2012年3月26日月曜日

戦国阿波国人名辞典

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【あ】

粟飯原平之丞【あいはらへいのじょう(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。石川六之丞とともに板西城代職を務めた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

青野道意【あおのどうい(15??~15??)】

久米義広家臣。通称主水正。加藤影俊、真木山肥後守、三木道恩とともに鴨館を守備した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

赤木兵部丞【あかぎひょうぶのじょう(15??~15??)】

松永久秀家臣。赤木春輔の男。父の赤木春輔は中沢秀剛とともに細川晴国の奉行衆を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

赤沢宗伝【あかざわそうでん(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡坂西城主。官途は信濃守。室は三好義賢の姪。断絶していた赤沢家を家督を継承した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長我部元親勢と戦い討死した参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

赤沢鹿之丞【あかざわしかのじょう(15??~1582)】

赤沢宗伝家臣。板野郡新居館主。赤沢家十二人衆。筆頭家老職を務め、110貫を領した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に属した赤沢宗伝に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。 

赤沢美濃守【あかざわみののかみ(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡矢武上館主。赤沢家十二人衆。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

赤沢出羽守【あかざわでわのかみ(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。赤沢家三人衆。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

赤沢蔵人介【あかざわくらうどのすけ(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

秋月光秋【あきづきみつあき(15??~15??)】

阿波郡秋月館主。官途は主膳。通称五郎左衛門。三好政長の従弟。弓術に優れていた。1554年、「摂津有馬の戦い」で三好政長に従い別所就治勢の二人を倒す戦功を挙げた。参考文献:「コトバンク」byデジタル版日本人名大辞典+Plus。

安芸宗長【あきむねなが(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。名東郡左那河内館主。安芸備中守の次男。官途は飛騨守。通称左京亮。赤沢家十二人衆。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

安芸忠左衛門【あきちゅうざえもん(15??~1615)】

安芸長宗の男。羽柴秀長に仕え2,000石を領した。1595年、羽柴秀長が病没したため、山内一豊に仕え600石を領した。1615年、「大坂夏の陣」で羽柴秀頼に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

秋本盛貞【あきもともりさだ(15??~15??)】

三好之長家臣。勝浦郡櫛渕館主。官途は和泉守。別名櫛渕盛貞。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元盛之【あきもともりゆき(15??~15??)】

秋本盛貞の男。別名櫛渕盛之。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元成公【あきもとなりあき(15??~1582)】

秋元盛之の男。通称左近。別名櫛渕成公。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元国武【あきもとくにたけ(15??~1582)】

秋元成公の男。別名櫛渕国武。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元長実【あきもとながざね(1566~1584)】

秋元国武の男。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元松実【あきもとまつざね(1567~1592)】

秋元国武の次男。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

秋元成松【あきもとなりまつ(15??~1601)】

秋元国武の三男。通称五郎太夫。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

芥川長光【あくたがわながみつ(14??~1520)】

三好之長の三男。通称孫四郎。摂津芥川山城を守備した。1520年、「等持院の戦い」で父の三好之長に従い細川高国、六角定頼勢と戦い三好之長、芥川長則らとともに曇華院殿に落延びた。助命を条件に三好之長、三好新五郎、三好長則とともに降伏したが謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

芥川孫十郎【あくたがわまごじゅうろう(15??~15??)】

芥川長光の男。通称孫十郎。室は三好元長の娘。1546年、「芥川山城の戦い」で細川氏綱、遊佐長教、薬師寺元房勢の攻撃を受け摂津国衆とともに降伏した。1547年、「芥川山城の戦い」で三好長慶、細川晴元勢の支援を受け薬師寺元房から芥川山城を奪還した。1549年、「江口の戦い」で三好長慶に従い細川晴元、三好政長勢と戦い戦功を挙げた。1552年、「丹波八上城の戦い」で三好長慶が波多野晴通勢と戦うと波多野晴通に内応したが、まもなく帰参した。1553年、「山城霊山城の戦い」で足利義輝と結んだ細川晴元に従い芥川山城に籠城した。「芥川山城の戦い」で三好長慶勢の攻撃を受け三好義賢のもとに落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

芥川宗長【あくたがわむねなが(15??~1582)】

三好義賢家臣。那賀郡福井館主。通称兵庫。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

浅川有辰【あさかわゆうたつ(15??~15??)】

海部友光家臣。海部郡加島館主。通称兵庫頭。1575年、「加島館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

安佐紀伊守【あさきいのかみ(15??~15??)】

三好義賢家臣。三好郡金丸館主。別名麻植紀伊守。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

浅田出羽守【あさだでわのかみ(15??~15??)】

麻植郡日浦館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

浅野但馬守【あさのたじまのかみ(15??~15??)】

美馬郡中鳥館主。別名久米刑馬。1578年、大西頼包と結び重清館主小笠原長政を謀殺した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

阿波足利義維【あしかがよしつな(1509~1573)】

那賀郡平島館主。足利義澄の次男(足利義稙の養子)。官途は左馬頭。別名「平島公方」。室は大内義興の娘。1527年、「山城桂川の戦い」で三好元長、細川晴元とともに足利義晴、細川高国勢と戦い戦功を挙げた。1532年、「飯盛山城の戦い」で三好元長が細川晴元勢と戦い敗退したため、細川之持を頼り阿波国に落延びた。1553年、「見性寺の変」で三好義賢が細川持隆を謀殺したため、大内義隆のもとに落延びた。1563年、三好長逸の支援を受け平島館(3,000貫)を領した。1565年、「永禄の変」で足利義輝が松永久秀、三好長逸、三好政康、岩成友通に謀殺されたため、継嗣の足利義栄が将軍職に擁立された。1568年、三好三人衆とともに織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波足利義栄【あしかがよしひで(1538~1568)】

足利義維の男。官途は左馬頭。1565年、「永禄の変」で足利義輝が松永久秀、三好長逸、三好政康、岩成友通に謀殺されたため、将軍職に擁立された。三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)を支援して松永久秀と対立した。1566年、篠原長房、三好康長の支援を受け摂津越水城を領した。1568年、将軍宣下を受けた。三好三人衆とともに織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波足利義助【あしかがよしすけ(1541~1592)】

足利義維の次男。室は柳沢主膳正の娘。1565年、兄の足利義栄が松永久秀、三好長逸、三好政康、岩成友通とともに機内に赴いたため、平島館を守備した。1568年、兄の足利義栄が病没したため、足利家の家督を相続した。1582年、「中富川の戦い」で長宗我部元親を支援して十河存保勢と戦い戦功を挙げた。平島館(3,000貫)の所領を安堵された。1585年、蜂須賀家政の阿波国を領したため、減封処分に処され100石扶持まで落とされた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波足利義種【あしかがよしたね(1574~1630)】 

足利義助の男。室は水無瀬氏成の娘。1608年、蜂須賀家政の意向を受け七浦山に転封した。木材や加工した炭など産物は平嶋公方家の重要な資金源となった。著書に『平嶋記』。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

阿波足利義次【あしかがよしつぐ(1596~1680)】

足利義種の男。通称又八郎。別名平島義次。蜂須賀家政の意向を受け足利家から平島家に改姓した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

阿瀬川左衛門【あせがわさえもん(15??~15??)】

那賀郡加茂館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

阿部時住【あべときずみ(15??~15??)】

海部郡阿部館主。官途は和泉守。通称左五郎。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

阿部采女正【あべうねめのじょう(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡南新居館主。赤沢家十二人衆。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

甘利奥右衛門【あまりおくえもん(15??~1582)】

名西郡南島館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

天羽久利【あもうひさとし(1540~15??)】

三好長治家臣。名西郡天羽館主。官途は出羽守。室は伊沢頼俊の娘。三好長治の意向を受け和泉国から阿波天羽館に転封した。1573年、「黒田原の戦い」で長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。1574年、名西郡内で28貫を領した。1582年、「天羽館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長我部元親勢と戦い敗退した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

天羽信盛【あもうもりのぶ(15??~15??)】

天羽久利の男。室は庄野兼時の娘。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

天羽高房【あもうもりたかふさ(15??~15??)】

天羽久利の次男。通称六郎左衛門。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

有瀬成貞【ありせなるさだ(15??~15??)】

大西頼武家臣。三好郡西祖谷山館主。官途は右京進。1553年、「見性寺の変」で三好義賢に従い細川持隆勢と戦い戦功を挙げた。有瀬館(100石)を領した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

有持道慶【ありもちどうけい(15??~15??)】

名西郡上浦館主。通称左京進。別名紀成康。室は三好長慶の妹。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

飯尾常房【いいおつねふさ(1422~1485)】

細川成之家臣。麻植郡飯尾西館主。通称彦六左衛門。堯孝に和歌を学び、青蓮院流の書道を修めた。足利義政の右筆を務めた。1485年、「飯尾西館の戦い」で東条近江守とともに三好之長と対立して細川成之勢と戦い討死した。京都の荒廃を嘆き「汝(なれ)や知る 都は野辺の 夕雲雀 あがるを見ても 落つる涙は」と詠んだ。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

飯尾常重【いいおつねしげ(15??~1582)】

細川持隆家臣。通称善之丞。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長我部元親勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
飯尾常利【いいおつねとし(15??~1579)】

飯尾常重の弟。通称久左衛門。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊、武田信顕に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

飯尾利隆【いいおとしたか(15??~15??)】

飯尾常重の弟。別名羽知左衛門。藍の売買を生業とした。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

飯尾為清【いいおためきよ(15??~15??)】

三好長慶家臣。官途は越前守。細川氏綱との取次役を務めた。三好長慶の所領(伊勢蜷川)の代官職を務めた。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

伊沢高好【いざわたかよし(15??~15??)】

細川持隆家臣。阿波郡伊沢館主。参考文献:「長宗我部元親軍記」by筑後守(ちくごのかみ)。

伊沢頼俊【いざわよりとし(15??~1577)】

伊沢高好の男。官途は越前守。通称四郎大夫。1553年、「見性寺の変」で細川持隆が三好義賢に謀殺されたため、三好義賢に仕えた。1577年、「荒田野で戦い」で一宮成祐とともに細川真之に従い三好長治を討取る戦功を挙げた。「坂西城の戦い」で十河存保の家臣矢野国村勢と戦い討死した。「明智の三日天下、伊沢の二十日天下」と称された。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

伊沢綱俊【いざわつなとし(15??~15??)】

伊沢頼俊の男。1577年、「坂西城の戦い」で父の伊沢頼俊が十河存保と戦い討死したため、伊坂家の家督を相続した。1595年、蜂須賀家政が阿波国を領すると、蜂須賀家政に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

伊沢大和守【いさわやまとのかみ(15??~15??)】

三好長慶家臣。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好義興に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

石河吉行【いしかわよしゆき(15??~1582)】

三好義賢家臣。名西郡市楽館主。通称六之進。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

石川六之丞【いしかわろくのじょう(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。粟飯原平之丞とともに板西城代職を務めた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

伊丹玄哉【いたみげんさい(15??~15??)】

松永久秀家臣。伊丹忠親の弟。奏者役を務めた。1565年、「永禄の変」で清原枝賢、海老名勝正とともに松永久秀に従い足利義輝勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

一宮成祐【いちのみやなりすけ(15??~1582)】

細川持隆家臣。名東郡一宮城主。官途は長門守。別名小笠原成助。室は三好元長の娘。一宮城(3,000貫)を領した。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い三好義賢が討死したため、殿を務め撤退した。1577年、「荒田野で戦い」で伊沢頼俊とともに細川真之に従い三好長治を討取る戦功を挙げた。1578年、「一宮城の戦い」で三好義賢の家臣篠原実長勢と戦い焼山寺に落延びた。1580年、「勝瑞城の戦い」で十河存保勢と戦いこれを攻落とした。1582年、三好康長に内応の嫌疑を受け、長宗我部元親の家臣畑弥助に夷山城で謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一宮成孝【いちのみやなりたか(15??~15??)】

一宮成祐の次弟。別名小笠原光孝。1582年、兄の一宮成祐が長宗我部元親に謀殺されたため、讃岐国に落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一宮光信【いちのみやなりたか(15??~15??)】

一宮成孝の男。別名小笠原光信。1585年、蜂須賀家政に仕え一宮神社の神職を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一宮主計頭【いちのみやしゅけいのかみ(15??~1582)】

一宮成祐の三弟。別名小笠原主計頭。1582年、兄の一宮成祐、星合六之進とともに長宗我部元親の意向を受けた畑弥助に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

一宮左京大夫【いちのみやさきょうだいゆ(15??~15??)】

一宮成祐家臣。名東郡中村館主。別名小笠原左京大夫。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

市原兼継【いちはらかねつぐ(15??~15??)】

新開忠重の次男。麻植郡瀬詰館主。官途は石見守。別名市原兼行。1534年、大塚二町地を井上館主土肥綱真と交換した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

市原兼頼【いちはらかねより(15??~1579)】

市原兼継の男。官途は石見守。通称造酒正。別名市原兼隆。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、麻植重俊、川島惟忠とともに三好康俊、武田信顕に謀殺された。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

伊月重綱【いづきしげつな(15??~15??)】

麻殖郡伊月館主。通称権頭。1536年、伊月館を築館した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI。

稲井帯刀【いないたてわき(15??~15??)】

名西郡中島館主。1555年、「王子ヶ原の戦い」で後藤田丑之丞とともに久米義広勢と戦い敗退した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

乾信忠【いぬいのぶただ(15??~1572)】

三好康長家臣。通称源左衛門。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

乾忠清【いぬいただきよ(1531~1610)】

乾信忠の男。通称長大夫。羽柴秀吉に仕えた。1592年、「文禄の役」で羽柴秀吉に従い李氏朝鮮勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

乾忠元【いぬいただもと(1576~1655)】

乾忠清の男。通称次左衛門。羽柴秀吉の鷹師を務めた。1615年、「大坂夏の陣」で羽柴秀頼が松平元康勢と戦い滅亡したため、松平元康に仕えた。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

犬伏頼在【いぬぶしよりさだ(15??~15??)】

松永久秀家臣。多喜山衆。1565年、喜多定行、松永彦一、芝石方吉、松山広勝とともに滝山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

犬伏左近【いぬぶしさこん(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡犬伏館主。赤沢家十二人衆。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

入江志摩守【いりえしまのかみ(15??~15??)】

松永久秀家臣。摂津国高槻出身。法隆寺との取次役を務め、大和信貴山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩成友通【いわなりともみち(1529~1573)】

三好長慶家臣。官途は主税助。室は三好長慶の娘。三好三人衆。1558年、「山城勝軍山の戦い」で三好長慶に従い足利義輝勢と戦い戦功を挙げた。1564年、三好長慶が病没したため、松永久秀、三好長逸、三好政康とともに三好義継の後見役を務めた。1565年、「永禄の変」で松永久秀、三好長逸、三好政康とともに足利義輝を謀殺して足利義栄を将軍職に擁立した。1566年、「山城勝龍寺城の戦い」で中沢満房、革嶋一宣勢と戦い中沢満房、革嶋一宣を討取る戦功を挙げた。1567年、「大和東大寺の戦い」で三好長逸、三好政康とともに三好義継、松永久秀勢と戦い敗退した。1568年、「勝龍寺城の戦い」で三好長逸、三好政康、篠原長房とともに織田信長の家臣柴田勝家、坂井政尚、森可成勢と戦い敗退した。1569年、「本圀寺の戦い」で三好長逸、三好政康らとともに織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。1573年、「山城淀城の戦い」で織田信長の家臣羽柴秀吉、細川藤孝、三淵藤英勢と戦い坂東季秀、諏訪盛直が内応したため、細川藤孝の家臣下津権内に討取られた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

岩成春之【いわなりはるゆき(15??~15??)】

松永久秀家臣。通称小次郎。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

宇奈瀬兼久【うなせかねひさ(15??~1582)】

清原高国家臣。美馬郡今市館主。官途は対馬守。通称亀之丞。1564年、岩脇城主尾蘇山城守(三枝紀伊守)と領地争いを起こした。1582年、「今市館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

馬詰駿河守【うまづめするがのかみ(15??~1582)】

一宮成祐家臣。板野郡保崎館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

馬詰三四郎【うまづめさんしろう(15??~1582)】

馬詰駿河守の男。1582年、「中富川の戦い」で父の馬詰駿河守とともに長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

梅津左馬亮【うめづささこんのじょう(15??~15??)】

細川持隆家臣。美馬郡梅津館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

宇山丹後守【うやまたんごのかみ(15??~15??)】

細川持隆家臣。美馬郡西山館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

宇山重近【うやましげちか(15??~15??)】

宇山丹後守の男。通称孫市郎。1578年、「西山館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

海老名勝正【えびなかつまさ(15??~1577)】

松永久秀家臣。通称勘右衛門。別名海老名家秀。家老職を務めた。大和片岡館を領した。1565年、「永禄の変」で清原枝賢、伊丹玄哉とともに松永久秀に従い足利義輝勢と戦い戦功を挙げた。1577年、「大和多聞城の戦い」で松永久秀に従い森秀光とともに片岡館に籠城して織田信長の家臣明智光秀、細川藤孝、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

江戸備中守【えどびっちゅうのかみ(15??~1569)】

三好長逸家臣。1569年、「本圀寺の変」で三好長逸に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

麻植持光【おえもちみつ(15??~1553)】

細川持隆家臣。麻殖郡内山館主。官途は因幡守。忌部神社大宮司を務めた。1553年、「見性寺の変」で細川持隆が三好義賢に謀殺されたため、三好義賢勢と戦い敗退した。河人備前守のもとに落延びたが讃岐丹生で討死した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

麻植遠江守【おえおおえのかみ(15??~15??)】

麻植持光の男。美馬郡宮井館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

麻植重俊【おえしげとし(15??~1579)】

麻植遠江守の男。官途は志摩守。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、飯尾常利、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

麻植重長【おえしげなが(15??~1582)】

麻植遠江守の次男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

麻植成義【おえなりよし(15??~1587)】

麻植重長の男。1587年、「豊後戸次川の戦い」で十河存保に従い島津義久勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

麻植成経【おえなりつね(15??~16??)】

麻植重長の次男。1614年、「大坂冬の陣」で大野主馬に従い松平元康勢と戦い負傷した。1615年、「大坂夏の陣」で大野主馬に従い松平元康勢と戦い敗れて阿波国に落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

麻植成政【おえなりまさ(15??~16??)】

麻植成経の男。1615年、「大坂夏の陣」で父の麻植成経とともに松平元康勢と戦い敗れて阿波国に落延びた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

麻植重義【おえしげよし(15??~16??)】

麻植成経の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大喜多清【おおきたきとし(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大島親崇【おおしまちかたか(15??~1616)】

三好長延の男。通称新左衛門。別名「浄賢」。室は三好吉房の妹。1570年、「第一次長島城の戦い」で父の三好長延が本願寺実如に帰依したため、願証寺証意に従い織田信長勢と戦い戦功を挙げた。1574年、「第三次長島城の戦い」で願証寺証意に従い織田信長勢と戦い敗退した。1590年、羽柴秀次に仕えた。1595年、「羽柴秀次事件」に連座して側室の娘(於国)が処刑されたため、出家した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大島丹波守【おおしまたんばのかみ(15??~15??)】

三好康長家臣。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大島利忠【おおしまとしただ(15??~15??)】

大島丹波守の男。1579年、「岩倉城の戦い」で長宗我部元親勢と戦い三好俊長とともに人質として長宗我部元親のもとに赴いた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大代掃部介【おおしろかもんのすけ(15??~15??)】

阿波郡大代館主。室は篠原実長の娘。1578年、「大代館の戦い」で十河存保勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大代三四郎【おおしろさんしろう(15??~15??)】

大代掃部介の弟。1578年、「大代館の戦い」で十河存保勢と戦い兄の大代掃部介とともに降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大代内匠【おおしろたくみ(15??~1582)】

大代掃部介の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大寺光治【おおでらみつはる(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡大寺館主。赤沢家十二人衆。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大寺松太輔【おおでらまつだゆう(15??~1582)】

大寺光治の男。1582年、「中富川の戦い」で赤沢宗伝に従い長我部元親勢と戦ったが敗退した。「大寺館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

大西頼武【おおにしよりたけ(1519~1577)】

三好郡白地城主。大西元高の男。官途は出雲守。別名源頼武。室は三好元長の娘。阿波西部から讃岐南部、伊予東部、土佐北部で最大勢力を誇った。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

大西輝武【おおにししげもと(15??~1578)】

大西頼武の男。官途は出雲守。別名「覚養」。1575年、「白地城の戦い」で長宗我部元親勢と戦い弟の大西頼包を人質に差し出し和議を結んだ。織田信長の支援を受けた三好康長に内応した。1577年、「田尾館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い讃岐麻館に落延びた。1578年、「讃岐麻館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。1579年、「重清館の戦い」で長宗我部元親の支援を受け重清長政勢と戦い重清長政を討取る戦功を挙げた。1580年、「重清館の戦い」で長宗我部元親に従い十河存保勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

大西頼晴【おおにしよりはる(15??~15??)】

大西頼武の次男。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

大西頼包【おおにしよりかね(15??~15??)】

大西頼武の三男。官途は上野介。通称七郎兵衛。1575年、「白地城の戦い」で兄の大西輝武に従い長宗我部元親勢と戦い敗れ、和議の証として人質として長宗我部元親のもとに赴いた。長宗我部元親から優遇され家臣として長宗我部元親に仕えた。1578年、「讃岐麻館の戦い」で長宗我部元親に従い兄の大西輝武と戦い降伏の使者として大西輝武のもとに赴いた。1583年、「引田の戦い」で羽柴秀吉の家臣仙石秀久勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

大西元武【おおにしもとたけ(15??~1577)】

三好郡馬路館主。大西元高の次男。官途は備中守。甥の大西輝武とともに伊予国宇摩郡平野一帯に勢力を拡大した。三好長治と結び長宗我部元親に対抗した。宇摩郡の諸将が長宗我部元親に属すると馬路城を追われた。1574年、伊予轟館、讃岐高文殊館、杉谷館、高館を築城した。1577年、「末尾館の戦い」で真鍋大炊助勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

大西貞武【おおにしさだたけ(15??~15??)】

大西元高の三男。官途は志摩守。1577年、「末尾館の戦い」で兄の大西元武に従い先陣を務めたが、真鍋大炊助勢と戦い敗退した。参考文献:「レファレンス協同データベース」by国立国会図書館。

大西頼信【おおにしよりのぶ(1564~1577)】

大西頼武の四男。三好郡田尾館主。通称右京進。1577年、「田尾館の戦い」で寺野源左衛門武次の補佐を受け長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「レファレンス協同データベース」by国立国会図書館。

大西石見守【おおにしいわみのかみ(15??~15??)】

大西頼武家臣。三好郡大利館主。1558年、大利館を修築した。1577年、「大利館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

大西頼春【おおにしよりはる(15??~15??)】

大西頼武の次男。三好郡漆川館主。通称左衛門尉。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

大庭三左衛門【おおばさんざえもん(15??~16??)】

三好康長家臣。官途は土佐守。若江七人衆。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀次に従い柴田勝家勢と戦い戦功を挙げた。1584年、「小牧、長久手の戦い」で羽柴秀次に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次が自刃したため、石田三成に仕えた。1600年、「関ヶ原の役」で石田三成に従い松平元康勢と戦い敗退した。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

大橋重治【おおはししげはる(15??~15??)】

三好康長家臣。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

大橋重慶【おおはししげよし(1555~1584)】

大橋重治の男。通称左衛門。1584年、「小牧、長久手の戦い」で羽柴秀次に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

大橋重保【おおはししげやす(1583~1645)】

大橋重慶の男。通称勝千代。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次が自刃したため、片桐且元に仕えた。1614年、「大坂冬の陣」で片桐且元とともに大坂城を退去した。片桐貞隆に従い羽柴秀頼勢と戦い負傷した。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

大倭屋彦兵衛門【おおやまとひこざえもん(15??~1577)】

三好郡谷口館主。通称宗善。1577年、「谷口館の戦い」で小笠原長定勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

大倭屋重定【おおやまとしげさだ(15??~15??)】

大倭屋彦兵衛門の男。別名大倭屋重愛。三好康俊の支援を受け谷口館を回復した。長宗我部元親にと所領を差し出して降伏した。1585年、「脇城の戦い」で羽柴秀吉勢と戦い撤退する長宗我部親吉を討取る戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

小笠原長幸【おがさわらながゆき(15??~15??)】

板野郡中村館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

小笠原兼幸【おがさわらかねゆき(15??~15??)】

小笠原長幸の男。1556年、立江館に転封した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

小笠原長定【おがさわらながさだ(15??~15??)】

美馬郡野口館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

岡友満【おかともみつ(15??~1573)】

三好長慶家臣。官途は飛騨守。1573年、「河内若江城の戦い」で三好義継に従い織田信長の家臣佐久間信盛勢と戦い討死した。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

岡甚之丞【おかじんのじょう(15??~1582)】

新開実綱家臣。那珂郡岡砦主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

岡勝家【おかかついえ(15??~15??)】

松永久秀家臣。勘定奉行職を務め、大和信貴山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岡本清宗【おかもときよむね(15??~15??)】

細川持隆家臣。板野郡西条西館主。官途は美作守。娘は細川持隆の側室(小少将)。西条西館(100貫)を領した。小少将は細川持隆に嫁ぎ細川真之、三好義賢に嫁ぎ三好長治と十河存保をもうけた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

奥田勘兵衛【おくだかんひょうぶ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

奥野新左衛門【おくのしんざえもん(15??~15??)】

三好義賢家臣。板野郡奥野館主。1553年、「鑓場の戦い」で三好義賢に従い久米義広勢と戦い野田内蔵助を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

小倉重信【おぐらしげのぶ(1526~1553)】

細川持隆家臣。名東郡蔵本館主。官途は美濃守。1553年、「鑓場の戦い」で仁木高将、佐野平明とともに久米義広に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

越智兼常【おちかねつね(15??~1582)】

名東郡古津館主。通称古津竹右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

小野寺安芸守【おのでらあきのかみ(15??~15??)】

細川持隆家臣。美馬郡朽田館主。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。
 
小野寺維義【おのでらよしつぐ(15??~1582)】

小野寺安芸守の男。官途は備中守。1582年、「朽田館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

小野寺長吉【おのでらながよし(15??~16??)】

小野寺維義の男。通称源吉。別名南源六。1585年、「栂橋の戦い」で長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。蜂須賀家政に仕えた。美馬郡岩倉山の一揆を討伐して戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

小野寺吉郷【おのでらよしさと(15??~16??)】

小野寺維義の次男。別名北六郎三郎。小野寺長吉に従い美馬郡岩倉山の一揆を討伐して戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

小野寺意種【おのでらおきたね(15??~16??)】

小野寺維義の三男。別名谷孫六。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

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【か】

海部持共【かいぶもちとも(15??~15??)】

海部郡吉野館主。官途は下野守。別名藤原持共。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

海部之親【かいぶゆきちか(15??~15??)】

海部持共の男。別名藤原之親。三好義賢、安芸国虎と結び、領国体制を整備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

海部友光【かいぶともみつ(15??~15??)】

海部之親の男。通称左近将監。別名藤原友光。1571年、「那佐湾の戦い」で那佐湾に漂着した長宗我部元親の弟島親益を討取る戦功を挙げた。1575年、「吉野館の戦い」で長宗我部元親勢を撃退する戦功を挙げた。1577年、「吉野館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びた。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

海部吉清【かいぶよしきよ(15??~15??)】

海部友光の男。別名藤原吉清。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

柿原源吾【かきはらげんご(15??~1573)】

篠原長房家臣。板野郡柿原館主。1573年、「上桜館の戦い」で篠原長房に従い三好長治勢と戦い討死した。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。
 
柿原義長【かきはらよしなが(15??~1582)】

柿原源吾の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

柿原新五【かきはらしんご(15??~1573)】

柿原源吾家臣。1573年、「上桜館の戦い」で柿原源吾に従い三好長治勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

柿原藤五【かきはらとうご(15??~1573)】

柿原源吾家臣。1573年、「上桜館の戦い」で柿原源吾に従い三好長治勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

角田平右衛門【かくだへいうえもん(15??~1582)】

三好義賢家臣。三好郡角田館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

笠井正弥【かさいまさよ(15??~15??)】

名西郡天神砦主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

加地盛時【かじもりとき(15??~15??)】

三好義賢家臣。通称六郎兵衛尉。1562年、「久米田の戦い」で三好義賢が畠山高政勢と戦い討死したため、三好盛政とともに三好長治に仕えた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

加地為利【かじためとし(15??~15??)】

三好元長家臣。官途は丹後守。別名「宗三」。三好殿年寄中。1532年、「天文の錯乱」で三好元長に従い三好長家とともに木沢長政勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

片山重長【かたやましげなが(15??~1582)】

三好義賢家臣。美馬郡中島館主。通称岸右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

加藤影俊【かとうかげとし(15??~15??)】

久米義広家臣。通称主水正。真木山肥後守、青野道意、三木道恩とともに鴨館を守備した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

河那部秀安【かなべひでやす(15??~1571)】

松永久秀家臣。別名河那部高安。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

金山武春【かなやまたけはる(15??~15??)】

三好義継家臣。金山武興の男。官途は駿河守。別名金山長信。1573年、三好義継とともに足利義昭を支援して織田信長を支援する若江三人衆(池田教正、多羅尾綱知、野間長前)と対立して謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

加成通綱【かなりみちつな(15??~15??)】

松永久秀家臣。取次役を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

河南吉清【かなんよしきよ(15??~1582)】

一宮成祐家臣。名東郡鬼神ヶ岳館主。官途は駿河守。1582年、一宮成祐、野田采女正とともに長宗我部元親に誘い出され、夷山城内で謀殺された。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鎌田光久【かまたみつひさ(15??~1562)】

三好義賢家臣。名東郡名東館主。通称兵衛尉。名東館(50貫)を領した。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政、安見宗房勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鎌田光康【かまたみつやす(15??~1579)】

鎌田光久の男。通称修理輔。1562年、「和泉久米田の戦い」で父の鎌田光久が三好義賢に従い畠山高政、安見宗房勢と戦い討死したため、鎌田家の家督を相続した。名東館(280貫)を領した。1579年、「名東館の戦い」で長宗我部元親勢の一宮成祐と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鎌田光義【かまたみつよし(15??~1582)】

鎌田光康の男。通称久馬右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

鎌田安正【かまたやすまさ(15??~15??)】

鎌田光久家臣。名東郡日開館主。通称采女正。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鎌田安次【かまたやすつぐ(15??~15??)】

鎌田光久家臣。通称右近。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鴨島六之進【かもしまろくのしん(15??~1579)】

麻植郡鴨島館主。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊、武田信顕に謀殺された。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

河合元継【かわいもとつぐ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

川島惟忠【かわしまこれただ(15??~1579)】

三好康長家臣。麻植郡川島館主。通称兵衛進。1572年、「上桜館の戦い」で三好長治に従い篠原長房勢と戦い戦功を挙げた。川島郷(200貫)を領した。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、飯尾常利、麻植重俊、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

川端越前守【かわばたえちぜんのかみ(15??~15??)】

板野郡川端館主。1581年、「川端館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

川人越前守【かわひとえちぜんのかみ(15??~15??)】

三好郡西野川館主。別名寄来備前守。1582年、「西野川館の戦い」で長宗我部元親勢の焼討ちを受けた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

河村恒基【かわむらつねもと(15??~1579)】

三好長治家臣。麻植郡美郷陰館主。官途は左馬亮。1577年、「荒田野の戦い」で三好長治が細川真之、一宮成祐、伊沢頼俊に討取られたため、阿波三好家の後継者として十河存保を擁立して長宗我部元親勢に抵抗した。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、土肥秀実、飯尾常利、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

瓦林秀重【かわらばやしひでしげ(15??~15??)】

松永久秀家臣。家老職を務めた。参考文献:Web版尼崎地域史事典「apedia」by永島福太郎。

工藤甲斐守【くどうかいのかみ(15??~15??)】

麻植郡西麻植館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

北池壱岐守【きたいけいきのかみ(15??~15??)】

板野郡北池館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

木岐正持【ききまさもち(15??~15??)】

海部郡木岐館主。通称大膳大夫。木岐館(150貫)を領した。1575年、「木岐館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退した。1577年、「海部城の戦い」で海部友光が長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びたため、降伏した。参考文献:「阿波学会研究紀要」by徳島県立図書館。

喜多定行【きたさだゆき(15??~15??)】

松永久秀家臣。多喜山衆。1565年、松永彦一、芝石方吉、犬伏頼在、松山広勝とともに滝山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

喜多重政【きたしげまさ(15??~15??)】

松永久秀家臣。瓦林秀重とともに奉行衆を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
北原義行【きたはらよしゆき(15??~1582)】

三好義賢家臣。美馬郡北原館主。通称右近。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

北島権頭【きたじまごんのかみ(15??~1582)】

板野郡中村館主。1582年、「中村館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

木村肥後守【きむらひごのかみ(15??~15??)】

一宮成助家臣。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

清原高国【きよはらたかくに(1505~1577)】

那賀郡本庄館主。官途は安芸守。別名「乗真」。1506年、備中足守から阿波本庄館(100貫)に転封した。1553年、「鑓場の戦い」で新開元実に従い久米義広勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

清原乗慶【きよはらのりよし(15??~15??)】

宇奈瀬兼久の男(清原高国の養子)。官途は備後守。別名宇奈瀬乗慶。1577年、「本庄館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。1582年、「中富川の戦い」で長宗我部元親に従い十河存保勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

清原長吉【きよはらながよし(15??~15??)】

清原乗慶の男。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

櫛淵左近【くしぶちさこん(15??~1582)】

櫛淵盛之の男。勝浦郡櫛淵館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

櫛淵紀伊守【くしぶちきいのかみ(1566~1584)】

櫛淵左近の男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

櫛淵次郎五郎【くしぶちじろうごろう(15??~15??)】

櫛淵左近の次男。蜂須賀家政に仕えた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

楠東紀伊守【くすとうきいのかみ(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡椎木館主。赤沢家十二人衆。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

久米川正住【くめがわまさずみ(15??~15??)】

名西郡諏訪館主。通称大炊頭。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

久米義広【くめよしひろ(1505~1553)】

細川持隆家臣。名東郡芝原館主。官途は安芸守。室は細川之持の娘。芝原館(300館)を領した。1552年、三好義賢が細川持隆を謀殺したため、三好義賢と対立した。1553年、「鑓場の戦い」で小倉重信、野田内蔵助、仁木高将、佐野平明とともに三好義賢勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

久米義昌【くめよしまさ(15??~15??)】

久米義広の男。1553年、「鑓場の戦い」で父の久米義広とともに三好義賢勢と戦い播磨赤松晴政のもとに落延びた。1585年、「一宮城の戦い」で蜂須賀正勝に従い長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

久米義澄【くめよしずみ(15??~15??)】

名西郡石井館主。官途は石見守。1582年、「石井館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

栗原伊賀右衛門【くりはらいがえもん(15??~1577)】

海部友光家臣。鉄炮の名人。1575年、「海部城の戦い」で海部友光に従い長宗我部元親勢と戦い長宗我部元親の家臣黒岩治左衛門勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

桑村隼人亮【くわむらはやとのじょう(15??~15??)】

三好義賢家臣。名東郡津田館主。別名田村隼人亮。堺で武器を調達したが、淡路生石崎沖で海賊衆と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

桑野義明【くわのよしあき(15??~15??)】

三好義賢家臣。那賀郡畑山館主。官途は河内守。1573年、「桑野館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

桑野康明【くわのやすあき(15??~1582)】

桑野義明の男。官途は河内守。別名源康明。1582年、新開実綱とともに長宗我部元親に謀殺された。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

香美馬之進【こうみうまのすけ(15??~1582)】

三好義賢家臣。麻殖郡三好香美館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

小寺長隆【こでらながたか(15??~1573)】

三好長慶家臣。1573年、「河内若江城の戦い」で三好義継に従い織田信長の家臣佐久間信盛勢と戦い討死した。参考文献:「天下侍魂(将を語る)」by登美ノ勝也。

後藤田丑之丞【ごとうだゆきのじょう(15??~1555)】

桑村隼人正の弟。1555年、「王子ヶ原の戦い」で稲井帯刀とともに久米義広勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

小命藤政【こみこふじまさ(15??~15??)】

三好義賢家臣。名東郡芝山館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

木屋平知満【こやだいらともみつ(15??~15??)】

細川持隆家臣。麻植郡森遠館主。森遠館(1,700貫)を領した。1553年、「見性寺の変」で細川持隆が三好義賢に謀殺されたため、三好義賢に仕えた。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

木屋平知保【こやだいらともやす(15??~15??)】

木屋平知満の男。官途は越前守。別名木屋平常行。1573年、「上桜館の戦い」で三好長治に従い篠原長房勢と戦い戦功を挙げた。1579年、「岩倉城の戦い」で長宗我部元親に従い三好康俊勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「神山の戦い」で長宗我部元親に従い一宮成祐勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

木屋平知隆【こやだいらともたか(15??~15??)】

木屋平知保の男。通称刑部丞。1573年、「上桜館の戦い」で木屋平知保とともに三好長治に従い篠原長房勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

木屋平知保【こやだいらともやす(15??~15??)】

木屋平知隆の男。官途は伊賀守。蜂須賀政家に仕えた。参考文献:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

近藤正興【こんどうまさおき(15??~15??)】

三好義賢家臣。名西郡轟館主。官途は豊後守。轟館(300貫)を領した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

近藤正次【こんどうまさつぐ(15??~15??)】

近藤正興の男。通称勘右衛門。1582年、「第一次轟館の戦い」で長宗我部元親の家臣北村閑斎、野中三郎左衛門、池田肥後守勢と戦い敗退した。1583年、「第二次轟館の戦い」長宗我部元親勢と戦い敗退した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

近藤正行【こんどうまさゆき(15??~1582)】

近藤正興の次男。通称孫太郎。名西郡片の丸館(50貫)を領した。1582年、「第一次轟館の戦い」で近藤正次に従い長宗我部元親の家臣北村閑斎、野中三郎左衛門、池田肥後守勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

近藤隆親【こんどうたかちか(15??~15??)】

名西郡国実館主。官途は加賀守。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

近藤若狭守【こんどうわかさのかみ(15??~15??)】

名西郡重松館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

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【さ】

西条長綱【さいじょうながつな(15??~15??)】

板野郡西条館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

西条壱岐守【さいじょういきのかみ(15??~1582)】
 
西条長綱の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い敗走した。「西条西館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

西条益大夫【さいじょうますだいふ(15??~1582)】

西条壱岐守の男。1582年、「中富川の戦い」で父の西条壱岐守のとともに十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い敗退した。「西条西館の戦い」で西条壱岐守とともに長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

斎田利之【さいだとしゆき(15??~15??)】

名東郡財田館主。官途は右馬之。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

斎藤基連【さいとうもとつら(15??~15??)】

三好長慶家臣。斎藤基雄の男。官途は越前守。松永久秀とともに三好長慶の右筆を務めた。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

斎藤若狭守【さいとうわかさのかみ(15??~15??)】

板野郡中山館主。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

坂下備前守【さかしたびぜんのかみ(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。赤沢家十二人衆。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

佐喜宮道長【さきちのみやみちなが(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

桜場四郎【さくらばしろう(15??~15??)】

那賀郡中田館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

佐々木右京進【ささきさきょうのしん(15??~15??)】

大西輝武家臣。三好郡東昼間館主。1573年、「東昼間館の戦い」で長宗我部元親勢と戦いて敗退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

雀部伊豆守【ささべいずのかみ(15??~15??)】

三好長慶家臣。28,000石を領した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

雀部重政【ささべしげまさ(1559~1595)】

雀部伊豆守の男。官途は淡路守。通称玄蕃充。別名蒔田淡路守。室は佐野綱正の娘。後に羽柴秀次に仕え2,000石を領した。1591年、千利休の自刃を見届けた。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次の介錯を務め、殉死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

雀部重良【ささべしげよし(1591~1670)】

雀部重政の男。通称新六。別名雀部重利。室は甲斐庄正房の娘。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次に殉じて父の雀部重政が自刃したため、外祖父の佐野綱正に養育された。1602年、松平元康に仕え近江野洲郡内で800石を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

佐竹出雲守【さたけいずものかみ(15??~15??)】

板野郡徳命館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

佐田九郎左衛門【さったくろうざえもん(15??~15??)】

細川持隆家臣。名東郡佐田館主。佐田館(38貫)を領した。松永久秀の軍配者を務めた。松永久秀と対立したため、三好義賢に仕えた。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

佐藤元茂【さとうもとしげ(15??~15??)】

板野郡須賀館主。佐藤元治の男。参考文献:「戦国大名探究」by播磨屋。

佐藤長常【さとうなはつね(15??~15??)】

佐藤元茂の男。官途は伊賀守。参考文献:「戦国大名探究」by播磨屋。

佐藤長勝【さとうなはかち(15??~1582)】

佐藤長常の男。通称久右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。「須賀館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

佐野平明【さのひらあき(15??~1553)】

細川持隆家臣。名東郡佐野須賀館主。官途は丹後守。1553年、「鑓場の戦い」で小倉重信、野田内蔵助、仁木高将とともに久米義広に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

塩田胤光【しおたたねみつ(15??~1532)】

三好元長家臣。官途は若狭守。1532年、「天文の錯乱」で三好元長に従い木沢長政勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

塩田一忠【しおたかずたに(15??~15??)】

三好元長家臣。三好殿年寄中。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

塩田政幸【しおだまさゆき(15??~15??)】

三好康俊家臣。美馬郡三谷館主。通称左馬助。三谷館(80貫)を領した。1582年、「三谷館の戦い」で長宗我部元親と戦い敗退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

塩田晴幸【しおだはるゆき(15??~15??)】

塩田晴幸の男。官途は若狭守。別名塩田時幸。1582年、「三谷館の戦い」で父の塩田政幸とともに長宗我部元親と戦い敗退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

塩田一閑斎【しおたいちかんさい(15??~15??)】

三好康長家臣。三好康長が病没したため、横田宗昭とともに三好康俊の後見役を務めた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

塩治慶定【しおやよしさだ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

重清長行【しげきよながゆき(15??~1562)】

三好義賢家臣。美馬郡重清館主。別名小笠原長行。阿波、讃岐、和泉国内で3,000貫を領した。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

重清長政【しげきよながまさ(15??~1579)】

重清長行の男。官途は豊後守。別名小笠原長政。1562年、「和泉久米田の戦い」で父の重清長行とともに畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。1579年、「重清館の戦い」で大西輝武勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

重清長定【しげきよながさだ(15??~1579)】

重清長政の男。官途は豊後守。別名小笠原長貞。1577年、「谷口館の戦い」で大倭屋彦兵衛門勢と戦い大倭屋彦兵衛門を討取る戦功を挙げた。1579年、「重清館の戦い」で父の重清長政が大西輝武勢と戦い討死した。1580年、「重清館の戦い」で十河存保の支援を受け大西輝武勢と戦い大西輝武を討取る戦功を挙げた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

重清尾張守【しげきよおわりのかみ(15??~1579)】

重清長定の男。官途は尾張守。1579年、「重清館の戦い」で父の重清長定とともに大西輝武勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

重見道隆【しげみみちたか(15??~15??)】

松永久秀家臣。別名「摠雲」。山城国醍醐出身。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪防五郎右衛門【ししぼうごろうえもん(15??~15??)】

那賀郡井関谷砦主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

七条敏仲【しちじょうとしなか(15??~1552)】

赤沢宗伝家臣。板野郡七条館主。赤沢家十二人衆。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

七条兼仲【しちじょうかねなか(15??~1582)】

七条敏仲の男。通称孫次郎。怪力無双の勇将。1582年、「中富川の戦い」で赤沢宗伝に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

篠原宗半【しのはらむねはん(14??~15??)】

三好之長家臣。近江国野洲郡多賀神宮宮司の次男。多賀神社神官の荷物持ちとして阿波国に渡り三好之長に仕え上桜館を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原長政【しのはらながまさ(15??~15??)】

篠原宗半の男。官途は大和守。三好長慶の傅役を務めた。三好長慶からの信頼厚く、木津館を領した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原長房【しのはらながふさ(15??~1573)】

篠原長政の男。官途は右京進。通称孫四郎。別名「岫雲斎怒朴」。継室は教行寺兼詮の娘。三好義賢の筆頭家老職を務めた。1561年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い先陣を務め、畠山高政、根来衆と戦い敗退した。「河内教興寺の戦い」で三好長慶に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。赤沢宗伝、篠原実長とともに阿波三好家の家督を相続した三好長治を補佐した。1566年、三好長治、細川真之とともに足利義栄を擁立して足利義輝勢と戦い戦功を挙げた。1569年、「本圀寺の変」で三好三人衆とともに足利義昭、織田信長の家臣細川藤孝、三好義継、伊丹親興、池田勝正、荒木村重勢と戦い阿波国に落延びた。1570年、「野田館、福島館の戦い」で本願寺顕如、浅井長政、朝倉義景を支援して織田信長勢を撤退に追い込んだ。1570年、「備前本太城の戦い」で浦上宗景を支援して小早川隆景の家臣粟屋就方勢と戦い戦功を挙げた。1573年、「上桜館の戦い」で弟の篠原実長の讒言を受け三好長治、細川真之勢と戦い討死した。三好長房の内室と次男の三好新次郎、三男の三好義房は、教行寺兼詮のもとに落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

篠原長重【しのはらながしげ(1555~1573)】

篠原長房の男。官途は大和守。通称孫四郎。室は三好義賢の娘。1570年、「摂津野田館、福島館城の戦い」で叔父の篠原実長とともに連署で本興寺に禁制を発給した。1573年、「上桜館の戦い」で父の篠原長房とともに三好長治、十河存保、篠原実長、細川真之勢と戦い香西佳清の家臣植松資久に討取られた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原佐吉兵衛【しのはらさきちべえ(15??~1562)】

篠原長政の次男。板野郡夷山館主。室は伊沢頼俊の妹。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い自刃した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原実長【しのはらさねなが(15??~15??)】

篠原長政の三男。板野郡木津館主。官途は肥前守。別名篠原自遁。三好義賢の家老職(300貫)を務めた。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い敗退した。三好長治の未亡人小少将と通じたことを兄の篠原長房に咎められたため、三好長治に篠原長房を讒言した。1573年、「上桜館の戦い」で篠原長房勢と戦い篠原長房を討取る戦功を挙げた。1578年、十河存保の阿波三好家の家督相続に反対した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い敗退した。「木津館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い淡路国に落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

篠原長秀【しのはらながひで(15??~1577)】

篠原実長の男。板野郡今切館主。官途は玄蕃頭。今切館(150貫)を領した。1576年、「茨ヶ岡館の戦い」で細川真之勢と戦い敗退した。1577年、「荒田野の戦い」で三好長治が一宮成祐勢と戦い敗退したため、今切館に落延びた。「今切館の戦い」で細川真之の家臣一宮成祐勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

篠原右近【しのはらうこん(15??~1624)】

篠原実長の三男。別名釋正秀。1582年、「木津城の戦い」で父の篠原実長とともに長宗我部元親勢と戦い淡路国に落延びた。本願寺顕如に仕えた。1592年、阿波国で圓勝寺を開基した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原右京【しのはらうきょう(1562~15??)】

篠原佐吉兵衛の男。叔父の篠原長房に養育された。1573年、「上桜館の戦い」で篠原長房が三好長治、細川真之勢と戦い討死したため、伊沢頼俊に養育された。1576年、庄野兼時の後見を受け篠原家の家督を相続した。1577年、「荒田野の戦い」で庄野兼時とともに細川真之に降伏した。1580年、十河存保に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

篠原盛家【しのはらもりいえ(15??~15??)】

篠原長房家臣。官途は雅楽助。1539年、篠原長房とともに細川持隆の使者として上洛し本願寺証如に謁見した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

篠原好長【しのはらよしなが(15??~1582)】

篠原長房家臣。美馬郡山口館主。官途は三河守。1582年、「山口館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮和泉守【しのみやいずみのかみ(15??~15??)】

三好義賢家臣。名東郡林崎館主。林崎館(3,500石)を領した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮加賀守【しのみやかがのかみ(15??~16??)】

四宮和泉守の男。別名興一右衛門。1577年、「撫養館の戦い」で阿波海賊衆を率い長宗我部元親勢と戦い播磨国の落延びた。蜂須賀正勝に仕えた。1585年、蜂須賀家政に従い阿波国に復帰した。1636年、津乃峰に塩田を開いた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮左近太夫【しのみやさこんだいう(15??~15??)】

四宮和泉守の次男。1577年、「撫養館の戦い」で兄の四宮加賀守とともに阿波海賊衆を率い長宗我部元親勢と戦い播磨龍野の落延びた。蜂須賀正勝に仕えた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮光武【しのみやみつたけ(15??~1582)】

三好義賢家臣。那珂郡大潟館主。通称外記。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮与吉兵衛【しのみやよきちべえ(15??~1552)】

細川持隆家臣。1552年、「見性寺の変」で三好義賢に内応して細川持隆勢と戦い戦功を挙げた。三好義賢に謀殺された。参考資料:デジタル版 日本人名大辞典+Plus。

四宮石見守【しのみやいわみのかみ(15??~15??)】

那珂郡下福井館主。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

四宮肥後守【しのみやひごのかみ(15??~15??)】

那賀郡椿館主。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

柴石方吉【しばいしまさよし(15??~15??)】

松永久秀家臣。多喜山衆。1565年、喜多定行、松永彦一、犬伏頼在、松山広勝とともに滝山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

島田次正【しまだつぐまさ(15??~15??)】

重清長政家臣。美馬郡島田館主。通称左近。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

島田山城守【しまだやましろのかみ(15??~1573)】

那賀郡廿枝砦主。1573年、「廿枝砦の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

清水長門守【しみずながとのかみ(15??~15??)】

名西郡久米館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

勝雲斎周椿【しょううんさいしゅうつば(15??~15??)】

松永久秀家臣。信貴山城の普請奉行を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

庄野兼時【しょうのかねとき(15??~15??)】

篠原右京家臣。名東郡蛭子館主。官途は和泉守。通称久右衛門。篠原右京の後見役を務めた。1578年、「坂西城の戦い」で伊沢頼俊勢と戦い伊沢頼俊を討取る戦功を挙げた。1578年、夷山城代職を務めた。1579年、長宗我部元親に内応した東条行長に仕えた。1585年、長宗我部元親に暇を出され、帰農した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

白鳥左近【しらとりさこん(15??~1582)】

三好義賢家臣。名西郡徳里館主。官途は和泉守。徳里館(110貫)を領した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

新開元実【しんがいもとざね(15??~15??)】

細川持隆家臣。那賀郡牛岐館主。牛岐館(300貫)を領した。1553年、細川持隆が三好義賢に謀殺されると、三好義賢の娘を新開実綱の内室に迎え三好義賢に属した。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義興に従い畠山高政、湯川直光、根来衆勢と戦い敗退した。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。

新開実綱【しんがいさねつな(15??~1582)】

新開元実の男。官途は遠江守。別名新開道善。室は三好義賢の娘。1562年、「和泉久米田の戦い」で父の新開元実とともに三好長慶に従い畠山高政、湯川直光、根来衆勢と戦い敗退した。長宗我部元親の支援を受けた東条光秀と対立した。1579年、「牛岐城の戦い」で香宗我部親泰、東条光秀勢と戦い降伏した。1582年、「中富川の戦い」で一宮成祐とともに長宗我部元親勢に従い戦功を挙げた。内応嫌疑を受け長宗我部元親の家臣久武親信に謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

新開実成【しんがいさねなり(15??~1582)】

新開実綱の男。官途は式部少輔。1582年、父の新開実綱とともに長宗我部元親に謀殺された。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。

新開右近【しんがいうこん(15??~1582)】

新開実綱家臣。室は新開実綱の娘。1582年、「中富川の戦い」で新開実綱に従い十河存保勢と戦い戦功を挙げた。新開実綱とともに長宗我部元親に謀殺された。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。
新開右近【しんがいうこん(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。赤沢家十二人衆。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

新開兼安【しんかいかねやす(15??~15??)】

新開元実家臣。那賀郡渋野館主。通称右京進。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。

新貝右近【しんかいうこん(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡矢武西分館主。赤沢家十二人衆。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

菅藤康政【すがわらやすまさ(15??~15??)】

名東郡芝原西館主。官途は豊後守。通称左衛門尉。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鈴江道広【すずえみちひろ(15??~1562)】

足利義稙家臣。名東郡沖島館主。官途は修善守。1521年、中島館を領した。1525年、足利義稙が病没したため、細川持隆に仕えた。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢い従い畠山高政、安見宗房勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

鈴江友明【すずえともあき(15??~1582)】

鈴江道広の男。名東郡鈴江館主。通称新兵衛。別名鈴江友則。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

須藤行宗【すどうゆきむね(15??~15??)】

細川持隆家臣。板野郡須藤館主。官途は豊後守。別名藤原行宗。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

諏訪盛直【すわもりなお(15??~1582)】

三好長慶家臣。官途は飛騨守。別名諏訪行成。1573年、「山城淀城の戦い」で三好長逸の意向を受け足利義昭、石成友通を支援して織田信長の家臣羽柴秀吉、細川藤孝、三淵藤英勢と戦い羽柴秀吉に内応した。1582年、「山城山崎の戦い」で伊勢貞興、御牧景重、御牧量則とともに明智光秀に従い羽柴秀吉勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

瀬部友光【せべともみつ(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡瀬部館主。通称嘉右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

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【た】

第十捨太夫【だいじゅうすてだいふ(15??~1582)】

三好義賢家臣。名西郡第十館主。通称重太夫。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

平信吉【たいらのぶよし(15??~1582)】

細川真之家臣。那賀郡音坊砦主。官途は和泉守。1582年、「茨ヶ岡館の戦い」で細川真之に従い矢野国村、篠原実長勢と戦い重傷を負い戦傷死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

田岡刑部【たおかぎょうぶ(15??~15??)】

三好郡田ノ岡館主。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

高志清之【たかしきよゆき(15??~15??)】

三好義賢家臣。板野郡五条館主。官途は下野守。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。
 
高志清久【たかしきよひさ(15??~1582)】

高志清之の男。官途は右近。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

高瀬兵庫頭【たかせひょうごのかみ(15??~15??)】

名西郡高瀬館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

高田綱清【たかだつなきよ(15??~15??)】

名東郡片志館主。官途は左馬頭。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

高輪幸内【たかなわよしうち(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。板野郡高輪館主。官途は出羽守。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

高輪一存【たかなわかずまさ(15??~15??)】

赤沢宗伝家臣。官途は出雲守。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

高野越中守【たかのえっちゅう(15??~16??)】

三好康長家臣。官途は左馬助。別名平尾形部。若江八人衆。1579年、羽柴秀次が三好家の家督を相続したため、羽柴秀次に仕えた。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次が自刃したため、石田三成に仕えた。1600年、「関ヶ原の役」で石田三成に従い松平元康勢と戦い敗退した。浅野幸長に仕えた。1619年、浅野長晟に従い安芸広島城に転封した。「備後三次城の戦い」で岡本修理、木村石見守、平尾形部とともに浅野長晟の意向を受け浅野良重勢た戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

高橋義孝【たかはしよしたか(15??~15??)】

名西郡上山京地館主。官途は越前守。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

高畠時清【たかはたとききよ(15??~1582)】

三好義賢家臣。名西郡高畠館主。通称宇右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

竹内季治【たけうちよしはる(1518~1571)】

三好長慶家臣。竹内秀治の男。官途は大膳大夫。1570年、足利義昭勢に属して、織田信長を愚弄する発言をした。1571年、織田信長の勘気を受け謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

竹内長治【たけうちながはる(1536~1586)】

竹内季治の男。官途は近江守。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

竹内秀勝【たけのうちひでかつ(15??~1571)】

竹内秀治の次男。官途は下総守。松永久秀に仕えた。1571年、謀叛の嫌疑を受け、妻子を人質に差し出したが疑いは晴れず河内若江城で自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

竹田三河守【たけだみかわのかみ(15??~1572)】

篠原実長家臣。名西郡下浦館主。1572年、「上桜館の戦い」で篠原実長に従い三好長治勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

竹田株之丞【たけだかぶのじょう(15??~15??)】

竹田三河守家臣。1572年、「上桜館の戦い」で竹田三河守に従い三好長治勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

美馬武田信徒【たけだのぶと(15??~15??)】

美馬郡調子野館主。通称蔵人。参考文献:「京都祇園日記」by四郎勝頼。

美馬武田信氏【たけだのぶうじ(15??~15??)】

武田信徒家臣。美馬郡南郷館主。通称四郎兵衛。参考文献:「京都祇園日記」by四郎勝頼。

福井武田宗任【たけだむねとき(15??~15??)】

東条信綱家臣。那珂郡福井館主。別名源宗任。参考文献:「京都祇園日記」by四郎勝頼。

福井武田宗吉【たけだのぶうじ(15??~15??)】

東条信綱の男。別名源宗吉。1575年、「下福井館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

竹田対馬守【たけだつしまのかみ(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

竹鼻清範【たけはなきよのり(15??~1569)】

三好長逸家臣。1569年、「本圀寺の変」で三好長逸に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

忠津則清【ただつのりきよ(15??~15??)】

三好長治家臣。美馬郡忠津館主。官途は修理亮。1577年、三好長治が病没したため、森村春に仕えた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

多田元次【ただもとつぐ(15??~1577)】

細川持隆家臣。官途は筑後守。通称弥八郎。一宮成助、伊沢頼俊、吉井行康、新開実綱と結び三好長治勢と対抗した。1577年、「荒田野で戦い」で細川真之に従い三好長治勢と戦い三好長治を討取る戦功を挙げた。「坂西城の戦い」で伊沢頼俊、吉井行康、一宮成助とともに細川真之に従い矢野国村、篠原実長勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

多田元平【ただもとひら(15??~16??)】

多田元次の男。通称与四郎。別名吉成五郎右衛門。1577年、「坂西城の戦い」で父の多田元次が細川真之に従い矢野国村、篠原実長勢と戦い討死したため、和泉小島に落延びた。1587年、「豊後戸次川の戦い」で長宗我部元親に従い荷駄奉行職を務め、船舶や船頭、水夫の徴用に尽力した。1600年、長宗我部盛親が改易処分に処されたため、山内一豊の弟山内康豊に従い津呂庄屋役を務めた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

多田正次【ただまさつぐ(15??~16??)】

多田元次の次男。通称練右衛門尉。1600年、長宗我部盛親が改易処分に処されたため、兄の多田元平とともに山内一豊の弟山内康豊に従い津呂庄屋役を務めた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

多田正歳【ただまさとし(15??~1553)】

名東郡段ノ館主。1553年、「鑓場の戦い」で久米義広に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

多田民部少輔【ただみんぶしょうゆ(15??~1575)】

海部之親家臣。海部郡宍喰館主。1575年、「宍喰館の戦い」で本木弥三郎、本木下野守とともに長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:『長宗我部元親』by近藤龍春。

立入勘介【たちいりかんすけ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

谷馬之助【たにうまのすけ(14??~1509)】

細川元常家臣。井上館代職を務めた。1509年、「井上館の戦い」で謀反を企てため、細川元常の家臣土肥綱真、丹治常直勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

玉田太郎衛門【たまだたろうえもん(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

田村吉利【たむらよしとし(15??~15??)】

三好義賢家臣。板野郡佐古館主。官途は大和守。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

田村半右衛門【たむらはんざえもん(15??~15??)】

三好義賢家臣。名東郡田村館主。田村館(80貫)を領した。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

田村盤右衛門【たむらばんえもん(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡下浦西館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

田村瀬右衛門【たむらせええもん(15??~15??)】

名西郡下浦西館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

田村源太夫【たむらげんだゆう(15??~15??)】

名西郡下浦館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

丹治常直【たんじつねなお(14??~15??)】

細川元常家臣。通称右京亮。1509年、「井上館の戦い」で土肥綱真とともに謀反を企てた谷馬之助を討取る戦功を挙げた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

丹治庸直【たんじなおやす(15??~1558)】

丹治常直の男。1558年、三好長治に内応した土肥庸吉に謀殺された。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

知恵島重綱【ちえじましげつな(15??~1582)】

三好義賢家臣。美馬郡知恵島館主。通称源兵衛。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

津越満任【つごしみつこれ(15??~15??)】

松永久秀家臣。官途は伯耆守。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

津毛吉信【つもよしのぶ(15??~15??)】

名西郡津毛館主。官途は肥後守。別名源繁正。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

寺野武次【てらのたけつぐ(15??~1577)】

大西頼武家臣。通称源左衛門。1577年、「田尾館の戦い」で大西頼信に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

土井備後守【どいびんごのかみ(15??~15??)】

新開実綱家臣。那賀郡土井館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

東条信綱【とうじょうのぶつな(15??~15??)】

那賀郡桑野城主。官途は甲斐守。別名武田信綱。鐙石、本荘など8ヶ村を領した。長宗我部元親と結び勢力を拡大した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

東条光秀【とうじょうみつひで(15??~1585)】

東条信綱の男。通称関之兵衛。別名武田実光。室は久武親直の娘(長宗我部元親の養女)。1575年、「桑野城の戦い」で継嗣の東条只右衛門を人質に差し出し長宗我部元親に降伏した。1577年、「桑野城の戦い」で一宮成祐勢の支援を受け三好長治の家臣矢野駿河守、篠原実長勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1582年、「中富川の戦い」で牛岐右京進、仁宇但馬守、四宮肥後守とともに長宗我部元親に従い十河存保勢と戦い戦功を挙げた。1585年、「木津城の戦い」で長宗我部元親勢に従い羽柴秀長勢と戦い土佐国に落延びた。長宗我部元親の怒りを受け東条只右衛門とともに自刃した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

東条只右衛門【とうじょうただえもん(15??~1585)】

東条信綱の次男。別名武田唯右衛門。1575年、「桑野城の戦い」で父東条光秀が長宗我部元親勢と戦い降伏すると、人質として長宗我部元親のもとに送られた。1585年、「木津城の戦い」で東条光秀が羽柴秀長勢と戦い敗退したため、長宗我部元親の怒りを受け東条光秀とともに自刀した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

東条光房【とうじょうみつふさ(15??~15??)】

東条信綱の三男。官途は佐渡守。別名武田光房。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

東条光成【とうじょうみつなり(15??~15??)】

東条信綱の四男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

東条光豊【とうじょうみつとよ(15??~16??)】

東条信綱家臣。那珂郡西方館主。官途は紀伊守。1585年、「木津城の戦い」で羽柴秀長勢に従い羽柴秀吉に対抗する甥の東条光秀を開城させた。汐干潟を埋め、谷々を開いて18町歩に及び橘の浦を開墾した。1600年、「関ヶ原の役」で石田三成に従い松平元康勢と戦い没落した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

東条隠岐守【とうじょうおきのかみ(15??~15??)】

大西頼武家臣。那珂郡中西館主。1577年、「中西館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

土肥綱真【どひつなまさ(14??~15??)】

細川元常家臣。讃岐神崎館主。官途は因幡守。別名土肥綱実。1509年、「井上館の戦い」で丹治常直とともに細川高国に内応した谷馬之助を討取る戦功を挙げ井上館主に任じられた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

土肥庸吉【どひようきち(15??~15??)】

土肥綱真の男。1558年、三好長治に内応して丹治庸直を謀殺した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

土肥房長【どひぐさなが(15??~15??)】

土肥庸吉の男。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

土肥秀実【どひひでざね(15??~1579)】

土肥房長の男。官途は紀伊守。通称新左衛門。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、森高次、河村恒基、飯尾常利、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼らとともに三好康俊に謀殺された。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。
 
土肥庄五郎【どひしょうごろう(15??~1615)】

土肥房長の次男。羽柴秀吉に仕えた。1615年、「大坂夏の陣」で羽柴秀頼に従い松平元康に従い自刃した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

土肥弥太郎【どひよたろう(15??~15??)】

名西郡加茂野館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

豊田円専坊【とよたえんせんぼう(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

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【な】

中岡藤市【なかおかとういち(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

中角六郎左衛門【なかかどろくろうざえもん(15??~15??)】

勝浦郡中津野館主。福良出羽守、大栗右近、服部因旛守、森監物、栗田宇右衛門とともに三好長治に対抗した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

長塩六之進【ながしおろくのしん(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡長塩館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

中庄主膳【なかしょうしゅぜん(15??~1582)】

三好義賢家臣。那賀郡中庄館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

永原重高【ながはらたかしげ(15??~1638)】

三好義賢家臣。官途は越後守。別名「松雲」。儒学や兵法、和歌などに卓見で丹羽長重に仕え1,000石を領した。南部無右衛門と仲が悪く、南部無右衛門を柔術で軽くいなした。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

中村高続【なかむらたかつぐ(15??~15??)】

松山重治家臣。通称新兵衛。別名「鎗中村」。1561年、「地蔵山の戦い」で六角義賢の家臣永原安芸守を討取る戦功を挙げた。三好三人衆に内応した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

那須家富【なすいえとみ(15??~1573)】

三好長慶家臣。通称久右衛門。1573年、「河内若江城の戦い」で三好義継に従い織田信長の家臣佐久間信盛勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鳴森吉久【なるもりよしひさ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

仁宇正広【にうまさひろ(15??~15??)】

那賀郡仁宇館主。官途は伊豆守。別名藤原兼時。1577年、「海部城の戦い」で海部友光が長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びたため降伏した。1585年、「仁宇谷一揆」で蜂須賀家政の家臣山田宗重勢と戦い敗退した。1582年、「中富川の戦い」で牛岐右京進、仁宇但馬守、四宮肥後守とともに長宗我部元親に従い十河存保勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

仁木高将【にきこうしょう(15??~1553)】

細川持隆家臣。名東郡花房館主。官途は日向守。別名仁木義胤。1553年、「鑓場の戦い」で小倉重信、野田内蔵助、佐野平明とともに久米義広に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

仁木伊賀守【にきいがのかみ(15??~1582)】

名東郡上大野館主。官途は伊賀守。1577年、「上大野館の戦い」で長宗我部元勢と戦い敗退した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

西村伝兵衛【にしむらでんべい(15??~15??)】

福良寛治家臣。1585年、「四国討伐(天正の乱)」で森崎中豊に従い大船六百艘、小船三百艘を揃え羽柴秀長に従い長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。 

新田義高【にったよしたか(15??~15??)】

三好郡野津後館主。別名脇屋義治。1577年、「野津後館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

根井伊賀守【ねいいがのかみ(15??~15??)】

麻植郡根井館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

野田采女正【のだうねめのしょう(15??~1582)】

細川持隆家臣。名東郡上八万館主。1582年、一宮成祐、河南吉清とともに夷山城内で長宗我部元親に謀殺された。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

野田内蔵助【のだくらのすけ(15??~1553)】

細川持隆家臣。名東郡野田館主。野田采女正の弟。七十人力と謳われた剛勇。1553年、「鑓場の戦い」で小倉重信、仁木高将、佐野平明とともに久米義広に従い三好義賢勢と戦い野口則守と刺し違え討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

延野平則【のべのひらのり(15??~1582)】

湯浅兼朝家臣。那珂郡延野館主。通称兵衛。1582年、「延野館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

野間長久【のまながひさ(15??~15??)】

三好長慶家臣。通称右兵衛尉。摂津出身。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

野間康久【のまやすひさ(1530~1584)】

野間長久の男。通称左橘兵衛。別名野間長前。室は池田教正の妹婿。若江三人衆。1573年、三好義継が織田信長と対立したため、佐久間信盛に内通して三好義継を自刃に追い込んだ。1580年、津田宗及、山上宗二と茶会を催した。織田信長から『燕絵』を拝領した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

野本左近【のもとさこん(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡野本館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

乗島来心【のりしまらいしん(15??~1582)】

三好義賢家臣。美馬郡乗島館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

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【は】

蓮池清助【はすいけきよすけ(15??~1552)】

細川持隆家臣。那賀郡内原館主。1553年、「見性寺の変」で星相右衛門とともに細川持隆に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
畠山之照【はたけやまゆきてる(15??~1582)】

細川真之の男(畠山高政の養子)。官途は石見守。別名仁木六郎。母の懐妊中に父の細川真之とともに叔父の仁木左衛門のもとに落延びた。1582年、「中富川の戦い」で長宗我部元親に従い十河存保勢と戦い戦功を挙げた。「上大野館の戦い」で長宗我部元親勢に襲われ討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

原田秀兼【はらだひでかね(1532~1560)】

細川持隆家臣。板野郡山野上館主。官途は備前守。1560年、板野郡住吉村小島で討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

原田久左衛門【はらだひさざえもん(15??~1582)】

原田秀兼の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

原田小内膳【はらだこないぜん(15??~15??)】

原田久左衛門の男。1582年、「中富川の戦い」で父の原田久左衛門とともに長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

原田信綱【はらだのぶつな(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡原館主。通称源左衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

榛谷越後守【はるたにえちごのかみ(15??~1582)】
 
細川持隆家臣。板野郡西分館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

早淵頼母亮【はやみぞたのものじょう(15??~1562)】

一宮成祐家臣。名東郡早淵館主。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢に従い畠山高政勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

早淵主馬亮【はたみぞしゅめいのじょう(15??~15??)】

早淵頼母亮の甥。1562年、「和泉久米田の戦い」で叔父の早淵頼母亮が三好義賢に従い畠山高政、安見宗房、遊佐信教、湯川直光勢と戦い討死したため、一宮成祐を意向を受け早淵館を守備した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

服部隆元【はっとりたかもと(15??~1582)】

細川真之家臣。名東郡大井砦館主。官途は因幡守。1576年、「勝瑞城の戦い」で福浦出羽守とともに細川真之に従い十河存保勢と戦い茨ヶ岡館に落延びた。1582年、茨ヶ岡館で細川真之とともに自刃した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

花面久渓【はなめんきゅうけい(15??~15??)】

名東郡花面館主。通称右衛門四郎。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

春岡左近【はるおかさこん(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

林通勝【はやしみちかつ(15??~15??)】

松永久秀家臣。官途は若狭守。織田信長の家臣林通勝と同名。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

板東市正【ばんどういちまさ(15??~15??)】

名東郡観音寺館主。1582年、一宮成祐が長宗我部元親に謀殺されたため、病と偽り謀殺を免れた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

板東紀伊守【ばんどうきいのかみ(15??~1582)】

赤沢宗伝家臣。名東郡椎本館主。赤沢家十二人衆。1582年、「中富川の戦い」で赤沢宗伝に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

坂東清利【ばんどうきよとし(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡坂東館主。官途は肥前守。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

坂東五郎右衛門【ばんどうごろうざえもん(15??~1582)】

板東清利の弟。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

坂東季秀【ばんどうすえひで(15??~15??)】

三好長逸家臣。官途は大炊助。別名番頭 義元。筆頭家老職を務めた。1565年、「永禄の変」で松永久秀、三好長逸、三好政康らとともに足利義輝を謀殺した。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると足利義昭に仕えた。1573年、「山城淀城の戦い」で三好長逸の意向を受け足利義昭、石成友通を支援して織田信長の家臣羽柴秀吉、細川藤孝勢と戦い羽柴秀吉に内応した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

板東信秀【ばんどうのぶひで(15??~1569)】

三好長逸家臣。1569年、「本圀寺の変」で三好長逸に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

姫田藤家【ひめだふじいえ(15??~1577)】

三好長治家臣。板野郡姫田館主。官途は佐渡守。1577年、「荒田野の戦い」で三好長治が長宗我部元親勢と戦い討死したため、殉死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

姫田甚左衛門【ひめだじんざえもん(15??~1582)】

姫田藤家の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

日和佐肥前守【ひわさひぜんのかみ(15??~15??)】

海部友光家臣。海部郡日和佐館主。官途は肥前守。小笠原長門守とともに細川真之を擁立して三好長治と対立した。1575年、「海部城の戦い」で海部友光が長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びた。1577年、「日和佐館の戦い」で長宗我部元親の家臣香宗我部親秦勢と戦い降伏した。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。

日和佐権頭【ひさわごのかみ(15??~1639)】

日和佐肥前守の弟。通称新次郎。別名浜五郎兵衛。兄の日和佐肥前守とともに長宗我部元親に仕えた。1600年、長宗我部盛親が改易処分に処されたため、山内一豊に仕え赤岡の庄屋を務めた。参考文献:「史跡夜話」byヨシ坊。

日野紀伊守【ひのきいのかみ(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

平井対馬守【ひらいつしまのかみ(15??~15??)】

細川真之家臣。那賀郡今津館主。1582年、「今津館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

福島左近【ふくしまさこん(15??~15??)】

細川持隆家臣。名東郡福島館主。福島館(80貫)を領した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

福智左馬頭【ふくちさまのかみ(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

福良吉連【ふくよしきちつら(14??~15??)】

勝浦郡鶴島館主。1485年、足利義尚の御供衆を務めた。1499年、多病のため弟の福吉吉高に家督を譲った。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

福良吉高【ふくよしよしたか(15??~15??)】

福良吉連の弟。官途は大和守。室は桐原雲光の娘。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

福良吉勝【ふくよしよしかつ(15??~15??)】

福良吉高の男。通称右京介。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

福良経則【ふくよしつねのり(15??~15??)】

福良吉勝の男。官途は相模守。1520年、「淡路養宜館の戦い」で細川成之に従い細川勝忠勢と戦い細川勝忠を討取る戦功を挙げた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

勝浦福良長政【ふくよしながまさ(15??~1544)】

細川持隆家臣。勝浦郡山分城主。官途は出羽守。室は細川之持の娘。阿波棚野五ヶ村を領した。1544年、「」で三好義賢勢と戦い討死した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。
 
勝浦福良連経【ふくよしつらつね(15??~15??)】

福良長政の男。官途は出羽守。1576年、細川真之を那賀郡茅ヶ岡城に迎えた。一宮成助、伊沢頼俊、吉井行康 多田元次とともに阿波国内で三好長治勢い戦功を挙げた。1577年、「今切館の戦い」で細川真之に従い三好長治勢と戦い三好長治を討取る戦功を挙げた。1582年、「茅ヶ岡館の戦い」で十河存保の家臣江村次郎大夫 本木新左衛門 露口兵庫 江邑兵衛進勢と戦い細川真之が討死した。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

福良吉武【ふくよしよしたけ(15??~15??)】

福良長政家臣。勝浦郡寺島館主。官途は佐渡守。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

福良寛治【ふくよしひらはる(15??~1571)】

福良岡之館主。通称式部。1520年、賀集備後守のもとに落延びた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

藤原政吉【ふじわらまさよし(15??~15??)】

勝浦郡今山館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原国村【ふじわらくにむら(15??~15??)】

藤原政吉の男。別名大栗左近。大栗右近、服部因旛守、森監物、栗田宇右衛門、中角六郎左衛門とともに細川真之に従い仁宇谷茨ヶ岡館に落延びた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原持共【ふじわらもちとも(15??~15??)】

海部郡祇園館主。官途は下野守。別名本木下野守。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原元信【ふじわらもとのぶ(15??~15??)】

海部郡愛宕館主。通称弥三郎。1577年、「愛宕館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原兼綱【ふじわらかねつな(15??~15??)】

那賀郡雄館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原兼行【ふじわらかねゆき(15??~15??)】

那賀郡黒瀧館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

藤原友清【ふじわらもときよ(15??~15??)】

三好康俊家臣。通称平右衛門。1553年、「内山館の戦い」で麻植持光勢と戦い戦功を挙げた。内山館を領した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

藤原正広【ふじわらまさひろ(15??~15??)】

湯浅兼朝家臣。那賀郡和食館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

古川友則【ふるかわとものり(15??~1582)】

細川持隆家臣。三好郡古川館主。通称亀右衛門。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

北条勝時【ほうじょうかつとき(15??~1582)】

美馬郡上野館主。官途は越前守。1582年、「上野館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

星相右衛門【ほしそうざえもん(15??~15??)】

細川持隆家臣。1553年、「見性寺の変」で蓮池清助とともに細川持隆に従い三好義賢勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

阿波細川成之【ほそかわしげゆき(1434~1511)】

足利義政の男。官途は讃岐守。細川教祐の男(細川持常の養子)。阿波、三河、讃岐国守護職。室町幕府相伴衆。通称六郎。1460年、「河内嶽山城の戦い」で細川成春
細川常有、細川持久、山名是豊、畠山政長、成身院光宣、筒井順永とともに足利義政の意向を受け畠山義就勢と戦い敗退した。1467年、「応仁の乱」で細川勝元に従い山名持豊勢と戦い戦功を挙げた。1488年、継嗣の細川政之が病没したため、次男の細川義春が阿波細川家の家督を相続した。1497年、細川義春が病没したため、孫の細川之持の後見役を務めた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波細川政之【ほそかわまさゆき(1455~1488)】

細川成之の男。官途は兵部少輔。通称弥九郎。1467年、「応仁の乱」で父の細川成之とともに細川勝元に従い山名持豊勢と戦い戦功を挙げた。1478年、父の細川成之が出家したため、阿波細川家の家督を相続した。1485年、「飯尾西館の戦い」で謀反を起こした飯尾常房、東条近江守勢と戦い飯尾常房、東条近江守を討取る戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波細川持隆【ほそかわもちたか(1497~1553)】

板野郡勝瑞城主。細川之持の男。阿波国守護職。官途は讃岐守。室は大内義興の娘。側室は岡本牧西の娘(小少将)。1512年、父の細川之持が病没したため、細川家の家督を相続した。細川高国と細川惣領家の家督を奪った細川晴元を補佐した。1531年、「大物崩れ」で細川高国勢と戦い戦功を挙げた。1539年、赤松晴政の要請を受け備中国で尼子晴久勢と戦い敗北した。1549年、細川晴元が三好長慶に敗れて没落すると三好長慶に対抗するため、足利義栄を擁した。1553年、「見性寺の変」で三好義賢から謀反の嫌疑を受け謀殺された。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

阿波細川真之【ほそかわさねゆき(1538~1582)】

細川持隆の男。官途は掃部頭。通称六郎。1553年、「見性寺の変」で父の細川持隆が三好義賢に謀殺されたため、福良連経とともに落延び阿波細川家の家督を相続した。1577年、「荒田野の戦い」で一宮成祐、伊沢頼俊とともに三好長治を討取る戦功を挙げた。「坂西城の戦い」で十河存保勢と戦い伊沢頼俊が討死したため、劣勢に陥った。1582年、「茅ヶ岡館の戦い」で十河存保の家臣江村次郎大夫、本木新左衛門、露口兵庫、江邑兵衛進と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

木頭細川大隅守【ほそかわおおすみのかみ(15??~15??)】

那賀郡木頭館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

堀江国正【ほりえくにまさ(15??~1582)】

赤沢宗伝家臣。板野郡南新居館主。通称藤太夫。坂西十二人衆。南新居城(50貫)を領した。1582年、「中富川の戦い」で赤沢宗伝に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

本庄国兼【ほんじょうくにかね(15??~15??)】

名東郡熊山館主。通称太郎兵衛。1582年、「上野館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「阿波城跡探訪」by半ちゃん。

本庄加賀守【ほんじょうかがのかみ(15??~15??)】

三好長慶秀家臣。平野郷代官職を務めた。平野郷七名家(末吉、成安、辻葩、土橋、三上、西村、井上)と対立した。松永久秀に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

本庄孫三郎【ほんじょうまごさぶろう(15??~15??)】

松永久秀家臣。取次役を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【ま】

真木山肥後守【まさきやまひごのかみ(15??~15??)】

久米義広家臣。通称主水正。加藤影俊、青野道意、三木道恩とともに鴨館を守備した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

松岡秀孝【まつおかひでたか(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

松田一兵衛尉【まつだいちひょうぶのじょう(15??~15??)】

松永久秀家臣。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松田行継【まつだゆきつぐ(15??~1582)】

新開実綱家臣。通称新兵衛尉。家老職を務めた。1582年、新開実綱が十河存保との内応を疑われ、長宗我部元親の家臣久武親信に謀殺された。横山源兵衛に討取られた。参考文献:「阿波学会研究紀要」by徳島県立図書館。

松永久秀【まつながひさひで(1510~1577)】

三好長慶家臣。官途は弾正忠。室は三好長慶の娘。三好長慶の右筆を務めた。1551年、「山城相国寺の戦い」で弟の松永長頼とともに細川晴元勢の三好政勝、香西元成勢と戦い戦功を挙げた。1559年、三好長慶の意向を受け信貴山城を築城して大和国衆を制圧した。1565年、「永禄の変」で三好三人衆、三好義継らとともに足利義輝を謀殺した。1567年、「信貴山城の戦い」で三好三人衆、筒井順慶勢の攻撃を受けた。1568年、足利義昭を擁して上洛した織田信長に降伏して所領を安堵された。1573年、「信貴山城の戦い」で足利義昭、武田晴信に内応して織田信長から離反するが織田信長勢の攻撃を受け降伏した。1577年、「信貴山城の戦い」で再び織田信長から離反したが、織田信長勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

松永長頼【まつながながより(1516~1565)】

三好長慶家臣。松永久秀の弟(内藤国貞の養子)。官途は備前守。通称甚介。別名内藤宗勝。室は内藤国貞の娘。三好長慶に仕え兄の松永久秀を補佐した。1551年、「山城相国寺の戦い」で松永久秀に従い細川晴元の家臣三好政勝と戦い丹波国に追落とした。1553年、内藤国貞の娘を内室に迎え丹波内藤家の家督を相続した。1559年、「河内教興寺の戦い」で三好長慶に従い丹波国衆を率いて畠山高政勢と戦った。1565年、「黒井城の戦い」で義弟の内藤貞勝とともに赤井直正勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

松永久通【まつながひさみち(1543~1577)】

松永久秀の男。官途は右衛門太夫。室は十市遠勝の娘(於なへ)。1563年、父の松永久秀が隠居したため、松永家の家督を相続した。1568年、松永久秀とともに足利義昭を擁して上洛した織田信長に降伏した。1573年、「大和多聞山城の戦い」で松永久秀とともに織田信長から離反するが織田信長勢の攻撃を受け降伏した。1576年、「十市城の戦い」で織田信長の家臣原田直政に従い城主の十市遠長を討取る戦功を挙げた。1577年、「多門城の戦い」で松永久秀に従い織田信長から離反したが、織田信長勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

松永長直【まつながながなお(15??~1576)】

松永長頼の男。別名内藤長直。通称金吾。1576年、「本願寺城の戦い」で織田信長の家臣原田直政に従い本願寺証如勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

松永貞徳【まつながていとく(1571~1650)】

松永永種の男。三好長慶を敬愛した。俳諧の中興の祖。細川藤孝、藤原惺窩、里村紹巴に和歌を学び、書にも長じて羽柴秀吉の祐筆を務めた。北村季吟を育てた。妙満寺の「雪の庭」の作庭、著書に『和句解』、『戴恩記』。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松永尺五【まつながせきご(1592~1657)】

松永貞徳の男。藤原惺窩四天王。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松永左馬進【まつながさまのしん(15??~1571)】

野間長久の次男(松永久秀の養子)。別名野間左馬進。1571年、「大和辰市館の戦い」で多羅尾久三郎とともに松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

松永久三郎【まつながひささぶろう(15??~1571)】

多羅尾綱知の次男。別名多羅尾久三郎。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

松永彦一【まつながひこいち(15??~15??)】

松永久秀家臣。多喜山衆。1565年、喜多定行、芝石方吉、犬伏頼在、松山広勝とともに滝山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松永孫四郎【まつながまごしろう(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

松山重治【まつやましげはる(15??~15??)】

三好長慶家臣。官途は安芸守。通称新介。5,000石を領した。1561年、「地蔵山の戦い」で中村高続が六角義賢の家臣永原安芸守を討取る戦功を挙げた。1562年、「河内教興寺の戦い」で安宅冬康を支援して畠山高政勢の根来寺衆と戦い戦功を挙げた。1568年、織田信長勢の上洛に備えて奈良但馬守とともに摂津高槻城に籠城した。織田信孝に仕えた。1582年、「高野山の戦い」で織田信孝に従い伊都郡内に多和館を築城した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

松山彦十郎【まつやまひこじゅうろう(15??~15??)】

三好長慶家臣。室は伊丹貞親の娘。1564年、松山重治、中村高続とともに三好長逸に従い芥川山城を守備した。1566年、松永久秀に内応して芥川山城を領した。1570年、「野田、福島の戦い」で本願寺証如に従い織田信長勢と戦い敗退した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松山広勝【まつやまひろかつ(15??~15??)】

松永久秀家臣。多喜山衆。1565年、喜多定行、松永彦一、芝石方吉、犬伏頼在とともに滝山城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真鍋通近【まなべみちちか(15??~15??)】

大西頼武家臣。三好郡松尾館主。通称大炊介。長宗我部元親の内応して大西元武から離反した。1577年、「野々首の戦い」で薦田義清とともに大西元武勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

三木道恩【みきどうおん(15??~15??)】

久米義広家臣。通称主水正。加藤影俊、真木山肥後守、青野道意とともに鴨館を守備した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

水尾為盛【みずおためもり(15??~15??)】

松永久秀家臣。摂津国出身。1559年、松永久秀の意向を受け大和筒井城を守備した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

源義利【みなもとよしとし(15??~15??)】

美馬郡郡里館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

源光房【みなもとひむつふさ(15??~15??)】

那賀郡佐渡砦主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

三橋範清【みはしのりきよ(14??~15??)】

三好康俊家臣。美馬郡川久保館主。官途は上総守。もと天皇家の北面武士。1471年、京都から美馬郡川久保館に転封した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

三橋丹後守【みはしたんごのかみ(15??~15??)】

三橋範清の男。1579年、「脇城の戦い」で武田信頼、三好康俊とともに長宗我部元親に従い森高次、矢野国村勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

三橋宗忠【みはしむねただ(15??~15??)】

三橋範清の次男。官途は常陸介。三好康俊に仕えた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

美馬直次【みまなおつぐ(15??~15??)】

三好康俊家臣。1579年、「脇城外の戦い」で三好康俊の意向を受け森高次を討取る戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

宮部与介【みやべよすけ(15??~15??)】

松永久秀家臣。1569年、平群郡代官職を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

宮本吉元【みやもとよしもと(15??~15??)】
 
三好長慶家臣。官途は武蔵守。円明流の兵法家。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

宮本一真【みやもとかずまさ(15??~15??)】

宮本吉元の男。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

三好長之【みよしながゆき(14??~14??)】

阿波細川成之家臣。三好郡芝生城主。三好義長の男。守護代職(三好郡、美馬郡、麻植郡)を務めた。1467年、「応仁の乱」で細川勝元に従い山名持豊勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好之長【みよしゆきなが(1458~1520)】

三好長之の男。官途は筑前守。1507年、「永正の錯乱」で細川尚春、細川政賢とともに細川高国に従い細川澄之の家臣香西元長勢と戦い細川澄之を討取る戦功を挙げた。1509年、「如意ヶ嶽の戦い」で細川高国、大内義興勢との戦い敗退した。1520年、「山城船岡山の戦い」で細川政賢とともに大内義興勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好長尚【みよしながなお(15??~15??)】

三好長之の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好勝宗【みよしかつむね(14??~1532)】

三好長之の四男。官途は民部大輔。別名三好一秀。1529年、「摂津伊丹城の戦い」で塩田胤光とともに柳本賢治勢と戦い戦功を挙げた。1531年、「飯盛山城の戦い」で畠山義堯を支援して木沢長政勢と戦い戦功を挙げた。1532年、「和泉顕本寺の戦い」で三好元長とともに一揆衆と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長秀【みよしながひで(1479~1509)】

三好之長の男。別名芥川長則。1507年、「永正の錯乱」で細川政元が細川澄之に謀殺されたため、細川澄元を補佐した。1509年、「如意ヶ嶽の戦い」で父の三好之長に従い細川高国、大内義興勢との戦い敗退して伊勢国に落延びた。北畠材親勢の攻撃を受け三好頼澄とともに自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好頼澄【みよしよりずみ(14??~1509)】

三好之長の次男。1509年、「如意ヶ嶽の戦い」で父の三好之長に従い細川高国、大内義興勢との戦い敗退して伊勢国に落延びた。北畠材親勢の攻撃を受け兄の三好長秀とともに自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好長則【みよしながより(14??~1520)】

三好之長の四男。通称孫四郎。1520年、「等持院の戦い」で三好長秀、三好頼澄、芥川長光らとともに父の三好之長に従い細川高国、六角定頼勢と戦い敗退した。三好之長、三好長秀、三好頼澄、芥川長光とともに捕縛され斬頸に処された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好元長【みよしもとなが(1501~1532)】

三好長秀の男。官途は筑前守。室町幕府山城国守護代職。1527年、「山城桂川原の戦い」で柳本賢治、波多野秀忠、三好長家、三好政長とともに足利義晴、細川高国勢と戦い戦功を挙げ足利義晴、細川高国を追放処分に処した。細川晴元とともに足利義澄の次男足利義維を将軍に擁立した。1532年、「和泉顕本寺の戦い」で細川晴元、木沢長政、本願寺証如勢の攻撃を受け討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好長慶【みよしながよし(1523~1564)】

三好元長の男。通称孫次郎。官途は筑前守。別名三好範長。室は遊佐長教の娘。1532年、「和泉顕本寺の戦い」で父の三好元長が細川晴元、木沢長政、本願寺証如勢と戦い討死したため、三好家の家督を相続した。木沢長政の仲介で細川晴元に仕え摂津越水城主を領した。1542年、「河内太平寺の戦い」で木沢長政勢と戦い木沢長政を討取る戦功を挙げた。1547年、「摂津舎利寺の戦い」で細川晴元から離反して細川氏綱、遊佐長教勢と戦い戦功を挙げた。1549年、「江口の戦い」で細川,氏綱とともに,細川晴元勢と戦い戦功を挙げた。「京都霊山の戦い」で足利義輝、細川晴元勢と戦い戦功を挙げた。七ヶ国(山城、丹波、摂津、和泉、淡路、讃岐、阿波)を支配領域とした。1559年、「高屋城の戦い」で安見直政勢と戦い戦功を挙げた。1562年、「河内教興寺の戦い」で畠山高政、六角義賢、筒井順慶勢と戦い戦功を挙げた。1564年、継嗣の三好義興を失い、失意のうちに病没した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好義興【みよしよしおき(1542~1563)】

三好長慶の男。官途は筑前守。通称孫次郎。別名三好義長。父の三好長慶が足利義輝、細川晴元と和議を結んだため、人質として足利義輝のもとに赴いた。1560年、足利義輝の相伴衆を務めた。三好長慶が飯盛山城に転封したため、芥川城を領した。1561年、御相伴衆を務めた。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好長慶とともに畠山高政、六角義賢、筒井順慶勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好義継【みよしよしつぐ(1551~1573)】

十河一存の男(三好義興の養子)。官途は左京大夫。通称孫六郎。別名十河重存。室は足利義晴の娘。1563年、三好義興の病没により、三好惣領家の家督を相続した。1564年、松永久通、三好長逸、広橋国光らとともに上洛した。1565年、「二条城の戦い」では、松永久通、三好三人衆とともに足利義輝を謀殺した。1568年、織田信長が足利義昭を擁して上洛すると、足利義昭に仕えた。1569年、三好三人衆の攻撃から足利義昭を救援した。1572年、「河内交野城の戦い」で畠山勢を撃退した。織田信長、足利義昭勢から討伐を受けた。1573年、足利義昭勢に属して織田信長と敵対するが、織田信長勢に属する若江三人衆の離反により自刃に追い込まれた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

三好義兼【みよしよしかね(15??~15??)】

三好義継の男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好義茂【みよしよしもり(15??~15??)】

三好義継の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長元【みよしながもと(15??~15??)】

三好義継の三男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長逸【みよしながやす(15??~1573)】

三好長則の男。官途は日向守。別名芥川孫四郎。三好三人衆。1549年、「江口の戦い」で三好長慶に従い細川晴元の家臣香西元成勢と戦い戦功を挙げた。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好長慶に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。1565年、「永禄の変」で三好政康、岩成友通、松永久秀とともに足利義輝を謀殺した。1566年、篠原長房、三好康長、筒井順慶と結び松永久秀勢を京都から追い落し足利義栄を将軍職に擁立した。1567年、「大和東大寺の戦い」で松永久秀勢と戦い敗退した。1569年、「本圀寺の戦い」で織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。1570年、「野田、福島の戦い」で篠原長房、本願寺顕如、浅井長政、朝倉義景とともに織田信長勢と戦い敗退した。1573年、「摂津中嶋城の戦い」で足利義昭、三好義継、松永久秀とともに織田信長勢と戦い敗退した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長将【みよしなが(15??~1567)】

三好長逸の男。通称久介。1567年、「大和東大寺の戦い」で父の三好長逸とともに松永久秀勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長勝【みよしながかつ(15??~15??)】

三好長逸の次男。官途は兵庫頭。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長徳【みよしながとく(15??~15??)】

三好長逸家臣。通称新左衛門。1569年、「本圀寺の戦い」で三好長逸に従い好政康、岩成友通、松永久秀らとともに織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。参考文献:「天下侍魂」by登美ノ勝也。

三好政成【みよしまさなり(15??~15612)】

三好頼澄の男。官途は下野守。堺幕府で朝廷との取次役を務めた。1561年、「将軍地蔵山の戦い」で畠山高政の家臣宮崎隠岐守勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好通清【みよしみちきよ(15??~15??)】

三好長慶家臣。官途は主水正。1565年、「永禄の変」で三好政康、三好長逸、岩成友通、松永久秀に従い足利義輝勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「天下侍魂」by登美ノ勝也。

三好政保【みよしまさやす(15??~1573)】

三好義賢家臣。官途は筑前守。家老職を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好盛長【みよしもりなが(15??~15??)】

三好義賢家臣。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢が畠山高政勢と戦い討死したため、篠原長秀、加地盛時、矢野虎村、吉成信長、三好盛政、伊沢長綱とともに三好長治に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好長朝【みよしながとも(15??~15??)】

三好義賢家臣。通称弓之助。別名三好忠康。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三好盛政【みよしもりまさ(15??~15??)】

三好義賢家臣。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢が畠山高政勢と戦い討死したため、篠原長秀、加地盛時、矢野虎村、吉成信長、三好盛長、伊沢長綱とともに三好長治に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

阿波三好義賢【みよしよしかた(1527~1562)】

三好元長の次男。官途は豊前守。室は久米義広の娘。別名三好実休。1544年、兄の三好長慶は細川晴元に仕えた。1547年、「摂津舎利寺の戦い」で細川晴元に属した三好長慶に従い細川氏綱、畠山政国、遊佐長教と戦い戦功を挙げた。1553年、「見性寺の変」で十河一存とともに細川持隆を謀殺して細川真之を擁立した。1558年、「山城北白川の戦い」で三好長慶に従い足利義輝、細川晴元勢と戦い戦功を挙げた。1560年、「河内高屋城の戦い」で三好長慶とともに畠山高政、安見宗房勢と戦い戦功を挙げ河内国守護職に任じられた。1562年、「和泉久米田の戦い」で根来衆の支援を受けた畠山高政勢と戦い討死した。武野紹鴎、千利休に茶道を学び、名物『三日月』の茶入を所持した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

阿波三好長治【みよしながはる(1553~1577)】

三好義賢の男。1562年、「和泉久米田の戦い」で父の三好義賢が畠山高政勢と戦い討死したため、篠原長房の補佐を受け阿波三好家の家督を相続した。篠原長房と対立すると、細川真之を擁立した。1569年、「本圀寺の戦い」で足利義昭を襲撃するが、戦果を挙げられず、畿内から撤退した。1570年、「野田館、福島館の戦い」で三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)とともに細川昭元を擁して織田信長勢と戦い敗北して和議を結んだ。1572年、「上桜館の戦い」で細川真之と結んで篠原長房を攻め滅ぼした。弟十河存保に属する香川之景や香西佳清らを攻撃した。1577年、「荒田野の戦い」で細川真之、一宮成祐、伊沢頼俊らと戦い自刃した。辞世の句は「三芳野の梢の雪と散る花を 長き春とやは人のいふらむ」。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

岩倉三好長秀【みよしながひで(1479~1509)】

細川政元家臣。美馬郡岩倉城主。三好之長の男。細川政元の後継者問題で父の三好之長とともに細川澄元を支持した。1507年、「永正の錯乱」で細川政元が細川澄之に謀殺されたため、三好之長とともに細川澄元を擁立して細川澄之を討取る戦功を挙げた。1509年、「如意ヶ嶽の戦い」で三好長秀とともに細川高国、大内義興、足利義稙勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

岩倉三好康長【みよしやすなが(15??~1583)】

三好長秀の男。官途は山城守。通称孫七郎。別名「笑岩」。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好義興に従い畠山高政勢と戦い敗退した。1564年、三好長慶が病没したため、三好三人衆と結び松永久秀に対抗した。1569年、「本圀寺の戦い」で三好三人衆とともに足利義昭、織田信長勢と戦い敗退した。1573年、「河内高屋城の戦い」で足利義昭、松永久秀、三好義継とともに織田信長勢と戦い敗退した。1575年、織田信長に降伏した。1576年、「本願寺城の戦い」で織田信長の家臣原田直政に従い先陣を務め、本願寺顕如勢と戦い敗退した。1582年、織田信孝に従い阿波、讃岐、淡路の諸将の内応工作を担当して安宅信康、三好康俊を内応させた。1582年、「本能寺の変」で織田信長が討死したため、阿波国から撤退した。参考文献:『戦国人名辞典』by新人物往来社。

岩倉三好康俊【みよしやすとし(15??~1582)】

三好康長の男。官途は式部大輔。通称徳太郎。室は三好長房の娘。父の三好康長が畿内に転封したため、横田宗昭、塩田一閑の補佐を受け勝瑞城を領した。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、森高次、河村恒基、三好勝時、川島惟忠を討取る戦功を挙げた。1581年、「勝瑞城の戦い」で長宗我部元親勢と戦い三好俊長、大島利忠を人質に差し出し和議を結んだ。織田信長の支援を受けた三好康長に内応して長宗我部元親から離反した。1582年、「岩倉城の戦い」で長宗我部元親の家臣家臣香宗我部親泰勢と戦い討死した。辞世句「三芳野の花は数にはあらねども 散るにはもれぬ山桜かな」。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩倉三好俊長【みよしとしなが(15??~15??)】

三好康俊の男。1581年、「勝瑞城の戦い」で父の三好康俊が長宗我部元親に降伏したため、人質として長宗我部元親のもとに赴いた。1582年、「岩倉城の戦い」で三好康俊が長宗我部元親の家臣香宗我部親泰勢と戦い討死したため、長宗我部元親に仕えた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岩倉三好勝時【みよしかつとき(15??~1579)】

岩倉三好長之の三男。官途は越後守。三好長治の家老職を務めた。1578年、「坂西城の戦い」で伊沢頼俊勢と戦い伊沢頼俊を討取る戦功を挙げた。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、森高次、河村恒基、土肥秀実、飯尾常利、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

榎並三好長久【みよしながひさ(15??~1520)】

三好勝長の男。通称新五郎。1520年、「等持院の戦い」で細川澄元や細川之長に従い細川高国勢と戦い敗退した。細川之長、芥川長光、三好長則とともに曇華院殿に落延びた。細川高国勢に捕縛され斬頸に処された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

榎並三好勝長【みよしかつなが(14??~1509)】

三好勝時の次男。1509年、細川晴元、細川澄賢とともに波多野種通、柳本賢治、細川高国、細川尹賢らと対立した。「山城川勝寺の戦い」で細川澄賢、弟の三好政長とともに波多野種通を支援して、細川高国の家臣武田元光勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

榎並三好政長【みよしまさなが(14??~1549)】

三好勝時の次男。官途は越後守。通称新五郎。別名三好宗三。1509年、「山城川勝寺の戦い」で兄の三好勝長が波多野種通を支援して、細川澄賢、細川高国の家臣武田元光勢と戦い討死したため、榎並三好家の家督を相続した。木沢長政、茨木長隆とともに細川晴元の三家老職を務めた。1533年、摂津国東成郡榎並城を築城した。1547年、「摂津舎利寺の戦い」で細川晴元に従い細川氏綱勢と戦い戦功を挙げた。1548年、六角義賢、細川晴元と結び細川氏綱を擁した三好長慶と対立した。1549年、「江口の戦い」で細川晴元に従い三好長慶の家臣十河一存勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

榎並三好政康【みよしまさやす(1528~1569)】

三好政長の男。官途は下野守。別名「宗渭」。三好家三人衆。1547年、「摂津舎利寺の戦い」で父の三好政長とともに細川氏綱勢と戦い戦功を挙げた。1549年、「江口の戦い」で三好政長が三好長慶の家臣十河一存勢と戦い討死したため、榎並城から落延びた。1555年、「丹波八上城の戦い」で三好長慶に従い波多野秀治勢と戦い戦功を挙げた。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好長慶に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。1563年、三好長慶と三好義興が病没したため、三好長逸、岩成友通、松永久秀とともに三好義継を補佐した。1565年、「永禄の変」で松永久秀、三好長逸、岩成友通とともに足利義輝を謀殺した。1566年、「上芝の戦い」で三好長逸、岩成友通とともに畠山高政、松永久秀、安見宗房勢と戦い戦功を挙げた。篠原長房、三好長逸、岩成友通とともに足利義栄を擁して畿内を制圧した。1567年、「奈良東大寺の戦い」で松永久秀勢と戦い敗退した。1568年、「山城勝竜寺城の戦い」で織田信長、足利義昭勢と戦い敗退した。足利義昭、本願寺顕如、松永久秀、浅井長政、朝倉義景と結び織田信長と対抗した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

榎並三好為三【みよしいさん(1536~1632)】

三好政長の次男。官途は因幡守。通称右衛門大夫。1569年、「本圀寺の変」で三好政康、三好長逸、岩成友通とともに織田信長勢と戦い敗退した。1572年、伊丹親興と領地を交換して旧領榎並城を回復した。1582年、「本能寺の変」で織田信長が明智光秀勢と戦い討死したため、羽柴秀吉に仕えた。1592年、「文禄の役」で羽柴秀吉に従い肥前名護屋城を守備した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

榎並三好可正【みよし(1568~1634)】

三好為三の男。官途は因幡守。通称久三郎。1600年、「第二次上田城の戦い」で父の三好為三とともに松平秀忠に従い真田昌幸、真田信繁勢と戦い戦功を挙げ河内三郡内で2,020石を領した。1614年、「大坂冬の陣」で三好為三とともに松平元康に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

椋橋三好長直【みよしながなお(15??~15??)】

三好長慶家臣。官途は伊賀守。摂津椋橋館を守備した。1534年、「椋橋城の戦い」で中島一向一揆衆とともに三好長慶に従い細川晴元勢と戦い戦功を挙げた。三好長慶が細川晴元に内応したため、中島一向一揆衆の攻撃を受け三好長慶とともに小山館に落延びた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

椋橋三好長房【みよしながふさ(15??~15??)】

三好長直の男。官途は備中守。1562年、「河内教興寺の戦い」で三好義興に従い畠山高政勢と戦い戦功を挙げた。1566年、「和泉家原館の戦い」で三好義継に従い松永久秀勢と戦い戦功を挙げた。1568年、三好義継が織田信長に内応したため、三好家三人衆に属した。1570年、「野田、福島城の戦い」で三好家三人衆に従い織田信長勢と戦い敗退した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

椋橋三好房一【みよしふさかず(1554~1614)】

三好長房の男。官途は丹後守。通称新右衛門尉。三好康長、織田信長、羽柴秀吉、羽柴秀次に仕えた。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次が自刃したため、羽柴秀吉に仕えた。1592年、「文禄の役」で羽柴秀吉に従い肥前名護屋城を守備した。1598年、羽柴秀吉が病没したため、松平元康に仕えた。1600年、「関ヶ原の戦い」で松平元康に従い石田三成勢と戦い戦功を挙げた。河内国内で2,300石を領した。1605年、松平秀忠に供奉して参内した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

六条三好何右衛門【みよしかえもん(15??~1582)】

赤沢宗伝家臣。板野郡六条館主。赤沢家十二人衆。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

牟岐大膳充【むきだいぜんのじょう(15??~15??)】

海部郡牟岐館主。別名藤原行久。1577年、「海部城の戦い」で海部友光が長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びたため、降伏した。参考文献:『長宗我部元親』by近藤龍春。

宗田備前守【むねたびっちゅうのかみ(15??~15??)】

麻植郡宗田館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

撫養掃部助【むやかもんのすけ(15??~15??)】

三好之長家臣。板野郡撫養館主。別名小笠原掃部助。家老職を務めた。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

本木弥三郎【もときよさぶろう(15??~1575)】

多田民部少輔家臣。海部郡愛宕山館主。1575年、「宍喰館の戦い」で多田民部少輔に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:『長宗我部元親』by近藤龍春。

本木下野守【もときしもつけのかみ(15??~1575)】

多田民部少輔家臣。海部郡祇園山館主。1575年、「宍喰館の戦い」で多田民部少輔に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:『長宗我部元親』by近藤龍春。

森崎中豊【もりさきなかとよ(15??~1612)】

福良寛治の男。別名桐原刑部。1585年、「四国討伐(天正の乱)」で大船六百艘小船三百艘を揃え羽柴秀長に従い長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。 

森崎英貞【もりさきひでさだ(15??~1621)】 

森崎中豊の男。通称四郎衛門。別名福良浦長。1592年、「文禄の役」で加藤嘉明に従い李氏朝鮮勢と戦い戦功を挙げた。1598年、勝浦福良家の家督を相続した。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。 

森崎五郎衛門【もりさきごろうえもん(15??~15??)】

森崎英貞の男。1614年、「大坂冬の陣」で稲田稙元に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で稲田稙元に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。 

森因幡守【もりいなばのかみ(15??~15??)】

細川真之家臣。板野郡切幡館主。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

森高次【もりたかつぐ(15??~1579)】

森因幡守の男。官途は飛騨守。三家老職。名東郡野上北館を領した。1579年、「脇城外の戦い」で矢野国村、三好勝時、河村恒基、土肥秀実、飯尾常利、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

森元村【もりもとむら(15??~1594)】

三好義賢家臣。板野郡土佐泊館主。佐田九郎左衛門の男。官途は筑後守。阿波海賊衆。1532年、「土佐泊館の戦い」で讃岐勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。1539年、「伊予湯築城の戦い」で細川晴元、細川持隆に従い阿波海賊衆を率い河野通宣勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森村春【もりむらはる(1542~1592)】

森元村の男。官途は志摩守。1578年、「木津城の戦い」で十河存保に従い篠原実長勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「土佐泊館の戦い」で長宗我部元親勢の攻撃を撃退する戦功を挙げた。1585年、「木津城の戦い」で羽柴秀長に従い戦功を挙げた。蜂須賀家政に仕え阿波福井庄(3,026石)を領した。1592年、「朝鮮唐島の戦い」で羽柴秀吉勢に従い李氏朝鮮勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森村吉【もりむらよし(15??~15??)】

森元村の次男。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森忠村【もりただむら(15??~1606)】

森元村の次男。官途は志摩守。1592年、「朝鮮唐島の戦い」で父の森村春が李氏朝鮮勢と戦い討死したため、森家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森村重【もりむらしげ(15??~15??)】

森村吉の男(森村春の養子)。通称甚五兵衛。蜂須賀家政に仕え板東郡内で500石を領した。1592年、「文禄の役」で蜂須賀家政に従い李氏朝鮮勢と戦い戦功を挙げた。1614年、「大坂冬の陣」で蜂須賀至鎮に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森村純【もりむらずみ(15??~1665)】

森村重の男。官途は志摩守。1619年、福島正則が改易処分に処されたため、父の森村重とともに安芸広島城を接収した。森村重が病没したため、森家の家督うぃ相続した。1637年、「島原の乱」で蜂須賀至鎮に従い海賊衆を率い島原一揆勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森秀光【もりひでみつ(15??~1577)】

松永久秀家臣。通称勘右衛門。別名森正友。家老職を務め、北葛城郡片岡館を守備した。1577年、「大和信貴山城の戦い」で海老名勝正とともに片岡館に籠城して松永久秀を支援した。「片山館の戦い」で織田信長の家臣明智光秀、細川藤孝、筒井順慶勢の攻撃を受け討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森九兵衛【もりくへえ(15??~1600)】

三好康長家臣。若江七人衆。羽柴秀次、蒲生氏郷、石田三成に仕えた。1600年、「美濃岐阜城の戦い」で舞兵庫、杉江勘兵衛とともに織田秀信勢を支援したが、松平元康勢の反撃を受け撃退された。「関ヶ原の戦い」で石田三成に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【や】

矢上伯耆守【やがみほうきのかみ(15??~1582)】

三好義賢家臣。板野郡矢上館主。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

矢上備前守【やがみびぜんのかみ(15??~15??)】

矢上伯耆守の男。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「美須麻流之珠」by立花利康。

安井正忠【やすいまさただ(15??~16??)】

三好康長家臣。通称喜内。若江七人衆。1579年、三好康長が隠居したため、羽柴秀次に仕えた。1595年、「羽柴秀次事件」で羽柴秀次が自刃したため、前田基勝に仕えた。1608年、前田茂勝が改易処分に処されため、浅野幸長に仕えた。1615年、「和泉樫井の戦い」で浅野長晟に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。1619年、浅野長晟に従い安芸広島城(426,000石)に転封した。2,300石を領した。参考文献:『戦国人名事典(高柳光壽編)』by吉川弘文館。

矢野国村【やのくにむら(15??~1579)】

三好義賢家臣。板野郡矢野館主。官途は駿河守。1562年、「和泉久米田の戦い」で三好義賢が畠山高政勢と戦い討死したため、三好長治に仕えた。1571年、三好長治、篠原長房の意向を受け讃岐引田城を守備した。1577年、「荒田野の戦い」で三好長治が細川真之、伊沢頼俊、一宮成祐勢と戦い討死したため、十河存保に仕えた。「坂西城の戦い」で伊沢頼俊勢と戦い伊沢頼俊を討取る戦功を挙げた。1579年、「脇城外の戦い」で三好勝時、森高次、河村恒基、土肥秀実、飯尾常利、麻植重俊、川島惟忠、市原兼頼とともに三好康俊に謀殺された。参考文献:『戦国大名家辞典』by東京堂出版。

矢野虎村【やのとらむら(15??~1562)】

矢野国村の男。1562年、「和泉久米田の戦い」で父の矢野国村とともに三好義賢に従い畠山高政勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

山川国秀【やまかわくにひで(15??~15??)】

三好郡金川館主。通称五郎左衛門。1577年、「末尾館の戦い」で真鍋大炊助勢と戦い敗退した大西元武を匿った。参考文献:「レファレンス協同データベース」by国立国会図書館。

山口秀勝【やまぐちひでかつ(15??~15??)】

松永久秀家臣。信貴城衆(勘定奉行職)。1567年、「飯盛城の戦い」で松山安芸守ととともに松永久秀に従い三好長逸、篠原長房勢と戦い和泉堺に落延びた。1569年、松永久秀の意向を受け大和信貴山城を守備した。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い負傷した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

山崎久家【やまざきひさいえ(15??~1571)】

松永久秀家臣。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

山田与一右衛門【やまだよいちえもん(15??~15??)】

福良寛治家臣。1585年、「四国討伐(天正の乱)」で森崎中豊に従い大船六百艘小船三百艘を揃え羽柴秀長に従い長宗我部元親勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。参考文献:「南淡路福良の記録」by作者不明。

山田陸太夫【やまだむつだいふ(15??~15??)】

板野郡住吉館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

由岐有興【ゆきありおき(15??~15??)】

海部友光家臣。海部郡由岐館主。官途は隠岐守。1577年、「海部城の戦い」で海部友光が長宗我部元親勢と戦い紀伊国に落延びたため、降伏した。参考文献:『長宗我部元親』by近藤龍春。

宮城梅雪【みやぎばいせつ(15??~15??)】

一宮成祐家臣。1577年、「勝瑞城の戦い」で一宮成祐に従い淡路衆と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

結城忠正【ゆうきただまさ(15??~15??)】

三好長慶家臣。官途は山城守。通称左衛門尉。別名「進斎」。室は勧修寺尹豊の娘。学問、降霊術に優れ、偉大な剣術家。松永久秀の寄騎衆を務めた。松永久秀の意向を受け切支丹を弾圧した。1563年、高山友照、清原枝賢とともに宣教師のロレンソ了斎から受洗を受けた。1564年、三好長慶が病没したため、松永久秀に仕えた。松永久秀とともに織田信長に従い柳生宗厳の取次役を務めた。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

湯浅国貞【ゆわさくにさだ(15??~15??)】

新開実綱家臣。那賀郡中荘館主。官途は豊後守。1582年、「中富川の戦い」で十河存保に従い長宗我部元親勢と戦い討死した。参考文献:「阿波学会研究紀要」by徳島県立図書館。

湯浅兼行【ゆあさかねゆき(15??~15??)】

湯浅兼朝家臣。那賀郡湯浅館主。官途は壱岐守。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

湯浅兼朝【ゆわさかねとも(15??~15??)】

那賀郡仁宇山館主。官途は対馬守。別名仁宇谷兼時。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

湯浅丹後守【ゆわさたんごのかみ(15??~15??)】

那賀郡櫛坂館主。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

横田政宗【よこたまさむね(15??~15??)】

三好康長家臣。板野郡横田館主。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

横田宗昭【よこたむねあき(1552~1603)】

横田政宗の男。通称内膳。別名横田村詮。室は中村一氏の妹。塩田一閑とともに三好康俊の補佐役を務めた。1583年、中村一氏に仕えた。中村一氏に従い駿河国駿府城に転封して、検地、交通路整備、土木施策などに功を上げた。1600年、「関ヶ原の役」で中村一忠を補佐して、松平元康に従い戦功を挙げた。中村一忠に従い伯耆米子城(175,000石)に転封して、筆頭家老職(6,000石)を務めた。米子感応寺を建立、領国内の検地、城下街建設、運河の建設、内政面で功を上げた。1603年、横田宗昭の専横を憎くむ安井清一郎、天野宗杷の讒言を信じた中村一忠に謀殺された。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

横田主馬助【よこたうまのすけ(15??~15??)】

横田宗昭の男。1603年、父の横田宗昭が安井清一郎に謀殺されたため、柳生宗章とともに屋敷に籠城した。中村一忠、堀尾吉晴、堀尾忠氏勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

吉井行康【よしいゆきやす(15??~1577)】

板野郡吉井館主。官途は左衛門太夫。通称左平衛。1553年、「見性寺の変」で一宮成助、伊沢頼俊、多田元次とともに細川持隆を謀殺した。1577年、「坂西城の戦い」で細川真之、長宗我部元親とともに三好長治、十河存保勢と戦い敗退した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

吉井康爲【よしいやすため(15??~15??)】

吉井行康の男。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

好岡大炊頭【よしおかおうすみのかみ(15??~15??)】

松永久秀家臣。伊勢国大平生出身。奉行衆を務めた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

吉田庸俊【よしだあきとし(15??~15??)】

海部郡吉田館主。1577年、「吉田館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い降伏した。参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会。

吉成信長【よしなりのぶなが(15??~15??)】

三好義賢家臣。1562年、篠原長秀、加地盛時、矢野虎村、三好盛政、三好盛長、市原長胤、伊沢長綱とともに三好康長に従い河内高屋城を守備した。参考資料:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

若槻光保【わかつきみつやす(15??~1569)】

三好長逸家臣。1569年、「本圀寺の変」で三好長逸に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

和田株太夫【わだかぶだいふ(15??~15??)】

一宮成祐家臣。名東郡和田館主。和田館(55貫)を領した。1580年、「和田館の戦い」で長宗我部元親勢と戦い敗退したため、一宮成祐とともに長宗我部元親に仕えた。1582年、「黒田原の戦い」で三好長治勢の紀伊鉄炮衆を討取る戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

渡辺重【わたなべしげ(15??~15??)】

松永久秀家臣。通称兵衛尉。1571年、「大和辰市館の戦い」で松永久秀に従い三好義継、筒井順慶勢と戦い討死した。参考文献:「松永久秀関係データ追加・変更検討」byYamana Tokiuji。

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【資料Ⅰ】

阿波国(10郡/420,000石)

板野郡:勝瑞城、撫養城、横田館、土佐泊城、矢上館。
阿波郡:
美馬郡:岩倉城。
三好郡:
麻殖郡:上桜館。
名西郡:
名東郡:徳島城。
勝浦郡:牛岐城。
那賀郡:
海部郡:

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【資料Ⅱ】

赤沢家十二人衆【あかざわけじゅうににんしゅう】

赤沢出羽守、坂上備前守、安芸飛騨守、犬伏右近、阿部采女正、楠東紀伊守、赤沢美濃守、新貝右近、大寺松大輔、七条兼仲、三好何右衛門、赤沢鹿之丞。

坂西家三人衆【さかにしけさんにんしゅう】

赤沢出羽守、坂下備前守、安芸飛騨守。

三好長治家三家老【みよしながはるけさんかろう】

三好勝時、矢野国村、森高次。

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【資料Ⅲ】

阿波国【あわのくに】

南海道に属する四国東部の国。北は讃岐国、北西は伊予国、南西は土佐国に境を接し、東は紀伊水道を隔てて紀伊国、東北は鳴門海峡を隔てて淡路国とも海路で結ばれている。中央を四国山地が貫き、その北に阿讃山脈が平行して走っているため、山がちの地形だが、北の吉野川、南の那賀川の二つの大河が沖積平野を形成し、耕作面積は確保されている、その反面、二つの大河に対する洪水対策など、その治水が重要な課題である、文化的には平安時代の弘法大師空海の巡教によって真言宗が広く浸透しており、応仁の乱後の細川家とそれに続く三好家の時代に京から貴族や文化人がしばしば訪れ、文化水準は高い。

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戦国人名辞典は、1467年、「応仁の乱」から1637年、「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

武田信玄は武田晴信、上杉謙信は長尾景虎、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉に名前を統一しました。

城と館の違いは、城は10,000石以上の領主の居城。館、砦は9,999石以下の領主の居城としました。館と砦の違いは平地にある場合は館、山岳地帯、諸島にある場合は砦としてました。

参考文献:『戦国大名家臣団辞典(西国編)』by新人物往来社、『戦国大名家臣団辞典』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(西国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、『戦国人名辞典』by新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)』by角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社。「阿波学会研究紀要」by徳島県立図書館、参考文献:「徳島県の中世城館」by徳島県教育委員会、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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