2011年7月11日月曜日

戦国豊前国人名辞典

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【あ】

赤尾賢種【あかおむねたね(15??~1566)】

宇佐郡光岡城主。大内義隆家臣。1556年、大内義隆が討死すると、大友義鎮に属した。1557年、田原親宏とともに山田城主山田隆朝を討取った。1566年、田原親賢に対する不満から高尾城主麻生親政が大友義鎮から離反すると、中島房直、成恒矩種らとともに麻生親政を討取った。毛利元就に内応した時枝城主時枝鎮継、土井城主佐野親重らの夜襲を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

赤尾統秀【あかおむねひで(15??~1580)】

赤尾賢種の次男。1580年、大友義鎮から離反して毛利輝元勢に属した城井鎮房、長野統秀、時枝鎮継、佐野親重らの攻撃を受け討死した。

赤尾行種【あかおゆきたね(15??~15??)】
 
赤尾統秀の次男。1580年、城井鎮房、長野統秀、時枝鎮継、佐野親重の攻撃を受け、光岡城が落城、父赤尾統秀が討死すると、大友義鎮のもとに落延びた。

赤尾鎮房【あかおかねふさ(15??~15??)】

赤尾賢種家臣。1580年、城井鎮房、長野統秀、時枝鎮継、佐野親重の攻撃を受け、光岡城が落城した。

芦刈実蕃【あしかりさねばん(15??~15??)】

赤尾統秀家臣。沖洲城主。1566年、麻生親政討伐に参陣して戦功を挙げた。

安心院公正【あじむきみまさ(15??~1583)】

宇佐郡龍王城主。別名安心院麟生。1556年、大内義隆が討死すると、大友義鎮勢の攻撃を受け降伏した。以後大友義鎮の豊前国攻略の拠点となった。1578年、「日向耳川の戦い」で大友義鎮が大敗を喫すると、大友義鎮から離反したが、妙見嶽城主田原紹忍勢によって龍王城が囲まれ自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

安心院千代松丸【あじむちよまつまる(15??~1583)】

安心院公正の男。1582年、父安心院公正とともに龍王城に籠城して大友義鎮勢に反旗を翻した。大友義鎮の家臣田原親宏勢の攻撃を受けた。田原親宏の兵糧攻めを受け降伏した。佐田隆居に預けられるが、逃亡を図り討死した。

麻生親政【あそうちかまさ(15??~1566)】

宇佐郡高尾城主。官途は摂津守。大友義鎮に属して、継嗣の麻生七郎を大友館に人質として出していた。大友館で田原親賢の継嗣原田新三郎に辱めを受けたため、麻生七郎は原田新三郎を謀殺して自刃した。麻生親政は、これをきっかけに大友義鎮から離反して毛利元就に属した。1566年、大友義鎮の家臣田原親賢勢に高尾城を包囲され枝連衆十八名とともに自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

麻生七郎【あそうしちろう(15??~1565)】

麻生親政の男。大友義鎮に人質として出されていたが、田原親賢の継嗣田原新七郎から嫌がらせを受けた。それに耐えかね、遂にた田原新七郎を謀殺して、自らも自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

麻生統宣【あそうとうせん(15??~1566)】

麻生親政の次男。通称四郎。1566年、大友義鎮勢の攻撃を受け、筑後国柳川に落延びたが、大友義鎮の刺客により謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

麻生乙丸【あそうおつまる(15??~15??)】

麻生親政の三男。1566年、父麻生親政の討死後、黒村政勝に養育された。後に田原親賢に謀殺された。

麻生家光【あそういえみつ(15??~15??)】

麻生親政家臣。麻生家宗の次男。宇佐郡法蘭寺城主。官途は常陸介。

安倍偶宗【あべぐうむね(15??~15??)】

大友義鑑家臣。茶臼山城主。通称小次郎。1530年、茶臼山城は安倍偶宗によって築城された。

安倍宗実【あべむねざね(15??~15??)】

安倍偶宗の孫。浪人となって帰農した。

荒木三河守【あらきみかわのかみ(15??~15??)】

荒木城主。官途は三河守。1586年、大友義統勢の焼き討ちを受けた。

安東重秀【あんだうしげひで(15??~15??)】

大友義鎮家臣。通称市次郎。1561年、大友義鎮が門司城を除く豊前国を領すると、宝山城主に任じられた。

安東長好【あんどうながよし(15??~15??)】

安東重秀の男。通称市次郎。1579年、馬ヶ岳城主長野助盛とともに杉重吉の蓑島城を攻め落とした。

池永房勝【いけながふさかつ(15??~15??)】

下毛郡池永城主。官途は筑後守。

池永重則【いけながしげのり(15??~1593)】

池永房勝の男。官途は左馬頭。1573年、池永重則は大友義鎮に降った。1593年、大友義統が改易処分に処されると、黒田孝高勢の攻撃を受け自刃した。

今仁尚賢【いまになおかた(15??~15??)】

京都郡今仁城主。官途は伊豆守。1528年、今仁尚賢、今仁賢直兄弟は大内義興に属した。

今仁基実【いまいもとざね(15??~15??)】

今仁尚賢の男。官途は主水。1566年、光岡城主赤井賢種とともに麻生親政を攻撃した。赤井賢種が佐野親重、時枝鎮継らによって討取られると、継嗣の今仁正実とともに敷田城主萩原種親勢に属した。

今仁賢直【いまいかたなお(15??~15??)】

今仁尚賢の弟。

岩男重益【いわおしげます(15??~15??)】

京都郡温見谷城主。通称権太左衛門尉。1521年、大内義隆勢に属した。

岩男繁殊【いわおしげかつ(15??~15??)】

岩男重益の弟。通称源太兵衛尉。岩男繁殊は大友義統に属した。1587年、「九州征伐」後、豊前国を領した黒田孝高に所領没収された。1600年、「石垣原の戦い」では、大友義統勢に属して参陣したが、黒田孝高勢と戦い敗走した。

筌ノ口重範【うけのくちしげのり(15??~15??)】

筌ノ口城主。通称幸之丞。1534年、「勢場ヶ原の戦い」では、大内義隆勢に属して参陣した。後に霊泉寺を建立した。

内尾久重【うちおひさしげ(15??~15??)】

清水村城主。通称掃部。1586年、「土井城の戦い」に参陣し、土井城主佐野親重を討取る戦功を挙げた。

馬屋原元有【うまやはらもとあり(15??~15??)】

田川郡戸代山城主。通称左馬助。1587年、「九州征伐」で羽柴秀吉勢に降伏を申し出たが許されず、黒田孝高勢の攻撃を受け討死した。

栄田伊賀守【えいだいがのかみ(15??~15??)】

麻生親政家臣。宇佐郡上の山城主。

恵良鎮実【えらしげざね(15??~15??)】

西恵良城主。

恵良信勝【えらのぶかつ15??~15??)】

恵良鎮実の男。1543年、恵良盛綱は恵良信勝に家督を相続させた。

恵良左京亮【えらさきょうのじょう(15??~15??)】

恵良鎮実家臣。

恵良盛綱【えらもりつな(15??~15??)】

恵良鎮実家臣。1543年、「第一次月山富田城の戦い」では、恵良鎮実の陣代として大内義隆勢に属して参陣した。

恵良頼盛【えらよりもり(15??~15??)】

恵良鎮実家臣。官途は若狭守。

緒方維綱【おがたこれつな(15??~1588)】

築上郡緒方城主。通称帯刀。1588年、「城井鎮房の乱」で城井鎮房が羽柴秀吉勢に反抗すると、長岩城主野中鎮兼、上毛郡日隈城主日熊直次氏、宇佐郡中島城主中島房直らがそれに応じた。黒田長政が広津城を攻撃すると、内山城主如法寺輝則、川底城主城井信次、岩戸寺城鬼木信家、山田城主山田輝家、緒方城主緒方維綱らが広津城を支援するため、援軍として参陣した。城井鎮房勢は黒田長政勢の反撃を受け、上毛郡友枝で鬼木掃部、股城主友枝大善、円藤源兵衛、緒方維綱、中尾藤左衛門、山田輝家、中八屋宗種らが討死した。

小友田佐介【おともださすけ(15??~15??)】

小友田城主。1579年、「坂手隈城の戦い」では、長岩城主野中鎮兼に属して参陣した。1588年、 黒田孝高が豊前国中津城に封ぜられるとそれに降らず長岩城に籠城した。

鬼木信家【おにきのぶいえ(15??~1595)】

岩戸寺城主。通称左衛門督。1588年、「城井鎮房の乱」で城井鎮房が羽柴秀吉勢に反抗すると、長岩城主野中鎮兼、上毛郡日隈城主日熊直次氏、宇佐郡中島城主中島房直、如法寺輝則、城井弥七朗、山田輝家、緒方維綱らとともに黒田孝高勢と戦ったが敗れた。1595年、「岩戸寺城の戦い」で黒田長政勢の攻撃を受け討死した。

小山大和守【おやまやまとのかみ(15??~15??)】

副但馬守家臣。

小山義盛【おやまよしもり(15??~15??)】

副但馬守家臣。

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【か】

加来成恒【かくなりつね(15??~15??)】

下毛郡大畑城主。官途は壱岐守。1551年、大内義隆が陶晴賢に謀殺されると毛利元就勢に属した。1557年、大友義鎮勢の攻撃を受け降伏した。

加来統直【かくねなお(15??~1588)】

加来成恒の男。官途は安芸守。1579年、大友義鎮に謀反を起こした野仲重兼の攻撃を受けたが撃退した。以後野仲勢から48回の攻撃を受けたが、すべて撃退した。1588年、「大畑城の戦い」で黒田孝高勢の攻撃を受けて落城し、城から落延びたが伏兵に襲撃されて討死した。

加来重基【かくしげもと(15??~16??)】

加来統直の男。1588年、「大畑城の戦い」で父加来統直が討死すると、落延び後の中津城主細川忠興に仕えた。

辛島並時【からしまなみとき(15??~15??)】

宇佐郡辛島城主。宇佐宮司を務めた。1586年、「辛島城の戦い」で大友義統勢の攻撃を受け宇佐宮に落延びた。

城井正房【きいまさふさ(1478~1561)】

築城郡城井谷城主。城井興房の男。官途は左馬介。1501年、大内義興に属する佐田俊景の攻撃を受け、大内義興勢に属した。足利義稙の御前で先祖伝来の弓の技法を披露した。1532年、「勢場ヶ原の戦い」では、大内義隆に属して、佐田朝景らとともに少弐冬尚勢を攻撃した。1551年、大内義隆が陶晴賢によって謀殺されると、大友義鎮勢に属した。

城井房統【きいふさむね(15??~15??)】 

城井興房の次男。通称三郎兵衛。中津龍王城を守備した。1556年、大友義鎮の侵攻を受け降伏、以後大友義鎮勢に属した。

城井長房【きいながふさ(1506~1588)】

城井正房の男。官途は常陸介。室は大内義興の娘。本家の下野国宇都宮城主宇都宮尚綱の家督争いに介入して、芳賀高経を排除して宇都宮広綱の家督相続を実現させた。1559年、継嗣の城井鎮房とともに上洛して、足利義輝に拝謁した。1588年、城井鎮房が黒田孝高と和議を結ぶため中津城に伺候したが、黒田孝高に謀殺された。その後、城井谷城も黒田孝高勢の攻撃を受け討死した。捕縛された城井鎮房の妻子24名は幼女を含めて、中津城近くの広津河原で磔に処された。

城井鎮房【きいしげふさ(1536~1588)】

城井長房の男。官途は民部少輔。1551年、大内義隆が滅亡すると、豊前国に侵攻した大友義鎮勢に属した。1578年、「耳川の戦い」で大友義鎮勢が大敗すると、反大友義鎮勢に属した。1580年、「田原親貫の乱」では、田原親貫勢に属して勢力を拡大した。1585年、島津義久勢が筑前国に侵攻するとそれを支援した。1586年、「九州征伐」では、羽柴秀吉勢に属して島津義久勢と戦った。戦後の伊予国への転封を命ぜられ、毛利勝信を介して本領維持を願い出たが許されなかった。1588年、豊前国を領した黒田孝高勢の攻撃を受け撃退したが、和議を結ぶため、中津城に伺候した際に謀殺された。

城井朝房【きいともふさ(15??~1588)】

城井鎮房の男。島津家に属していた。1586年、「九州征伐」では、羽柴秀吉勢に属して参陣した。戦後、伊予国への転封を命ぜられた。1589年、黒田孝高のもとに伺候した際に城井鎮房とともに謀殺された。

城井小鶴姫【きいおつるひめ】

城井鎮房の娘。参考文献:『二階堂崩れ(城井一族の殉節)』by高橋直樹。

木内胤貞【きうちたねさだ(15??~15??)】

丸尾城主。1588年、「九州征伐」では、羽柴秀吉勢に属して参戦した。黒田孝高が豊前国を領すると、所領を没収された。

木部勘解由【きべかげゆ(15??~15??)】

木部城主。通称左衛門尉。

木部掃部助【きべかもんのすけ(15??~15??)】

木部勘解由左衛門尉の男。

木部武蔵守【きべむさしのかみ(15??~1567)】

木部掃部助の男。1567年、「筑前岩屋城の戦い」では、大友義鎮勢に属して参陣したが討死した。

清末公朝【きよすえきみより(15??~15??)】

引地山城主。官途は駿河守。1561年、宇佐大宮司公達は大友義鎮勢と戦いその兵火により宇佐神宮を焼失し公達はこの引地山城に落延びた。

櫛野茂晴【くしのしげはる(15??~15??)】

宇佐郡櫛野城主。木付城主木付親実の弟櫛野茂晴が櫛野城を領して、櫛野家と称した。1582年、宇佐郡衆が大友義鎮に謀反を起こし際、田原親賢勢に属して時枝城を攻撃して戦功を挙げた。1587年、「九州征伐」では、羽柴秀吉勢に属して戦功を挙げた。1589年、中津城主として黒田孝高が入部すると櫛野茂晴は所領を没収された。

葛原時房【くすはらときふさ(15??~15??)】

鬼木信家家臣。1595年、鬼木信家に属して岩戸寺城に籠城した。永松大膳らとともに奮戦するが、城は落とされ討死した。

葛原則祐【くずはらのりすけ(15??~15??)】

葛原城主。通称兵庫助。

小城重道【こじょうしげみち(15??~15??)】

高橋長幸家臣。通称源六兵衛。1579年、長岩城主野仲鎮兼が坂手隈城を攻略して法華寺城に攻め寄せたとき、小城定久が法華寺城に籠城してこれを撃退した。

是恒国賀【これつねこくが(15??~1578)】

畑田村城主。官途は備前守。大友義鎮に従った。1578年、「耳川の戦い」で討死した。

是恒義道【これつねよしみち(15??~15??)】

是恒国賀の男。通称外記。1578年、是恒義道は若年で家督を相続した。1589年、黒田孝高によって所領を没収された。

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【さ】

西郷右衛門大夫【さいごううえもん(15??~15??)】

不動ヶ岳城主。

西郷刑部【さいごうぎょうぶ(15??~1588)】

西郷右衛門大夫の男。1559年、田原親宏勢の攻撃を受け落城した。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房勢に属したが討死した。

斎藤益実【さいとうますざね(15??~15??)】

斎藤城主。1521年、大内義興勢に属した。1532年、上納持城主徳野尾十郎左衛門を攻撃して徳野尾十郎左衛門を討取った。

斎藤新四郎【さいとうしんしろう(15??~15??)】

斎藤益実の男。大内義興勢に属した。1551年、大内義隆が討死すると、大友義鎮勢に属した。

佐々木種次【ささきたねつぐ(15??~15??)】

岩石城主。官途は雅楽頭。1587年、「九州征伐」では、秋月種実勢に属して羽柴秀吉勢に対抗した。秋月種実の家臣熊井越中守、芥田悪六兵衛らの援軍を受けた。天然の要害を誇る岩石城も羽柴秀吉勢の総攻撃の前に一日で落城した。熊井越中守、芥田悪六兵衛は討死にしたが、佐々木種次は助命された。

佐田朝景【さだともかげ(15??~15??)】

宇佐郡菩提寺城。官途は因幡守。宇佐郡代職を務めた。大内義興勢の杉重矩に属して宇佐郡代職を努め、大友義鑑勢の侵攻に備えた。1532年、大友義鑑から諜略を受けたが、大内義興に忠誠を尽くした。大友義鑑勢の攻撃を受けて菩提寺城は落城したが、佐田朝景は後方の妙見岳城のさがり大友義鑑勢に抵抗し続けた。1534年、「勢場ヶ原の戦い」では、大内義隆勢に属して参陣して戦功を挙げた。

佐田隆居【さたたかい(1519~1588)】

宇佐郡赤井城主。官途は弾正忠。1556年、佐田隆居、佐田鎮綱父子は大友義鎮に降伏した。その後、大友義鎮勢に属して宇佐郡衆を率いて北九州各地を転戦した。1578年、「日向耳川の戦い」で大友義鎮勢が大敗を喫すると、豊前国人衆の多くが大友義鎮勢から離反したが、佐田隆居は大友義鎮勢に従い続けた。1583年、安心院公正が大友義鎮から離反して龍王城に籠城すると、佐田隆居はこれを攻撃して、本領安堵の条件を出して開城させた。安心院千代松丸は落延びる途中に佐田鎮綱勢に捕えられ自刃した。

佐田鎮綱【さたしげつな(1541~1593)】

佐田隆居の男。1556年、父佐田隆居とともにに宇佐郡衆の旗頭として大友義鎮に属して北九州各地を転戦した。1589年、黒田孝高が豊前国を領すると、佐田鎮綱は大友義統を頼って落延びた。大友義統が改易処分を受けると、黒田孝高に仕えた。

佐田統綱【さたむねつな(15??~15??)】

佐田鎮綱の男。1593年、大友義統が改易処分に処されると、黒田孝高に属した。1600年、「関ヶ原の役」後、豊前国を領した小倉城主細川忠興に仕えた。

佐野親重【さのちかしげ(15??~15??)】

土井城主。1556年、大友義鎮勢に降伏した。1566年、高尾城主麻生親政が大友義鎮に滅ぼされると、これを恨んで毛利元就に属した。1586年、大友義統の攻撃を受け討死した。

塩田内記【しおたないき(15??~15??)】

京都郡求菩提城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房に属して籠城して羽柴秀吉勢と戦ったが落城した。

新開統宏【しんかいむねひろ(15??~15??)】

大友義鎮家臣。新開館主。通称新五兵衛。1582年、安心院公正を討取る戦功を挙げた

杉重矩【すぎしげのり(1498~1551)】

京都郡松山城主。杉重祐の男。大内義興家臣。豊前国守護代職。官途は民部少輔。豊前国守護代職を務め、として大友義鑑や少弐資元と戦った。陶晴賢と対立した。1551年、「大寧寺の変」では、大内義隆が文治派の相良武任を寵愛するのを見て、大内義隆にも不満を抱いていたため、陶晴賢に属して大内義隆勢と戦った。謀反の直後、再び陶晴賢と対立し、陶晴賢に敗れて長門国長興寺で自刃した。

杉重輔【すぎしげすけ(15??~1557)】

杉重矩の男。1551年、「大寧寺の変」では、父杉重矩とともに陶晴賢勢に属して、大内義隆勢と戦った。その後、杉重矩が陶晴賢と対立して討取られた。1555年、「厳島の戦い」で陶晴賢が毛利元就に討取られると、富田若山城を攻撃、陶晴賢の継嗣陶長房、問田隆盛らを討取った。1557年、大内義長、内藤隆世勢と防府で戦い討死した。

杉重良【すぎしげよし(1554~1579)】

杉重輔の男。室は福原広俊の娘。1557年、父杉重輔が内藤隆世に討取られたため、杉家の家督を相続した。1569年、毛利元就勢に属して、大内輝弘を攻撃して攻め滅ぼした。この戦功により2,000貫を領したが、家臣の反対を受け改めて300貫の所領を貰い受けた。1579年、毛利輝元に謀反を起こし、大友義統に寝返った。その後、毛利輝元勢の秋月種実、高橋鑑種、長野種信らの攻撃を受け高橋鑑種に討ち取られた。

杉元良【すぎもとよし(15??~15??)】

杉重良の男。1579年、父杉重良が謀反を起こしたため、幼少の身で杉惣領家の家督を相続した。1588年、毛利輝元より長門豊田郡内509石、大津郡内605石の領地を安堵された。

杉隆重【すぎたかしげ(15??~15??)】

大内義隆家臣。蓑島城主。1554年、大友義鎮を頼って豊前国に移り蓑島城を築いて居城とした。

杉重吉【すぎしげよし(15??~1579)】

杉隆重の男。1579年、馬ヶ岳城主長野助盛と宝山城主安東市次郎らの攻撃を受け討死した。

添田雅楽介【そえだうたのすけ(15??~15??)】

田川郡障子ヶ岳城主。毛利元就勢が北九州に侵攻すると、添田雅楽介は小早川隆景勢に属した。1587年、「九州討伐」では、羽柴秀吉勢に障子ヶ岳城が接収され、陣所として利用された。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房勢に属して、黒田孝高勢と戦ったが敗れて自刃した。

末松房快【すえまつふさかい(15??~15??)】

海老名城主。官途は加賀守。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房勢に属して戦ったが、黒田孝高勢の攻撃を受け落城した。

末広正行【すえひろまさゆき(15??~15??)】

末広城主。1579年、長岩城主野中鎮兼が坂手隈城を攻略し続いて末広城をも包囲した。末広正行と嫡男末広四郎は剃髪し降伏開城した。

副但馬守【そえたじまのかみ(15??~15??)】

宇佐郡副城主。1532年、副城は馬国出石城主であったが副但馬守によって築かれた。大友義鎮に属した。

副宗澄【そえむねずみ(15??~15??)】

副但馬守の男。官途は越中守。副家の家督を相続して善政を敷いた。1581年、妙見嶽城主田原紹忍の諌言を受け、大友義鎮勢の攻撃を受け自刃した。

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【た】

高並政広【たかなみまさひろ(15??~15??)】

佐田朝景家臣。高並城主。官途は若狭守。

高並主税助【たかなみしゅぜいのすけ(15??~15??)】

高並政広の男。通称市次郎。1556年、毛利元就によって大内晴英が滅ぼされると佐田隆居とともに大友義鎮に属した。1586年、大友義統勢の攻撃を受けて落城した。

高橋長幸【たかはしながよし(15??~15??)】

岩石城主。

田城内膳【たしろないぜん(15??~15??)】

赤尾賢種家臣。西光寺城主。

時枝鎮継【ときえだしげつぐ(15??~15??)】

宇佐郡時枝城主。1556年、時枝鎮継は大友義鎮に降ったが、毛利輝元に内応して土井城主佐野親重とともに大友義鎮勢に属する光岡城主赤尾賢種を討取った。1585年、小早川隆景の援軍250余りが時枝城に入城したがその情報を得た高家城主中島統次の夜討ちを受け落城、時枝鎮継は毛利輝元を頼って落延びた。1587年、「九州征伐」では、黒田孝高に属して宇佐郡の先導役を努めた。黒田孝高が豊前国内6郡123,000石を領し中津城主となると、これに仕えた。

九十九玄蕃【つくもげんば(15??~15??)】

九十九谷城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房勢に属して黒田孝高勢と戦ったが落城した。

津々見源九郎【つつみげんくろう(15??~15??)】

六郎丸城主。

津々見宗俊【つつみむねとし(15??~15??)】

津々見源九郎の男。通称源次郎。

津布佐次郎丸【つぶせさじろうまる(15??~15??)】

宇佐郡津房城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、黒田孝高勢に属した。

友枝忠兵衛【ともえだただべい(15??~1589)】

宇佐郡光明寺城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房勢に属して黒田孝高勢と戦ったが自刃した。

豊田対馬守【とよたつしまのかみ(15??~15??)】

下毛郡馬台城主。1557年、野仲重兼の攻撃を受けて落城し自刃した。

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【な】

中島房直【なかじまふさなお(15??~1589)】

宇佐郡高家城主。官途は伊予守。別名中島統次。1556年、大友義鎮勢が豊前国に侵攻すると降伏した。1566年、大友義鎮勢が高尾城主麻生親政を攻めた際、搦手口の大将となって高尾城を攻撃した。時枝鎮継、佐野親重勢が光岡城主赤尾賢種を攻撃すると、その救援に向かうが伏兵を受け敗走した。1587年、「九州征伐」では、島津義久勢に属したが、黒田孝高勢の攻撃を受け落城、向野城主松尾民部のもとに落延びた。1589年、松尾民部が黒田孝高に内応したため、自刃した。

中島統次【なかじまむねぐ(15??~1585)】

中島房直の男。官途は伊予守。1585年、毛利輝元勢の時枝城主時枝鎮継を攻落す戦功を挙げた。1585年、時枝鎮継は、中津城主黒田孝高、黒田長政の支援を受け兵3,000余りで中島統次を攻撃、750余りの中島統次勢は矢戦を開始、中島忠高の兵140余りは、時枝鎮継勢の先陣を撃破したが、数に勝る時枝鎮継勢に敗れ討死した。
 
中島秀直【なかじまひでなお(15??~15??)】

中島房直家臣。1566年、「高尾城の戦い」に参陣した。

中島惟真【なかじまこれざね(15??~15??)】

中島房直家臣。1566年、「高尾城の戦い」に参陣した。

中島俊直【なかじまとしなお(15??~15??)】

中島房直家臣。1566年、「高尾城の戦い」に参陣した。

中島光孝【なかじまみつたか(15??~15??)】

中島房直家臣。1566年、「高尾城の戦い」に参陣した。
 
中島弾正忠【なかじまたんじょうちゅう(15??~15??)】

中島房直家臣。1587年、「九州征伐」では、中島房直が島津義久勢に属したため、高城に籠城したが、黒田孝高勢の攻撃を受け落城した。

中島民部丞【なかじまみんぶのじょう(15??~15??)】

中島房直家臣。1587年、「九州征伐」では、中島房直が島津義久勢に属したため、高城に籠城したが、黒田孝高勢の攻撃を受け落城した。

中島雅楽助【なかじまうらくのすけ(15??~15??)】。

中島房直家臣。1587年、「九州征伐」では、中島房直が島津義久勢に属したため、高城に籠城したが、黒田孝高勢の攻撃を受け落城した。

中村房信【なかむらふなのぶ(15??~1566)】

中村城主。通称十郎。1566年、高尾城が田原親賢に攻撃された際、麻生親政勢に属したて戦ったが討死した。

中村金左衛門【なかむらきんざえもん(15??~15??)】

麻生親政家臣。中村房信の弟。

中八屋宗種【なかやしろむねたね(15??~1588)】

城井鎮房家臣。上毛郡角田城主。官途は隠岐守。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房が羽柴秀吉勢に反抗すると城井鎮房に従った。黒田孝高勢の攻撃を受け討死した。

中山正房【なかやままさふさ(15??~1543)】

大内義隆家臣。潰山城主。通称内膳正。1534年、「勢場ヶ原の戦い」に参陣して戦功を挙げた。1543年、大内義隆勢として出雲国に参陣したが討死した。

長野鎮展【ながのしげのぶ(15??~15??)】

松島岳城主。通称三郎左衛門。1587年、「九州征伐」では、羽柴秀吉勢に降伏し所領安堵を受けた。1588年、加藤清正の寄騎衆になり肥後国に転封になり5,000石を領した。

長野種信【ながのたねのぶ(15??~15??)】

馬ヶ岳城主。秋月文種の男。父秋月文種とともにが大友義鎮に謀反を起こしたが、古処山城を攻略されると山口に落延びた。後に豊前長野家へ入嗣した。

永弘氏輔【ながひろうじひろ(15??~15??)】

宇佐郡宇佐八幡宮祠官。周防の大内氏の家臣だった杉重隆に仕え、長年山口で武家奉公した。大内政弘の帰国によって宇佐宮番長職に返り咲いた。1516年、「朽網親満の乱」では、田原親述、朽網親満間の取次役として暗躍した。

奈良瀬重尚【ならせしげなお(15??~15??)】

佐野親重家臣。大根川城主。通称頼母。

貫重依【ぬきしげより(15??~15??)】

貫弘泰の男。

貫隆仲【ぬきたかなか(15??~1551)】

貫弘泰の次男。官途は下総介。大内義隆のもとで奉行人を務めた。1543年、「月山富田城の戦い」に参陣した。陶晴賢の謀反の際、冷泉隆豊らが連署した弾劾状の中に名が載ることになった。1551年、「大寧寺の変」では、最後まで大内義隆に従って山口法泉寺で討死した。

貫清助【ぬききよすけ(15??~1561)】

貫助守の男(貫重依の養子)。通称元助。1558年、小早川隆景の意向を受け門司城を攻略した。奴留湯主水勢の攻撃を撃退した。1561年、「門司城の戦い」で討死した。

貫親清【ぬきちかきよ(15??~1572)】

大内義隆家臣。貫清助の男。官途は下総介。後に城井正房に属した。

野仲興時【のなかおきとき(15??~15??)】

下毛郡長岩城主。1551年、大内義隆が陶晴賢によって謀殺されると陶晴賢に属した。1553年、宇佐宮放生会の奉行を努めた。その後、大友義鎮の弟大友義長が大内家の養子となり大内家の家督を相続したため、野仲興時らは大友義鎮に属した。

野仲鎮兼【のなかしげかね(15??~1588)】

野仲興時の男。1557年、「馬台城の戦い」に参陣し、城主豊田対馬守を滅ぼした。大内義長が毛利元就に滅ぼされると、大友義鎮に謀反を起こして長岩城に籠城したが大友義鎮勢の攻撃を受け降伏した。1578年、「耳川の戦い」で大友義鎮勢が大敗すると、豊前国の諸家は大友義鎮勢を離脱した。1579年、野仲鎮兼勢は下毛郡を制圧した。「大畑城の戦い」では、大畑城主加来統直の伏兵や、田原親賢勢に阻まれたため撤退した。都合四十八回も大畑城を攻撃したが、その度に撃退された。1586年、「九州討伐」で島津義久が羽柴秀吉に帰服すると、黒田孝高、黒田長政父子が豊前国中津城を領した。黒田孝高に対して、城井鎮房が抵抗姿勢を示し、野仲鎮兼も城井鎮房勢に属したため、後藤又兵衛を先陣とする黒田孝高勢の攻撃を受け討死した。
 
野仲重義【のなかしげよし(15??~15??)】

野仲鎮兼の次男。1591年、家臣の野依弾正とともに戸原村に転封した。
 
野仲鎮貞【のなかしげさだ(15??~15??)】

野仲鎮兼家臣。1557年、「大畑城の戦い」では、大友義鎮勢との敗れた野仲鎮兼は、野仲鎮貞を人質に出すことで和議を結んだ。

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【は】

萩原種親【はぎわらたねちか(15??~15??)】

宇佐郡敷田城主。官途は山城守。1587年、「九州征伐」後、豊前国を領した黒田孝高勢の攻撃を受け降伏した。

原口次郎【はらぐちじろう(15??~15??)】

原口城主。1556年、大友義鎮に属した。1587年、「九州征伐」後、豊前国を領した黒田孝高勢の攻撃を受け降伏した。

原田伊予守【はらだいよのかみ(15??~15??)】

日吉城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房が羽柴秀吉勢に反乱を起こすと、日吉城主原田伊予守らは城井鎮房に属して戦ったが落城した。羽柴秀吉は伊地知重春、原田伊予守、蓑輪丹後守、長谷場筑後守らに帷子を与えた。

飯田興秀【はんだおきひで(15??~15??)】

大内義興家臣。飯田城主。飯田興秀は周防国山口に出仕した。1528年、城代として石川弥右衛門が守備していた。1551年、陶隆房の叛乱によって大内義隆が討たれると、飯田興秀は大友義鎮の弟大内晴英を大内家の養子と迎える交渉を行った。

飯田長秀【はんだながひで(15??~15??)】

飯田興秀の男。大内晴英が毛利元就の滅ぼされると、山口城から飯田城に帰還した。1556年、大友義鎮に属した。その後は、大友義鎮勢に属して、大友義鎮の豊前国攻略に尽力した。飯田長秀が参陣している間、弟飯田義忠が飯田城を守備した。1587年、飯田長秀の男飯田重堅は黒田孝高によって所領を没収された。

日隅直次【ひぐまなおつぐ(15??~15??)】

日隅城主。1588年、「城井鎮房の乱」では、城井鎮房が羽柴秀吉勢に反抗すると、日隅城主日隅直次らは城井鎮房に属して戦ったが落城した。

平田掃部介【ひらたかもんのすけ(15??~15??)】

野仲興時家臣。

本郷顕季【ほんごうあきすえ(15??~15??)】

久津尾崎城主。宇留津城主賀来外記入道と領地の境を争って戦いなり、賀来外記入道の攻撃を受けて落城、本郷顕季は自刃した。

如法寺輝則【ねほうじてるのり(15??~15??)】

上毛郡山内城主。1587年、城井鎮房は城井谷城から毛利勝信の領地である田川郡赤郷へ転封した。肥後国隈府城の隈部親永ら国人衆が一揆を起こすと羽柴秀吉は鎮圧のため九州の諸大名に参陣を命じた。豊前国からは黒田孝高が参陣したが、その留守中に豊前国人衆も一揆を起こした。山内城主如法寺輝則、緒方城主緒方維綱、日熊城主日熊直次、高田城主有吉内記らが一揆を起こすと、それを受けて城井鎮房が挙兵、黒田家臣大村助右衛門が守る城井谷城を攻撃、これを奪回した。さらに豊前の有力国人たちが次々に蜂起して一揆の規模が拡大した。豊前国の有力武将で一揆に加わらなかったのは、時枝鎮継、宮成正時、中間統種、広津鎮種のわずか四人だった。

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【ま】

松木正直【まつきまさなお(15??~15??)】

大友義鑑家臣。畳石城主。官途は和泉守。1532年、畳石城が築いた。

松木主水【まつきもんど(15??~1578)】

松木正直の弟。1578年、「耳川の戦い」で討死した。

松木正春【まつきまさはる(15??~15??)】

松木正直の男。1587年、「九州征伐」では、島津義久勢に属して参陣した。その後、中津城主黒田孝高勢の攻撃を受け降伏した。

永松大膳【まつながだいぜん(15??~1595)】

鬼木信家家臣。1595年、鬼木信家に属して岩戸寺城に籠城した。葛原時房らとともに奮戦するが、城は落とされ討死した。

松原行尋【まつばらゆきひろ(15??~15??)】

赤尾賢種家臣。通称左近。

松原右京【まつばらさきょう(15??~15??)】

赤尾賢種家臣。古川城主。

松山義寛【まつやまよしひろ(15??~15??)】

京都郡松山城主。1586年、大友義統勢の攻撃を受けて落城した。

門司親胤【もじちかたね(15??~1571)】

企救郡門司城主。門司家は門司半島という抜群の地理的条件と、海峡通行権を有していたことで、軍事経済面では他の有力国人層よりも優位ではあったが、中国地方との連絡路にあたりつねに強雄の争奪の場となり激しい戦場と化したため、多くの戦費と有力家人を消耗した。仁保隆慰に属して北九州各地を転戦した。1571年、門司城内で病没した。

元重親朝【もとしげちかとも(15??~1578)】

大友義鎮家臣。元重城主。1556年、大友義鎮に属した。1578年、「耳川の戦い」に参陣したが討死した。

元重統信【もとしげむねのぶ(15??~15??)】

元重親朝の男。1587年、「九州討伐」で、羽柴秀吉勢の「九州討伐」では、羽柴秀次勢に属して戦った。1589年、黒田孝高に属した。

桃井右近【ももいうこん(15??~1592)】

京都郡山鹿城主。1592年、黒田孝高によって攻撃され落城、討死した。

黒村喜多右衛門【むろむらきたうえもん(15??~1566)】

黒村城主。1566年、落城した。

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【や】

矢部山城守【やべやましろのかみ(15??~1578)】

大内義隆家臣。矢部城主。大内義隆勢に属していたが、毛利元就によって大内家が滅ぼされると、大友義鎮に属した。1578年、「耳川の戦い」で討死した。その後、黒田孝高の重圧を受けて継嗣の矢部三郎は黒田孝高に降った。

山口紀伊守【やまぐちきいのかみ(15??~1595)】

鬼木信家家臣。1595年、鬼木信家に従って岩戸寺城に籠城するも黒田長政勢に攻められ流れ矢に当たり討死した。

山田隆朝【やまだたかとも(15??~15??)】

築上郡山田城主。官途は安芸守。1557年、大友義鎮の意向受けた田原親宏勢の攻撃を受け、毛利元就を頼って落延びたが、継嗣の山田満千代丸は討取られた。

山田輝家【やまだてるいえ(15??~1588)】

山田隆朝の男。通称大膳。1587年、城井鎮房が挙兵すると山田輝家もこれに呼応して山田城に籠城した。黒田孝高の謀略により中間統種が内応したため、山田城は落城、山田輝家は討死した。

山田親実【やまだちかざね(15??~15??)】

山田輝家の男。大村城主。官途は常陸介。父山田輝家が家臣の内応により討死すると、黒田孝高勢に降伏した。1588年、中津城で謀殺され、山田家は滅亡した。

横山末実【よこやますえざね(15??~15??)】

渡辺光守家臣。山下城主。官途は武蔵守。

吉松鎮俊【よしまつしげとし(15??~15??)】

吉松城主。官途は勘解由。1589年、中島統次の武家城が黒田長政勢の攻撃を受けた際、中島統次を支援したが敗北した。

吉村実信【よしむらさねのぶ(15??~15??)】

吉村城主。通称左馬允。大友義鎮に属した。1588年、中津城に黒田孝高、黒田長政父子が入部すると、黒田孝高によって所領を没収された。

渡辺右京進【わたなべうきょうのしん(15??~15??)】

城井鎮房家臣。篠瀬城主。1589年、城井鎮房が黒田孝高に伺候するため、中津城を訪れたが黒田孝高に謀殺された。渡辺右京進らは、合元寺に控えていたが、黒田孝高勢の攻撃を受け討死した。合元寺の壁は血糊が残り、どんなに洗っても鮮血の色が落ちることがなかったため、壁は赤色に塗られた。

渡辺光守【わたなべみつもり(15??~15??)】

四日市城主。官途は筑後守。1553年、前鬼子岳城主であったが、流浪の末四日市城を築いた。

渡辺光政【わたなべみつまさ(15??~15??)】

渡辺光守の男。官途は和泉守。別名渡辺統政。大友義鎮勢の攻撃を受け降伏した。1587年、「九州征伐」後、豊前国を領した黒田孝高勢の攻撃を受けたが撃退した。最終的には、黒田孝高に降伏した。

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【資料Ⅰ】

豊前国(8郡/210,000石)

企救郡:門司城、貫城。
京都郡:豊前松山城。
田川郡:香春岳城。
仲津郡:馬ヶ岳城。
築城郡:城井谷城。
上毛郡:馬場城。
下毛郡:中津城。
宇佐郡:光岡城、妙見岳城、宇佐八幡宮。

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【資料Ⅱ】

宇佐郡三十六人衆【うさぐんさんじゅうろくにんしゅう】

城井家 、安心院家、松木家、深見家、斎藤家、原口家、飯田家、高並家、津房家、佐田家、副家、香志田家、矢部家、大薗家、広崎家、渡辺家、上田家、是恒家、吉村家、都留家、橋津家、真加江家、相良家、麻生家、木内家、元重家、赤尾家、佐野家、萩原家、時枝家、櫛野家、荒木家、津々見家、照山家、中島家、恵良家。

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【資料Ⅲ】

豊前国【ぶぜんのくに】

九州東北部に位置する西海道の国。東から南にかけては筑紫山地で豊後国に接し、西は平野部でも筑前国と通ずる。北は関門海峡から周防灘にかけて長門国、周防国の両国に海路で結ばれている。国の南東には英彦山を中心とした筑紫山地の高地が広がるが、北には直方平野に続く小倉平野があって低平で、周防灘に面して長く伸びた海岸線沿いにも平野部が広がる。周防灘と響灘を分ける企救半島の関門海峡は、九州と本州との接点であり、瀬戸内海交通によって四国から畿内へと通じる交通上の重要な拠点となっている。産業としては古代から鉱業が盛んであったが、採銅、鋳銅の技術に優れ、日本有数の銅器生産地であった。梵鐘は豊前国の名産として、各地の寺院に供給された。

宇佐八幡宮【うさはちまんぐう】

男山に八幡神が勧請され、石清水八幡宮が創建されると、中央政権は石清水との結びつきを強めた。宇佐宮は荘園を集積して九州最大の荘園領主となるが、一方で、宇佐宮は石清水八幡宮の支配下となり、九州の有力神社という立場となった。その所領も、周辺武士の度重なる押領によってしだいに減少し、宇佐宮自身もたびたび火災に遭うなど、勢力は衰退した。それでも八幡神を守護神とする武士の信仰は厚く、特に周防国守護職を務めた大内義興は宇佐宮を支援した。

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戦国人名辞典は1530~1600年の期間に国別戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいます。本家と分家がある場合、混乱を避けるために、分家には頭に城の名前を入れています。本姓が変わる場合は(○×△)が変更後の本姓となっています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

大友宗麟は大友義鎮、黒田如水は黒田孝高、豊臣秀吉は羽柴秀吉の名前で統一しました。

参考文献:『戦国大名家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(西国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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