2012年1月5日木曜日

戦国和泉国人名辞典

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【あ】

有吉立言【ありよしたつのぶ(15??~1583)】

細川元常家臣。官途は将監。1578年、「丹後安良館の戦い」で細川藤孝勢の攻撃を受け降伏した。1580年、細川藤孝が丹後国を領すると、与謝郡加悦城を領して城下街を建設した。

有吉英貴【ありよしひでたか(15??~16??)】

有吉立行の男。通称玄蕃頭。1583年、父有吉将監が加悦城で病没しすると与謝郡比丘尼城から加悦城に転封した。1637年、「肥前島原の乱」で細川忠利に従い島原一揆勢と戦った。

有吉立行【ありよしたつゆき(1558~1607)】

有吉立言の次男。官途は武蔵守。通称四郎右衛門。有吉家の家督を相続後、安良館、中山館代を務め5,000石を領した。1573年、「淀城の戦い」で岩成友通勢と戦い戦功を挙げた。細川忠興が豊後杵築城を領すると、その城代を務めた。1600年、「関ヶ原の役」で松井康之とともに石田三成勢の大友義統の攻撃を受けた。「石垣原の戦い」で黒田孝高を支援して大友義統勢を撃破した。細川忠興が豊前国に転封すると家老職を務め、15,500石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

有吉興道【ありよしおきみち(1582~1618)】

有吉立行の男。1618年、有吉興道が病没すると、継嗣の有吉貞之が幼少のため、弟有吉英貴が相続した。

有吉英貴【ありよしひでたか(15??~15??)】

有吉立行の次男。年寄衆を務た。1638年、「島原の乱」で細川忠利に従い島原一揆衆と戦ったが、細川忠利勢は討死290余り、負傷者2,128余の損害を受けた。

磯上無仁入道【いそがみむじんにゅうどう(15??~15??)】

和泉郡二田館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

稲葉弥治郎【いなばよはる(15??~15??)】

南泉郡稲葉館主。本願寺顕如勢に属して織田信長勢と戦った。1580年、「稲葉館の戦い」で織田信長勢の攻撃を受け落城した。参考文献:「お城の旅日記」by中西徹。

今北十平次【いまきたじゅうへいじ(15??~15??)】

大鳥郡石津館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

大路新左衛門【おおじしんざえもん(15??~15??)】

日根郡大路館主。和泉三十六郷士。「興蔵寺館の戦い」で古井秀充の興蔵寺館を横領したが反撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

大路信濃守【おおじしなののかみ(15??~1576)】

大路新左衛門の男。1576年、「第一次木津川口の海戦」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

岡彦市郎【おかひこいちろう(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

岡本五郎【おかもとごろう(15??~15??)】

日根郡岡本館主。1585年、「船岡山城の戦い」で羽柴秀吉勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

奥久忠【おくひさただ(15??~15??)】

畠山高政家臣。樫井館主。官途は将監。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

奥久国【おくひさくに(15??~15??)】

奥久忠の男。通称源太郎。1585年、「樫井館の戦い」で羽柴秀吉勢の攻撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

奥久豊【おくひさとよ(15??~15??)】

奥久忠の次男。通称三郎二郎。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

奥久直【おくひさなお(15??~15??)】

奥久忠の三男。通称源内。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

奥久道【おくひさみち(15??~15??)】

奥久国の男。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【か】

樫井又左衛門【かしいまたざえもん(15??~15??)】

日根郡樫井館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

樫井太郎兵衛【かしいたろうべい(15??~15??)】

樫井又左衛門の男。1600年、「関ヶ原の戦い」で松平元康勢に従い平塚為広を討取る戦功を挙げた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

門村左近【かどむらさこん(15??~15??)】

日根郡熊取館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

上之郷忠光【かみのごうただみつ(14??~15??)】

日根郡上之郷館主。通称二郎左衛門尉。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

神前要人【かみまえようじん(15??~1565)】

日根郡畠中館主。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

神前宗行【かみまえむねゆき(15??~15??)】

神前要人の男。通称左衛門太郎。1577年、「畠中館の戦い」で織田信長勢の攻撃を受け降伏した。参考文献:「お城の旅日記」by中西徹。

神前是光【かみまえこれみつ(15??~15??)】

神前宗行の養子。通称源太夫。室は神前宗行の娘。1585年、「第二次紀州討伐」では、日根郡の旗頭を務め畠中館に籠城した。紀伊千石堀城が落城すると城兵は逃亡した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

神前氏政【かみまえうじまさ(15??~15??)】

神前是光の男。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

熊取盛重【くまとりもりしげ(15??~15??)】

日根郡熊取館主。根来衆。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

毛穴又六【けあなまたろく(14??~1497)】

畠山義豊家臣。大鳥郡毛穴館主。1497年、「河内高屋城の戦い」で畠山義豊に従い籠城したが、畠山尚順の攻撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

香西元長【こうざいもとなが(15??~15??)】

細川政元家臣。通称又六。1507年、薬師寺長忠とともに細川澄之を擁して細川政元を謀殺した。細川澄元は、細川高国、細川政賢とともに細川澄之勢を攻撃して薬師寺長忠、細川澄之を討取った。参考文献:『戦国大名家家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社。

香西元盛【こうざいもともり(15??~1526)】

波多野秀長の三男(香西元長の養子)。室町幕府山城半国守護代。通称四郎左衛門尉。兄波多野稙通の勢力拡大に従い、その意向を受け香西家の家督を相続した。1524年、柳本賢治とともに細川高国と対立する細川晴元の残党を和泉国で撃破る戦功を挙げた。1526年、細川尹賢の讒言を信じた細川高国に謀殺された。参考文献:『戦国大名家家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社。

甲田孫左衛門【こうだまござえもん(15??~15??)】

降井隆家家臣。和泉三十六郷士。1560年、降井隆家が滅亡すると自立した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

小谷政種【こたにまさたね(15??~1571)】

大鳥郡小谷館主。通称甚八郎。1571年、「小谷館の戦い」で三好長治勢の一宮成祐の家臣木村肥前守の攻撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

小谷種氾【こたにたねはん(15??~15??)】

小谷政種の男。通称太夫進。1575年、「第一次紀州討伐」で根来衆に従い織田信長勢と戦い敗れた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

近木源左衛門【このぎげんざえもん(15??~15??)】

日根郡橋本館主。根来衆。1585年、「橋本館の戦い」で羽柴秀吉勢の攻撃を受け落城した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

近木忠三郎【このぎちゅうざぶろう(15??~15??)】

積善寺館主。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

小松里心西入道【こまつざとこさいにゅうどう(15??~1576)】

小松里館主。和泉三十六郷士。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【さ】

斎藤勝実【さいとうかつざね(15??~15??)】     

細川氏綱家臣。和泉郡下条大津館主。通称主膳。下和泉守護代職を務めた。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

坂本貞助【さかもとさだすけ(15??~15??)】

和泉郡坂本館主。官途は石見守。通称三郎。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

坂本長徳【さかもとながのり(15??~1576)】

坂本順喜の男。官途は近江守。通称八郎助。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、足利義昭に従った。のち織田信長に従い戦功を挙げた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

坂本元永【さかもともとなが(15??~1576)】

坂本長徳の男。官途は石見守。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

雀部次兵衛尉【ささべじへいじのしょう(15??~1569)】

松永久秀家臣。1569年、「家原館の戦い」で寺町左近将監に従い家原館に籠城したが、三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)の攻撃を受け討死した。

澤田備後守【さわだびんごのかみ(15??~1569)】

松永久秀家臣。1569年、「家原館の戦い」で寺町左近将監に従い家原館に籠城したが、三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)の攻撃を受け討死した。

晶源助【しょうげんすけ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

積川四郎左衛門【せきかわしろうざえもん(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

惣官美濃守【そうかんみののかみ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【た】

多賀井宮内太夫【たがいくないだいふ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

降井隆家【たかいたかいえ(15??~15??)】

泉南郡熊取館主。官途は太夫。和泉三十六郷士。「熊取館の戦い」で日根野七郎勢の攻撃を受け没落した。

隆井盛豊【たかいもりとよ(15??~15??)】 

門野盛勝の次男。別名門野盛豊。隆井家の家督を相続した。

隆井盛永【たかいもりなが(15??~15??)】 

門野盛吉の次男(隆井盛豊の養子)。別名門野盛永。1585年、「第二次紀州討伐」で根来衆の畠中館に籠城した。

田代道徳【たしろどうとく(15??~15??)】

細川元常家臣。大鳥郡大鳥館主。通称源次郎。和泉三十六郷士。参考文献:『全国国衆ガイド 戦国の”地元の殿様”たち』by大石泰史編。

田治米十左衛門【たじめじゅうざえもん(15??~15??)】

和泉三十六郷士。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

田所大和守【たどころやまとのかみ(15??~15??)】

和泉郡府中館主。和泉三十六郷士。別名上ノ大和殿。大鳥明神の神職を務めた。府中、和気、井口、黒取、板原、肥子村、八木郷にて五ヶ村を領した。

田中重景【たなかしげかげ(15??~15??)】

和泉郡田中館主。官途は遠江守。1576年、織田信長による石山本願寺攻めに参陣した。

谷山平左衛門【たにやまへいざえもん(15??~15??)】

沼間清成家臣。

玉井行家【たまいゆきいえ(15??~1588)】

和泉郡千原館主。官途は壱岐守。別名玉井源秀。和泉三十六郷士。1543年、玉井源秀は細川元常と戦い敗退した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

玉井彦六【たまいひころく(15??~15??)】

細川元常家臣。1542年、「玉井彦六の乱」で細川氏綱と結び守護代の松浦守を隠居に追い込んだ。1543年、「芦原口の戦い」で松浦守と戦い敗退した。「横山の戦い」で細川氏綱とともに松浦守勢と戦い敗退した。参考文献:『全国国衆ガイド 戦国の”地元の殿様”たち』by大石泰史編。

玉井遠江守【たまいとうとううみのかみ(15??~15??)】

和泉郡我孫子館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

玉井駿河守【たまいするがのかみ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

淡輪隆重【たんのわたかしげ(15??~15??)】

日野根郡淡輪館主。別名淡輪徹斎。1576年、「第一次木津川口の戦い」で毛利輝元の海賊衆と戦い大敗した。1578年、佐久間信盛の寄騎衆に任じられ摂津石山城と雑賀衆を監視を行なった。1582年、「本能寺の変」で織田信長が討死すると、羽柴秀吉の家臣中村一氏に従った。

淡輪重利【たんのわしげとし(15??~15??)】

淡輪隆重の男。通称新兵衛。浅野長政に仕えた。

淡輪隆政【たんのわたかしげまさ(15??~1615)】

淡輪隆重の次男。通称六郎兵衛。別名淡輪重政。1615年、「樫井川の戦い」で羽柴秀頼勢に従い松平元康勢と戦い塙団直之とともに討死した。

寺田知正【てらだともまさ(15??~15??)】

松浦守家臣。和泉郡寺田館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

寺田正家【てらだまたざえもん(15??~1585)】

寺田知正の男。通称又右衛門尉。別名松浦正家。1563年、松浦信輝を謀殺して岸和田城を領した。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、足利義昭に従った。のち織田信長、羽柴秀吉に従い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

寺田宗清【てらだむねきよ(15??~1628)】

寺田知正の次男。通称安大夫。別名松浦宗清。1563年、兄寺田正家とともに松浦信輝を謀殺した。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い大敗した。1584年、「小牧、長久手の戦い」で羽柴秀吉勢に従い戦功を挙げ伊勢井生館に転封して10,000石を領した。1590年、「武蔵忍城の戦い」で石田三成勢に従い北条氏直勢と戦った。1600年、「伊勢安濃津城の戦い」で石田三成勢に従い松平元康勢の富田信高と戦った。役後、改易処分に処された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

寺町左近将監【てらまちさこんしょうげん(15??~1569)】

松永久秀家臣。大鳥郡家原館主。1569年、「家原城の戦い」で三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)の攻撃を受け討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【な】

中村十太夫【なかむらじゅうだいふ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

成田伊豆守【なりたいずのかみ(15??~15??)】

和泉郡信太館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

西村清右衛門【にしむらせいえもん(15??~15??)】

沼間清成家臣。

西村新右衛門尉【にしむらしんえもん(15??~15??)】

細川政久家臣。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

沼間清成【ぬまきよなり(15??~15??)】

大鳥郡綾井館主。官途は越後守。別名綾井任世。和泉三十六郷士。綾井館7,000石を領した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

沼間義清【ぬまよしきよ(15??~1576)】

沼間清成の男。官途は越後守。室は中村一政の娘。1576年、「第一次木津川口の戦い」では、織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。

沼間興清【ぬまおききよ(15??~15??)】

沼間義清の男。官途は主膳。室は中村一氏の養女。1576年、「第一次木津川口の海戦」で父沼間義清が討死したため、沼間家の家督を相続した。中村一氏の寄騎衆を務めた。

沼間正盛【ぬまのまさもり(15??~1576)】

沼間清成家臣。大鳥郡木積馬場館主。官途は伊賀守。通称伝内。室は沼間清成の娘。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、足利義昭に従った。1573年、足利義昭が追放処分に処されると、織田信長に仕え佐久間信盛の寄騎衆を務めた。1576年、「第一次木津川口の海戦」で毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。

沼間伝内【ぬまのでんない(15??~1576)】

沼間正盛の男。室は沼間清成の娘。1576年、織田信長の家臣佐久間信盛に従い真鍋七五三兵衛とともに住吉浜手砦を守備した。「第一次木津川口の海戦」では、織田信長勢に属した沼間義清に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。

沼間越中守【ぬまのえっちゅうのかみ(15??~1576)】

沼間清成家臣。1576年、「第一次木津川口の海戦」では、織田信長勢の属した沼間義清に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。

沼間大隅守【ぬまのおおすみのかみ(15??~15??)】

沼間清成家臣。日根郡鳥取館主。和泉三十六郷士。1576年、「第一次木津川口の海戦」では、織田信長勢の属した沼間義清に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。

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【は】

土師新左衛門【はじししんざえもん(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

土生十左衛門【はぶじゅうざえもん(15??~15??)】

和泉郡土生館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

林伝内【はやしでんない(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

早水茂左衛門【はやみずしげざえもん(15??~15??)】

沼間清成家臣。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

久枝久盛【ひさえだひさもり(15??~15??)】

細川政久家臣。斎藤勝実に代わり守護代に任じられた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

菱木五助【ひしきごすけ(15??~15??)】

大鳥郡菱木館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

日根野若狭守【ひねのわかさのかみ(15??~15??)】

日根郡日根野館主。和泉三十六郷士。日根野大井関明神の神職を務めた。

日根野孫次郎【ひねのまごじろう(15??~15??)】

日根野若狭守家臣。1576年、「摂津天王寺の戦い」で織田信長に従い一向一揆勢と戦い負傷した。

日根野孫七郎【ひのねまごしちろう(15??~15??)】

日根野若狭守家臣。1561年、三好実休から課役、関銭を宛行われた。富上宗俊から本領を安堵された。

平松宗時【ひらまつむねとき(15??~15??)】

和泉郡土居館主。通称源左衛門尉。和泉三十六郷士。1585年、「第二次紀州討伐」では、病床のため継嗣の平松宗賢が陣代として出陣させた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

平松宗賢【ひらまつむねかた(15??~15??)】

平松宗時の男。1585年、「第二次紀州討伐」で病気の平松宗時に代わり陣代を務めた。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

広瀬三河守【ひろせみかわのかみ(15??~15??)】

細川政久家臣。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

福井源助【ふくいげんすけ(15??~15??)】

和泉郡三田館主。和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

福田九郎左衛門尉【ふくだくろうざえもんのじょう(15??~15??)】

十河一存家臣。福田館主。

藤林作右衛門【ふじばやしさくざえもん(15??~1576)】

和泉郡大津宇田館主。和泉三十六郷士。1576年、 「第一次木津川口の海戦」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

藤林与左衛門【ふじばやしよざえもん(15??~1600)】

藤林作右衛門の男。1600年、「関ヶ原の役」で石田三成勢に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

和泉細川元有【ほそかわもとあり(1459~1500)】

日根郡岸和田城主。細川常有の四男。官途は刑部少輔。室町幕府和泉上半国守護職。通称五郎。別名「雪渓源猷」。室は三淵晴貞の娘。1481年、父細川常有の意向を受け和泉細川家の家督を相続した。1495年、細川政久とともに畠山尚順と結び、細川政元勢と戦ったが敗退した。1500年、「岸和田城の戦い」で畠山尚順勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

和泉細川元常【ほそかわ(1482~1554)】

細川元有の男。官途は播磨守。通称五郎。1500年、父細川元有が討死したため、和泉細川家の家督と和泉半国守護職を相続した。1507年、「永正の錯乱」で細川政元が謀殺されると、後継者をめぐって京兆細川家は分裂した。細川元常は細川政元の養子細川澄元を擁してもうひとりの養子細川高国と戦うが敗れて和泉半国守護職を失った。細川澄元の病没後はその継嗣細川晴元を支援した。1531年、細川高国が討死すると、細川晴元から和泉半国守護職に任じられた。1543年、細川高国の養子細川氏綱が細川晴元と争うと、細川晴元とともに細川氏綱勢と戦った。1549年、「摂津江口の戦い」で細川晴元の家臣三好長慶が離反して細川氏綱勢に属したため大敗した。三好長慶に奪われ、足利義輝とともに近江国に落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

和泉細川藤孝【ほそかわふじたか(1534~1610)】

三淵晴員の男(細川元常の養子)。官途は兵部大輔。通称与一郎。室は沼田光兼の娘。1554年、養父細川元常の病没により和泉細川家の家督を相続した。1565年、「永禄の変」で足利義輝が三好三人衆と松永久秀勢に謀殺されると、足利義昭の救出に尽力した。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛するとこれに従った。足利義昭と織田信長が決裂すると、織田信長に仕えた。1573年、淀城に籠城する岩成友通を討取る戦功を挙げた。1582年、「本能寺の変」で織田信長が討死すると、剃髪して和泉細川家の家督を継嗣の細川忠興に譲った。1589年、丹後国宮津城40,000石を領した。詩歌、有職故実、遊泳などの文芸に長じ、羽柴秀吉、松平元康からも師事を受けた。1600年、「丹後田辺城の戦い」では、寡兵で田辺城に籠城して石田三成勢30,000余りと戦った。細川藤孝が持つ「古今伝授」の断絶を恐れた天皇から勅使が遣わされ降伏した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

和泉細川忠興【ほそかわただおき(1563~1645)】

細川藤孝の男。官途は越中守。通称与一郎。室は明智光秀の娘(玉子)。1577年、「大和片岡城の戦い」で戦功を挙げた。1582年、「本能寺の変」後に父細川藤孝が織田信長に弔意を顕して隠居したため、細川忠興が和泉細川家の家督を相続した。1583年、「小牧、長久手の役」では、羽柴秀吉勢に属して織田信雄勢と戦った。1600年、「関ヶ原の役」では、松平元康勢に属し戦功を挙げたが、大坂屋敷にいた内室の玉子は石田三成勢の人質となるのを拒否して自害した。稲富祐直がひとり落延びたのを責め執拗に奉公搆えした。役後、豊前中津城396,000石を領した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

和泉細川興元【ほそかわおきもと(1564~1619)】

細川藤孝の次男。室は沼田清延の娘。継室は高橋鎮種の娘。別名細川昌興。
1577年、「河内片岡城の戦い」に父細川藤孝に従って参陣した。1582年、「丹後吉原城の戦い」に参陣して戦功を挙げ、吉原城主に任じられた。城下街(寺谷)を整備した。1600年、「関ヶ原の役」後、豊前中津城主に任じられたが、細川忠興と対立したため、松平元康に仕え下野国茂木城10,000石を領した。1615年、「大坂夏の陣」では、酒井忠世勢に属して戦功を挙げ16,200石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

和泉細川幸隆【ほそかわゆきたか(1571~1607)】

細川藤孝の三男。官途は刑部少輔。1585年、愛宕郡下坊福寿院で出家した。1600年、「丹後田辺城の戦い」では、父細川藤孝とともに籠城した。戦後、豊前龍王城代に任じられた。

和泉細川孝之【ほそかわたかゆき(1585~1647)】

細川藤孝の四男。官途は中務少輔。通称与十郎。1600年、「関ヶ原の役」後、豊前香春城代を務めた。

和泉細川忠隆【ほそかわただたか(1580~1646)】

細川忠興の男。通称与一郎。室は前田利家の娘(千世)。1599年、烏丸光広が丹後に細川藤孝を訪問し、天橋立を見物した際に連歌を歌ったが、細川忠隆もこれに加わった。1600年、「岐阜城の戦い」に参陣して戦功を挙げた。大坂屋敷から落延びた内室(千世)の捜索を細川忠興から命ぜられたが、、「自分の内室(玉子)が殺されたからといって、逃亡した嫁(千世)を捕まえろとは無茶である」として、拒否したため、勘当処分に処された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

和泉細川興秋【ほそかわおきあき(1583~1615)】

細川忠興の次男(細川興元の養子)。通称与五郎。1600年、「美濃岐阜城の戦い」に参陣して戦功を挙げた。1603年、養父細川興元が下野茂木城主になると、細川興秋が豊前中津城主に任じられた。1604年、松平元康の人質となっていた細川忠利が帰国したため、細川興秋が人質として送られた。和泉細川家の家督を相続できなかったため、京都建仁寺十如院に入って剃髪した。1614年、「大坂冬の陣」では、羽柴秀頼勢に属して参陣した。1615年、「道明寺の戦い」では、後藤基次勢の先陣を務め戦功を挙げた。「天王寺の戦い」にも参陣したが、大坂城が落城すると、山城国伏見東林院に匿われたが捕縛され自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

和泉細川忠利【ほそかわただとし(1586~1614)】

細川忠興の三男。官途は越中守。通称内記。室は小笠原秀政の娘(千代姫)。1619年、父細川忠興の隠居により和泉細川家の家督を相続した。1632年、加藤忠が改易処分に処されると、肥後国に転封して熊本城540,000石を領した。1637年、「島原の乱」に参陣したが多大な損害を受けた。1640年、松井興長の斡旋により客将として宮本武蔵を召抱えた。柳生宗矩に新陰流を学んび、文武両道に優れまた家臣の忠孝篤った。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

野州細川政久【ほそかわまさひさ(14??~15??)】

細川元有家臣。下和泉守護家。1493年、「明応の政変」で細川元有とともに畠山尚順と手を結び、細川政元勢と戦い討死した。

野州細川晴宣【ほそかわはるのぶ(15??~1531)】

畠山尚順の次男(細川政久の養子)。通称五郎。別名畠山晴宣。1531年、「大物崩れ」で細川高国、浦上村宗とともに細川晴元、三好元長勢と戦い討死した。

野州細川高基【ほそかわたかもと(14??~1524)】

細川春倶の次男。官途は民部大輔。室町幕府下和泉国守護職。通称弥九郎。兄細川尹賢が典厩細川家を相続したため、野州細川家の家督を相続した。1513年、「永正の錯乱」で細川高国と細川澄元が争うと、細川高国勢に属して近畿地方を転戦した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

野州細川勝基【ほそかわかつもと(14??~1531)】

細川高基の養子。通称九郎。1493年、「明応の政変」で細川元有、畠山尚順と手を結び細川政元勢と戦い討死したため、勢力を減退させた。1508年、細川高国が細川澄元|を追って京兆細川家を継承すると、細川元常は細川澄元勢に属した。1531年、「大物崩れ」で細川高国、浦上村宗とともに細川晴元、三好元長勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【ま】

松浦守【まつうらまもる(15??~1557)】

細川元有家臣。和泉国守護代職。官途は肥前守。通称左衛門尉。1500年、「神於寺の戦い」で細川元有、細川基経らに従い畠山尚順、根来衆と戦ったが敗れて細川元有、細川基経が討死した。1521年、「等持寺の戦い」で細川澄元、細川元常、三好之長らとともに細川高国勢と戦い敗退した。1541年、三好長慶の支援を受けて畠山稙長と遊佐信教勢と戦った。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

松浦信輝【まつうらのぶてる(15??~1563)】

松浦守の男。官途は肥前守。別名松浦光。1558年、「岸和田城の戦い」で三好長慶の家臣十河一存勢の攻撃を受け蛇谷館に落延びた。1562年、「河内久米田の戦い」で畠山高政、安見宗房勢に従い三好長慶勢と戦い戦功を挙げた。「河内教興寺の戦い」で畠山高政、安見宗房勢に従い三好長慶勢と戦い大敗したため、蛇谷館に撤退した。1563年、岸和田城に復帰したが家臣寺田宗清に謀殺された。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

松浦孫太夫【まつうらまごだいふ(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

松浦総八郎【まつうらそうはちろう(15??~15??)】

松浦信輝家臣。1569年、和泉小島関で奪われた毛利元就と大友義鎮との和議の進物を今井宗久から搬送するように依頼された。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

松浦総五郎【まつうらそうごろう(15??~15??)】

松浦信輝家臣。1570年、織田信長から禁中修理、武家御用のための上洛を促された。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

松尾寺長諭【まつおじちょうゆ(15??~15??)】

大鳥郡松尾寺館主。寺領7,000石、寺坊300、僧兵2,000余りを擁した。1577年、織田信長から禁制を受けた。1581年、織田信長勢の焼き討ちにされた。

松阪景量【まつざかかげかず(15??~15??)】

細川政久家臣。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

真鍋貞友【まなべさだとも(15??~1576)】

和泉郡淡輪館主。通称主馬兵衛。別名真鍋七五三衛。和泉三十六郷士。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると織田信長に従い3,000貫の所領を安堵された。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真鍋貞成【まなべさだなり(1567~1656)】

真鍋貞友の男。通称五郎右衛門。1576年、「第一次木津川口の戦い」で父真鍋貞友が討死したため、真鍋家の家督を相続した。織田信長の意向を受け大津館に転封した。1582年、「本能寺の変」で織田信長が討死すると羽柴秀吉に仕えた。1589年、「小田原の役」で羽柴秀吉に従い北条氏直勢と戦った。1600年、「関ヶ原の役」後、福島正則に仕えた。1619年、福島正則が改易処分に処されると、大崎長行、村上通清らとともに紀州松平頼宣に仕えた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三淵晴恒【みつぶちはるつね(14??~15??)】

足利義晴家臣。和泉郡松崎館主。官途は加賀守。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三淵晴員【みつぶちはるかず(1500~1570)】

細川元有の男(三淵晴恒の養子)。官途は伊賀守。和泉松崎館、山城大法寺館を領した。1547年、「山城北白河館の戦い」で足利義晴、足利義輝らが細川晴元勢と戦って敗北し、近江国坂本に落延びるとこれに従った。1565年、「永禄の変」で足利義輝が討死すると足利義昭に仕えた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三淵藤英【みつぶちふじひで(15??~1574)】

三淵晴員の男。官途は弾正左衛門。1565年、「永禄の変」で足利義輝が松永久秀、三好三人衆らに謀殺されると足利義昭、細川藤孝らとともに朝倉義景のもとに落延びた。1567年、「普賢谷の戦い」で松永久秀と結び三好三人衆勢と戦った。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、伏見城周辺の守備した。1569年、「本圀寺の戦い」で和田惟政、伊丹親興、明智光秀らとともに足利義昭を守って三好三人衆勢と戦った。1573年、「山城槇島城の戦い」で足利義昭が槇島城に籠城して織田信長勢と戦うと二条城を守備した。足利義昭が敗退すると細川藤孝、柴田勝家に降伏した。1575年、改易処分に処され、継嗣の三淵秋豪とともに自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三淵秋豪【みつぶちあきひで(15??~1574)】

三淵晴員の男。1573年、「山城槇島城の戦い」で足利義昭が槇島城に籠城して織田信長勢と戦うと父三淵晴員とともに二条城を守備した。足利義昭が敗退すると細川藤孝、柴田勝家に降伏した。1575年、三淵晴員とともに自刃した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三淵光行【みつぶちみつゆき(1571~1623)】

三淵藤英の次男。官途は伯耆守。室は郡宗保の四女(慶寿院)。1575年、父三淵晴員、兄三淵秋豪が自刃すると叔父の細川藤孝に養育された。1600年、「丹後田辺城の戦い」で細川藤孝に従い石田三成勢と戦った。1609年、松平元康に仕え近江国神崎郡内で1,000石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三淵昭貞【みつぶちあきさだ(15??~15??)】

三淵藤英の三男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。 

三淵昭知【みつぶちあきとも(15??~15??)】 

三淵藤英の四男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三淵昭長【みつぶちあきなが(15??~15??)】 

三淵藤英の五男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森村源左衛門【もりむらげんざえもん(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【や】

薬師寺元一【やくしじもとかず(14??~1504)】

細川政元家臣。薬師寺元長の養子。通称与一。1500年、細川政元の意向を受け、河内国の畠山義英を支援して畠山尚順を撃破る戦功を挙げた。1501年、父薬師寺元長の病没により、薬師寺家の家督と摂津国守護代職を相続した。1503年、細川政元の意向を受け、細川澄元を養子に迎える交渉役を務めた。1504年、「淀城の戦い」で細川澄元を擁立して細川政元を裏切り淀城に籠城したが、弟の薬師寺長忠らの攻撃を受け自刀した。辞世の句「地獄には よき我が主(若衆)の あるやとて 今日おもひたつ 旅衣かな」。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

薬師寺長忠【やくしじながただ(14??~1508)】

薬師寺元長の次男。1504年、「淀城の戦い」で兄薬師寺元一が細川澄元を擁して謀反を起こすと、これを鎮定した。摂津国守護代職と薬師寺家の家督を相続した。1507年、「永正の錯乱」で対立する三好之長を排除するため、香西元長、竹田孫七らとともに細川政元を謀殺して、細川澄之を擁立した。1508年、「淀城の戦い」で、細川高国勢の薬師寺国長と戦い、細川澄之や香西元長らとともに討死した。戦功を挙げ摂津国守護代に任じられた。1508年、細川政元を謀殺して細川澄之を擁立したが、細川澄元、細川高国勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

薬師寺国長【やくしじくになが(15??~1533)】

薬師寺元一の男。摂津国守護代。官途は備後守。通称与次。1507年、細川政元が謀殺されると、細川高国に仕えた。1508年、「摂津茨木城の戦い」で、細川澄之、薬師寺長忠、香西元長を攻撃してこれを討取る戦功を挙げ、薬師寺家の家督を相続して摂津国守護代職に任じられた。1527年、山城山崎城主に任じられた。細川晴元の家臣波多野稙通の攻撃を受け降伏して細川晴元に仕えた。1533年、「高雄城の戦い」で細川晴国と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

安富元家【やすとみもといえ(14??~15??)】

細川政元家臣。家老職を務めた。1491年、細川政元から近江国守護代に任じられた。1492年、細川政元の意向を受け河内畠山政長を討取った。1508年、細川澄元、細川澄之が争うと没落した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

山之内宮内【やまのうちくない(15??~15??)】

和泉三十六郷士。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

山内信成【やまのうちのぶなり(1558~1653)】

貝の池館主。通称長右衛門。貝の池の修築などの灌漑水利の整備などを行った。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

吉井五郎九郎【よしいごろうくろう(15??~1576)】

和泉郡吉井館主。和泉三十六郷士。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、織田信長に従い綾井館主に任じられた。1576年、「第一次木津川口の戦い」で織田信長勢に従い毛利輝元勢の海賊衆と戦い討死した。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

若林勝延【わかばやしかつのぶ(15??~15??)】

細川政久家臣。参考文献:「泉州志」by石橋直之。

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【資料Ⅰ】

和泉国(3郡/140,000石)

大鳥郡:小谷城、石津館、深井館、綾井館、大鳥神社、堺街(40,000石)。
泉南郡:岸和田城、大津城、苅田館(60,000石)。
日野根郡:雨山館、淡輪館、積善寺館(40,000石)。

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【資料Ⅱ】

和泉三十六郷士【いずみさんじゅうろくごうし】

和泉国の豪族衆。磯上無仁入道、今木肥後守、今北十平次、大路新左衛門、岡彦市郎、樫井又左衛門、門村左近、甲田孫左衛門、小松里心西入道、斎藤主膳、坂本近江守、惣官美濃守、玉井壱岐守、玉井遠江守、玉井駿河守、多賀井宮内太夫、田代道徳、田治米十左衛門、田所大和守、積川四郎左衛門、寺田又右衛門、松浦安太夫、中村十太夫、成田伊豆守、沼間清成、沼伊賀守、沼大隈守、土師新左衛門、林伝内、土生十左衛門、菱木五助、日根野若狭守、平松源左衛門、福井源助、藤林作右衛門、藤林与左衛門、降井太夫、松浦孫太夫、真鍋主馬大輔、森村源左衛門、山之内宮内、吉井五郎九郎、晶源助。

会合衆【えごうしゅう】

室町時代から安土桃山時代の都市で自治の指導的役割を果たした評定組織またはその組織。同じ時期に山田(伊勢)、大湊(伊勢)、博多、酒田などの都市にも類似した組織が見られた。会合衆は、堺の有力商人で構成され、能登屋や臙脂屋などの有力商人がその任にあたった。三十六人の会合衆の中でもとりわけ有力な者が十人の納屋衆であった。

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【資料Ⅲ】

和泉国【いずみのくに】

灘波の海に面した五畿内の国。北は摂津国、南は和泉山脈を隔ててそれぞれ河内国と紀伊国に境を接している。灘波の海は明石海峡を経て瀬戸内海、紀淡海峡を経て紀伊水道へ抜ける位置にあり、和泉国の北端にある堺は、室町時代には国内のみならず日明貿易の中心地として栄えた日本最大の貿易湊になった。このため、莫大な富を築くた堺の豪商たちは三十六の会合衆の合議による自治都市を運営し、独自文化を形成した。商業都市としての性質上から、畿内国の中では比較的平穏が保たれた。

堺街【さかいのまち】

琉球貿易、南蛮貿易の拠点として国内外より多くの商人が集まる貿易都市としての発展した。安土桃山時代には貿易港としての地位を揺るぎないものとし、戦乱から町を守るため周囲に堀を巡らせた環濠都市を形成。会合衆と呼ばれる商人たちが自治的な都市運営を行い中世の自治都市となる。織田信長の前に屈服。自治機能が解体され、直轄地に置かれる。その後、羽柴秀吉が大坂城を築き、城下街が形成されると堺商人の多くが大坂へ強制移住させられたため、堺の都市機能は著しく低下した。同様に全国各地の城下街にも堺商人が移り住むようになる。産業面では戦国期より鉄砲生産が盛んに行われ、また文化面では今井宗久や千利休、津田宗及に代表される茶の湯などが開かれた。

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戦国人名辞典は、1467年、「応仁の乱」から1637年、「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

武田信玄は武田晴信、上杉謙信は長尾景虎、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉、豊臣秀頼は羽柴秀頼に名前を統一しました。

城と館の違いは、城は10,000石以上の領主の居城。館、砦は9,999石以下の領主の居城としました。館と砦の違いは平地にある場合は館、山岳地帯、諸島にある場合は砦としてました。

参考文献:『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『徳川、松平一族の辞典』by東京堂出版、『徳川家康家臣団の辞典』by東京堂出版、『全国国衆ガイド(戦国の”地元の殿様”たち)』by星海社新書、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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