年、伊達成実が伊達政宗のもとを出奔すると伊達成実とともに諸国を流浪した。

遊佐品高【ゆさしなたか(15??~15??)】

遊佐常高の男。通称佐藤衛門。

遊佐路高【ゆさみちたか(15??~15??)】

遊佐常高の次男。通称又右衛門。遊佐常高の隠居領を相続した。

遊佐勘兵衛【ゆさかんべい(15??~15??)】   

遊佐佐藤衛門の次男。

遊佐新右衛門【ゆさしんえもん(15??~15??)】    

遊佐佐藤衛門の三男。

遊佐十左衛門【ゆさじゅざえもん(15??~16??)】   

伊達成実家臣。1615年、「大坂夏の陣」で伊達成実に従い羽柴秀頼勢と戦った。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

遊佐半太夫【ゆさへんぺいた(15??~15??)】

畠山義継家臣。1585年、畠山義継らとともに伊達輝宗のもとに赴き、伊達輝宗を拉致したが伊達政宗勢の追撃を受け、畠山義継、高橋内膳、米沢源内、遊佐孫九郎らとともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

湯澤善兵衛【ゆざわぜんべい(15??~15??)】   

伊達成実家臣。又南館主。大森城下の雪神祠を改修した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横沢持行【よこざわもちゆき(15??~15??)】

安積郡横沢館主。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

横沢彦三郎【よこざわひこさぶろう(15??~15??)】

横沢持行の男。1589年、「摺上原の戦い」で伊達政宗に従い芦名盛重勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

横沢内膳【よこざわないぜん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

横田大学【よこただいがく(15??~15??)】

山ノ内舜通の三男。1589年、松平元康の支援を受け兄の山ノ内氏勝とともに伊達政宗勢と戦った。1598年、長尾景勝が会津黒川城を領すると長尾景勝に仕えた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田出羽守【よこたではのかみ(15??~1589)】

山ノ内氏勝家臣(山内氏勝の猶子)。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田日向守【よこたひょうがのかみ(15??~1589)】

山ノ内氏勝家臣。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田安芸守【よこたあきのかみ(15??~1589)】

山ノ内氏勝家臣。1589年、「松坂峠の戦い」で山ノ内氏勝に従い伊達政宗勢と戦い討死した。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田土佐守【よこたとさのかみ(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。山ノ内氏勝に従い南奥州を転戦して戦功を挙げた。1589年、「松坂峠の戦い」で伊達政宗勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田佐兵衛【よこたさへい(15??~15??)】

芦名盛重家臣。1589年、「摺上原の戦い」で芦名盛重に従い伊達政宗勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

横田権太郎【よこたごんたろう(15??~15??)】

横田佐兵衛の男。1589年、「摺上原の戦い」で父横田佐兵衛に従い伊達政宗勢と戦った。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

横田義信【よこたよしのぶ(15??~15??)】

二階堂晴行の次男。別名二階堂義信。

横田丹波守【よこたたんばのかみ(1568~15??)】

山ノ内俊基の三男。通称万作。別名千本太郎左衛門。1594年、松平元康に仕えた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田九左衛門【よこたくざえもん(1574~16??)】

山ノ内俊基の四男。通称五左衛門。1593年、伊達政宗に仕えた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

横田治部【よこたじぶ(15??~15??)】

岩瀬郡横田館主。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

吉田重秀【よしだしげひで(15??~15??)】

慶徳範重家臣。通称新左衛門。別名新宮重秀。1560年、「石川松山の戦い」で慶徳範重に従い佐竹義昭、田村清顕と戦い戦功を挙げた。参考文献:「さくらとおしろ」bysakushiro。

横山道信【よこやまみちのぶ(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。横山道吉次男。六十里越、八十里越両口を固めた。

横山掃部【よこやまかもんn(15??~15??)】   

伊達成実家臣。通称庄兵衛。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山十兵衛【よこやまじゅうべい(15??~15??)】

横山掃部の弟。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山仲次郎【よこやまなかじろう(15??~15??)】

横山掃部の弟。通称万之丞。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山正兵衛【よこやましょうべい(15??~16??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山正之丞【よこやましょうのじょう(15??~16??)】   

伊達成実家臣。1622年、最上義俊が改易処分に処されると伊達成実に従い羽前山形城を接収した。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山三右衛門【よこやまさんえもん(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山仁左衛門【よこやまじんざえもん(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

横山市右門【よこやまいちえもん(15??~15??)】   

伊達成実家臣。徒歩衆。参考文献:『蕨宍戸家文書』by亘理郷土史研究会。

芳川寛清【よしかわひろきよ(15??~15??)】

畠山義継家臣。通称帯刀。1586年、「箕輪館の戦い」で伊達成実に内応して箕輪館に籠城した遊佐丹波守、氏家新兵衛尉、箕輪業高らを箕輪館から追落とした。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

吉田是顕【よしだこれあき(15??~15??)】

吉田国顕の次男(江持近江守の養子)。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

吉成玄蕃【よしなりげんば(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

吉成監物【よしなりけんもつ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀に従い須賀川城に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

我妻民部【わがづまみんぶ(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

和田将監【わだしょうげん(15??~15??)】

二階堂盛義家臣。1590年、「大里館の戦い」で箭田野義正に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

和田主殿【わだしゅでん(15??~15??)】

和田将監の男。1590年、「大里館の戦い」で父和田将監に従い大里館に籠城して伊達成実勢と戦い敗れ没落した。参考文献:「戦国大名二階堂氏の興亡史」by源次郎。

渡部三郎左衛門【わたなべさぶろうさえもん(15??~15??)】  

二階堂盛義家臣。1589年、「須賀川城の戦い」で須田盛秀が滅びると伊達成実に仕えた。亘理城下街の作事奉行を務め功を上げた。五日街の御除屋敷を与えられ、商売を営んだ。

渡部綱孝【わたべつなたか(15??~15??)】

山ノ内氏勝家臣。大沼郡大登館主。官途は長門守。1589年、「横田城の戦い」で伊達政宗に属した大波玄蕃勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。参考文献:「奥会津戦国風土記」by会津坊。

六角隼人【ろっかくはやと(15??~15??)】

穴沢信堅家臣。1586年、「小谷山館の戦い」で穴沢信堅に従い伊達政宗勢と戦った。穴沢越中守が内応したため、穴沢信堅とともに討死した。参考文献:『独眼竜政宗』by講談社文庫。

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【資料Ⅰ】

岩代国(12郡/500,000石)

稲沼郡:40,000石。
伊北、伊南郡:10,000石。
南山郡:18,000石。
大沼郡:74,000石。
河沼郡:20,000石。
耶麻郡:80,000石。
猪苗代郡:20,000石。
安達郡:36,000石、二本松城、小浜城、本宮館、岩色館、宮森館、小手森館。
安積郡:36,000石。
岩瀬郡:52,000石。
信夫郡:54,000石。大森城、福島城、大鳥館。
伊達郡:66,000石。梁川城、苅松田館、河股館、小島館、月見館、懸田館。

会津地方 266,000石

会津郡(稲沼、伊北、伊南、南山郡)
会津四郡(会津郡、大沼郡、河沼郡、耶麻郡)+猪苗代郡

仙道七郡(石川郡、信夫郡、白河郡、岩瀬郡、安達郡、田村郡、安積郡)

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【資料Ⅱ】

会津四家【あいづよんけ】

河原田家、芦名家、山ノ内家、長沼家。

芦名家四天王【あしなけしてんのう】

松本氏輔、平田輔範、佐瀬常昌、富田氏実。

石橋家四天王【いしばししてんのう】

宮森館主大河内備中守、小浜館主大内義綱、百目木館主石川有信、寺坂館主寺坂信濃守。

二階堂家四天王【にかいどうけしてんのう】

山寺館主遠藤勝重、和田館主須田盛秀、木船館主矢部義政、守屋館主守屋俊重。

山ノ内家四天王【やまのうちけしてんのう】

斎藤伊豆守、須佐信清、菅家善高。

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【資料Ⅲ】

岩代国【いわしろのくに】

調査中。

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戦国人名辞典は、1467年、「応仁の乱」から1637年、「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

武田信玄は武田晴信、上杉謙信は長尾景虎、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉、豊臣秀頼は羽柴秀頼、津軽為信は大浦為信に名前を統一しました。

城と館の違いは、城は10,000石以上の領主の居城。館、砦は9,999石以下の領主の居城としました。館と砦の違いは平地にある場合は館、山岳地帯、諸島にある場合は砦としてました。

参考文献:『津軽秋田安東一族』by新人物往来社、『東北大名の研究(戦国大名論集2)』by吉川弘文館、『会津芦名一族』by歴史春秋社、『最上義光(戦国の驍将)』by新人物往来社、『奥州葛西記(乱世を風のように駆けた男たち)』by宝文堂、『会津芦名四代』by歴史春秋、『伊達政宗(全8巻)』by講談社、『天を衝く(全3巻)』by講談社文庫、『独眼竜伊達政宗』by時代小説文庫、『津軽風雲録』by時代小説文庫、『政宗に睨まれた二人の老将』by宝文堂、『秋田「安東氏」研究ノート』by無明舎、『(史伝)伊達政宗』by学研M文庫、『独眼竜政宗』by講談社文庫、『奥羽永慶軍記(全2巻)』by新人物往来社、『津軽南部の抗争(南部信直)』by無明舎出版、『秋田の中世浅利氏』by無明舎出版、『独眼龍政宗』by文藝春秋、「みやぎの戦国時代」宝文堂、『陸奥南部一族』by新人物往来社、『戦国人名事典』by吉川弘文館、『戦国人名事典』by新人物往来社、『戦国大名家辞典』by東京堂出版、『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、「戦国人名辞典」新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)」角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、「美須麻流之珠」by立花利康、「さくらとおしろ」bysakushiro。

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